ロック勝負 | 私、BABYMETALの味方です。

私、BABYMETALの味方です。

アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

台風10号の名前は、ライオンロック(Lion Rock)だと。メタルな響き。

関東地方は22日の9号に比べてたいしたことはなかったが、直撃した東北地方は農作物への被害や土砂災害などが心配だ。

12月にBABYMETALがUKツアーに帯同するレッチリについて、前回「全然わからない」と書いたのだが、改めて調べていて、認識を新たにしたことがあった。

1.ぼくと同年代である。

1972年生まれのジョン・フルシアンテ基準で考えていたのだが、バンドの核となるアンソニー(V)とフリー(B)は1962年生まれ、チャド(D)は1963年生まれで、ぼくとたいして変わらない。ジョンの後任のジョシュ(G)だけが1979年生まれと若い。

もういい年のオヤジバンドという言い方もできるが、日本でいう団塊の世代、アメリカでいうベビーブーマー世代の一回り下だというところに驚く。

文化のアメリカナイズ、消費の大衆化、反体制運動、不動産バブルとその崩壊、消費税の導入、介護保険、年金不安など、一回り上の数の多い世代によって引き起こされた数々の社会の変化の影響を、ぼくらの世代は常に被ってきた。

若い人には同じオヤジに見えるかもしれないが、昭和20年代生まれと昭和30年以降生まれは、まったく違う。彼らはもう逃げ切り引退して、年金をもらっている。言いたかないけど、ジジババお揃いのリュック背負って満員電車に乗り込みレジャー三昧、かと思えば未だに駅前で旗立てて反体制運動をやっている人たちもいる。

だが、ぼくらはまだ現役。老後の不安や市場の縮小に怯えながら、何とか職場の上下を切り盛りして生きている世代だ。60年代後半の反体制的思想とかその文化は、歴史性という意味で理解はするが、よく調べてみると、検証なしに主観だけで言ってたんだということがわかって、そのナイーヴさ加減に呆れ果てることが多い。はっきり言ってうんざりしているのである。

それをレッチリは素直にリスペクトし、リフレインしているように見える。これがよくわからないのよね。

2.凶暴なパフォーマンスは「心の闇」から。

ジョンの復帰作「カリフォルニケ―ション」は“ユルイ”という印象だったが、それ以前のライブ・パフォーマンスはぶっ飛んでいた。初期のライブでは、アンコールで、ペニスに靴下を被せただけの全裸で登場。ビーチでのライブで女性客を殴りつけて逮捕されたり、ライブ後、ファンの女子学生の顔にちんちんを押しつけて逮捕されたりもした。ウッドストック‘99では、暴徒化した観客が放火騒ぎを起こし、メンバーはそれを眺めながら「Fire」という曲を演奏した、などなど。

Wikipediaには、“「カリフォルニケイション」以降も、メンバーのノリによっては、数多くのライブで前述のペニスソックス姿を披露することもある(最近はめっきり減っている)。”との記述がある。BABYMETALの前で露出狂パフォーマンスをしたら即刻以降のライブ中止、帰国という契約をしておくべきだな。

だが、こんなエピソードがある。歌詞担当のアンソニーが、自ら抱え込む「心の闇」をなんとかしようとインド人女性のオイル・ヒーリングを受けていると、在籍当時のフルシアンテが「音楽をやるには心の闇も必要だ」と言ってやめさせたという。それからは、アンソニーが「今日は悲しい気分だ」と電話すると、ジョンがやってきてギターを弾き、1曲できるという感じだったそうだ。つまり、凶暴なパフォーマンスはギミックではなく「心の闇」から来ていたのだ。

3.へヴィメタル史上最大の仇敵だった。

これが、今回の眼目である。

1980年代前半、LAメタル、METALLICA、スレイヤー、アンスラックス、メガデスなどのスラッシュメタルが全米に轟き渡った後、80年代後半になると西海岸を発祥の地とするガレージ系=グランジ=アメリカ版ロンドン・パンクのブームが来る。ピロピロのツインギターや重低音より、ファンクやラップをミックスしたシンプルな音楽性が一世を風靡したのだ。ファンをごっそり奪われたメタルバンドは壊滅的な打撃を受け、散り散りになって多様化していくというのがメタル史のあらましだが、そのブームの中心にいたのがレッチリだった。一時はカート・コバーンを擁するニルヴァーナを前座にしていたのだから間違いない。

ファンク/パンク/ラップ/へヴィネスをミックスしたレッチリの音楽性は、前回書いた反体制風ドラッグ文化の再来的な歌詞や、凶暴なパフォーマンスと相まって、大仰でテクニカル、かつギミック過多で商業的と思われていたメタルバンドを陳腐化し、ファン離れを起こさせたのだ。

当時の感覚でいえば、「こっちのほうがロックだぜ」ということだったのだろう。

ううむ。

「ギタ女」や「ピュアモンスター吉澤嘉代子(1)」で、ロックという音楽は、やむにやまれぬ衝動に駆られたフロントマンの奇矯な振る舞いやストレートな感性が、世の価値観を変えてしまうところに価値がある、というようなことを書いた。

レッチリは、まさにそれなんでしょうね。

ヤク中の父親に育てられ、創設メンバーであった親友のヒレル(G)は、ヘロイン摂取過多で死亡。心の闇に突き動かされて、凶暴かつ繊細な歌詞を書き、ライブではクレイジーな振る舞いをする。

それがウケた。変態的な逮捕騒ぎも芸のうち、というわけだ。

BABYMETALはどうか。

アイドルを目指し、小学生の頃から芸能活動をして、メタル狂のプロデューサーの命じるままメタル・パロディをやらされたが、インディーズデビューと自我の目覚めが同時に来て、お客さんの熱狂を生み出すメタルという音楽に生きがいを感じるようになった。それ以降、常人には真似のできない練習量で、完成度の高いメタルダンスや歌唱の表現力を身につけ、物議を醸しながらメタルの救世主として、世界中を巡業して回っている。これは「ロック」じゃないのか?

結局、このブログのタイトル、「私、BABYMETALの味方です。」の元ネタ、村松具視の「私、プロレスの味方です」の主題である「過激」という言葉がキイワードになるのだと思う。

ハードロックの祖、ジミ・ヘンドリクスは、ギターを歯で弾き、ステージの床にギターを叩き付けてぶち壊すパフォーマンスで有名になった。2014年、NHK「BABYMETAL現象」の番組中で、BABYMETALの三人は、ジミヘンが客死したアパートメントを見学してましたよね。

ディープ・パープルのギタリスト、リッチー・ブラックモアも、ギターをマーシャルのキャビネットに突っ込んだり、火をつけたりしたし、インタビュアーの質問に一切答えず、にやにや笑いながらコップの水をかけたこともあった。今はお城でモデル出身の美人の奥さんとイギリス古民謡音楽をやっているけど、当時、その変人ぶりは日常生活では到底付きあい切れない印象だった。変人といえば、ギタリストのフランク・ザッパは、四角い海苔のような口髭がトレードマークで、ライブ中のステージでズボンとパンツを脱ぎ、脱糞ショーを行った。

いわゆるロック英雄伝説であるが、これらは60年代後半から70年代前半に起こったことである。

70年代後半~80年代前半、グラムロックを経て、ロンドン・パンク、NWBHMの時代になると、MTVがロックのメディアとなり、アーティストのパフォーマンスは、やむに已まれぬ感情の発露というより、MV用に意図的に演出されたものに見え始める。適度に暴力的だが、TV画面の中では、きちんとコントロールされた、“売らんかな”のギミックと化したのだ。

レッチリが世に出た88年当時、その凶暴なパフォーマンスも、当初は20年前の反体制的ドラッグ文化のパロディと見られていた。だが、実際の彼らの楽曲やライブや、私生活の破天荒さは、そうした意地悪な世間の見方の枠組みを超えて「過激」であり、ついには「本物」だとみなされたのではないか。

BABYMETALはアイドルだから当然、メタルのパロディである。だが、生身の三人+神バンドのパフォーマンスは、その意地悪な世間の見方を超えて「過激」になり、リアリティをまとっている。

ロックとメタル。音楽性は異なるが、「過激さがリアリティを生んだ」という点で、案外共通点があるのかもしれない。

だが、それと現在観客に提供できるパフォーマンスの評価は別だ。

なぜ、今、BABYMETALがレッチリの前座もしくはSpecial Guestとして共演しなければならないのか。

レッチリやMETALLICAのマネージメントをしているQ primeという会社は、欧米の音楽ビジネスで絶大な権力をもっており、そこに恩義を売っておくことは、BABYMETALがもっと飛躍するために必要な布石なのだ、という方もいる。

だが、そんな営業的な背景よりも、ズバリ、これはメタル界のレッチリへの敵討ちなのだという見方はどうか。少なくともKOBAMETALには、そういう意識があるのではないか。

ロブ・ハルフォードから、メタルの継承者として王冠を授かったメタルの救世主、BABYMETALが、90年代のメタル壊滅の仇敵、レッチリを叩きのめす。

「メタルなんていまさら時代遅れ」「子ども向けのギミック」「日本の少女がメタルww」「前座に出してやるだけでも名誉なんだぞ」という上から目線のレッチリファン、「本物」にこだわるオールドファン。こういう人たちはBABYMETALを知らないだけだ。

今、どっちがロックか。勝負だ。

神バンドの演奏はのけぞるほどのハイレベルだし、楽曲はキャッチーかつへヴィ、三人の少女はKawaiiのに、SU-の歌声は防音壁を貫くほどの破壊力だし、YUI、MOAのダンスは、常人には真似できないレベル。「作られたアイドル」なんかじゃなくて、その「過激さ」のリアリティは、レッチリが出てきた時に匹敵するインパクト。

もちろん、けんかするわけではなく、観客を楽しませ、心震わせ、感動させる勝負だ。

歌は日本語でよくわからないけど、あの子たちのパフォーマンスは凄いな、メタルギターのあの「音」はやっぱり魅力的だよな、メタルもいいよね。イギリス発祥だし、と観客が思ってくれればBABYMEATALの勝ち。

30分程度の前座仕様セトリだろうから、1.「メギツネ」または「BABYMETAL DEATH」、2.「ギミチョコ!」、3.「CMIYC」、4.「KARATE」、5.「ROR」または「IDZ」が王道だろうな。

レッチリに寄せて、ラップ/ポップ/へヴィネスのミクスチャーという見せ方をしたいなら、1.「メギツネ」から入って、2.「いいね!」、3.「おねだり大作戦」または「GJ!」ないし「Sis. Anger」、4.「ギミチョコ!」、5.「KARATE」で締め。

レッチリも、負けずに元気いっぱいのパフォーマンス(フジロックではイマイチだったけど)で応じ、観客が大満足すれば、BABYMETALを呼んでよかったな、ということになるだろう。

なんだか凄くいいライブになりそうな気がしてきた。

レッチリが、昔取った杵柄とばかりに、露出パフォーマンスをすることだけが、重ね重ね心配だ。