9月23日という日…… | ジャンママのフレブル日記

ジャンママのフレブル日記

フレブルのボブは2016年8/3午後10:50に桃太郎は2018年9/2に2020年12/19に音姫が天国に旅立ってしまいました。今は飼育放棄のシーズーの亜矢音と鎌倉で海と山との自然に囲まれて暮らすジャンママ。そして、間質性肺炎 膠原病・リウマチ・皮膚筋炎・シェーグレン闘病記!

ジャンママです。

ジャンママにとって、9/23という日は特別な日です。

フレブルのジャンが亡くなったのが9/23の深夜でした。もう何年前の事になるのだろう……。
2003年だったか……早いな……。
あの日の事はまだついこの前のように覚えています。ちょうど夜12時に近い時間に病院から電話があり
「ジャン君……頑張れませんでした……」
と、電話口の向こうから先生が言いました……。
「直ぐに行きます」
と、まだ仕事をしていた主人の音楽部屋をノックして開けて
「ジャン君、死んじゃった……」
と言って支度をして車で
「病院に行く」
と義母に伝えると
「私も一緒に行く」
と義母も一緒に来てくれました。

病院の裏口から中に入り、診察台に横たわったジャンは、まだ温かかったです……。


その日、実は義母と主人とで鶴岡八幡宮にお参りに行ったのです。
ジャン君がどうか治りますように……と……。
おみくじを引きました。
大凶だった……。
病=治らず
と書いてあった……。
もう一度引きました……。
でも、最初のおみくじが当たってたんだね。
って、ジャンを家に連れて帰り、義母ともそんな話しをしました。

それが9/23という日なのです。

そこから時間は過ぎ、5年前の9/23
私が大好きだった本当に近くに住んでいた鎌倉のお姉ちゃんみたいなひまわりみたいな人が、脳内出血で倒れたのが9/23の夜でした。
主人の幼なじみの奥さんで、私の良き相談相手で、その頃は私も多少は飲めたのでワインを飲みに家まで夜な夜な行っていました。
ワカメをとって来てくれたり、天草から寒天を作ったりして。
ピザパーティーをよくしてました。
家にご主人(旦那の幼なじみ)が作ったピザ窯があり、ウッドデッキがあり、本当に楽しい時間がそこにはいつもありました。
私が入院したりすると、家のご飯分までおかずを作って持って来てくれたり……。
優しい優しいお姉ちゃんでした。

倒れた事を知らずに居た24日の昼頃、私はバイクで買い物に行きました。帰り道に家の近所の交差点で前の車からバックミラー越しに手を振る人が居たのでよく見るとお姉ちゃんだったので、その隣で運転していたのも友達だったので、きっと2人でお昼ご飯でも食べに行くのだろう!と思って家に着いてからLINEで「どこにお昼ご飯食べに行くのかな?」と入れると「え?まだ家にいるけど?なんで?車で出かけてないよ?」と……
私は、あれだけはっきりとお姉ちゃんがしきりに私に手を振ったのを見ていて……おかしいな?
と、主人と話していたら、主人の携帯が鳴り、友達からお姉ちゃんが昨日の夜倒れて意識ないらしいよ!と……。
直ぐにお姉ちゃんの家まで行きました。
隣の隣なんですが……。
少ししたらみんな友達が集まって来て、ご主人がそこに昨晩から病院に付き添っていて急いで出た為、足りない物を取りに帰って来たところでした。
「本当に?」と聞くと「間違いないよ……」と言いました……「嘘だ!さっき私に手を振ったもん!」と私は言ってしまいました……。
直ぐに私達も病院に駆けつけました。
毎日毎日、面会出来ないHCUにいるのは分かってるけど、それでも行きました。
最後の2日くらいは病院側が、毎日、大勢の友達や親族が待合室の椅子を占領してまでも来るのを見兼ねて、特別室を用意して下さいました。
入って直ぐに、友達の中でスペインに行っている友達を「帰って来た方がいいて思う」と、ご主人の方にいい、直ぐに帰国して貰いました。彼女は生きているお姉ちゃんに会うことは出来ませんでした……。
倒れてから1週間……一度も意識が戻ることなく、亡くなってしまいました。
あれから5年……

次の年……9月23日
義母が倒れました……。
1日前にデイケアで熱があり、帰されて訪問治療の先生に来てもらい薬を貰って飲んで熱は夕方には下がっていました。
夜に、廊下を歩く音がして部屋を出てみると義母が壁に手を付きながら歩いてきて、
「トイレが遠いの!」
というので、手をとって一緒にトイレに行きました。パジャマのズボンと紙パンツを下ろし、座らせて
「終わったら声掛けてね!」
と、義母を待ちました。程なくして
「終わったよ〜」
というので、拭いてあげてパンツの汚れを確かめて履かせて、また部屋まで手を取って連れていき、ベッドに横にさせて
「おやすみ〜」
と言ったのが22日の夜でした。
23日。朝、主人が下の廊下で桃太郎のチャカチャカ歩く音に気づいたら、義母が床で横になって居たそうです。
「寝るところがないの」
と義母は言ったそうです。
多分、寝ぼけたんだろう!と、そのまままたベッドに横にさせて主人は戻って来ました。

昼頃、義母よ様子を主人が見に行くとベッドに座って居たので「お水飲む?」と聞くと、頷いたのでコップにお水を入れて義母のところに行くと、義母が別人の様になり、
「コノヤロー!」と言いながらコップを手で払ったそうです。部屋中、水浸しになり、何が起こったのかと義母を見ると痙攣して倒れている義母が……。
1階から主人が私を大声で呼び、私は義母の部屋に入ると、義母がバタバタと身体を揺らし意識朦朧状態……直ぐに携帯から救急車を呼び、義母の薬手帳と診察券などが入った袋と薬をバッグに詰め込み、義母と救急車に乗りました。
病院に着くまでに4回心臓が止まりました。
AEDを使ったりして、蘇生させながら病院に着きました。
アメリカにいる義兄達に直ぐに連絡したかったので、長女だけ帰国していたので電話して、お父さんに私に連絡して欲しい!と伝えまさした。
程なくして義兄から連絡が来て、とにかく一旦、帰って来て!と言いました。
義母はたこつぼ型心筋症でした。
ただ、内蔵に変な数値が出ていますので精密検査します。
と言われました。
4日くらいした時に義兄がアメリカから帰国し、それと入れ違いに私は、膠原病の積極的治療の最中だったので、エンドキサンパルスの2泊3日の入院をし、義母の無事を祈っていました。
入院中に消化器内科の方から、義母が末期の肝臓ガンだと知らされました……。

倒れてから2週間……義母は亡くなりました……。

9月23日……。

私には、いつも怖いという日になってしまいました。

今年のは、音姫が今、悪性腫瘍が喉に出来てしまいました。今すぐにどうこう……というものでは無いけれど、事実、あと数ヶ月と言われました。
音姫……。
うちに来てまだ2年も経って無いんだよ……?
ワガママもっとしていいんだよ?
甘えているんだよ?
音姫……、
つらくないかい?
痛くないかい?

この子をまだ連れていかないで……。

悪性腫瘍がこんな大きくなってしまいました。
丸で囲ったところです。



普通にしてても、向かって左の頬の下辺りが膨らんでいるのが分かると思います。

こんな可愛い子に何故に神様は……と思ってしまいます。
まだまだ頑張らなきゃ…私……。

今年の23日は何事も無いように……。