映画:「休暇」 | ジャンママのフレブル日記

ジャンママのフレブル日記

フレブルのボブは2016年8/3午後10:50に桃太郎は2018年9/2に2020年12/19に音姫が天国に旅立ってしまいました。今は飼育放棄のシーズーの亜矢音と鎌倉で海と山との自然に囲まれて暮らすジャンママ。そして、間質性肺炎 膠原病・リウマチ・皮膚筋炎・シェーグレン闘病記!

ジャンママです。

ジャンママは、このクールで、TVドラマは

「モリのアサガオ」を欠かさずに観ていました。

死刑制度について、みなさんはどう思われますか__??

今まで、罪状からいっても「死刑になって当たり前だよ!」と思っていたことが、

すこしだけ疑問も持つようになりました。

私としては、必要と言う部分では変わりありませんが、その死刑を確定することで

何を意味しているのかをしっかりと認識しなくてはいけないと思いました。

そして、この映画を観て、また考えさせられることも多かったです。

果たして、この「死の連鎖」というものはどこまで続くのかな??

親を目の前で二人ころされ、そして自分たちの目にそのときの状況が鮮明に残り

しかも、その犯人は、別に親に恨みがあった訳でもなく、ただ、人殺しを楽しむような

殺人鬼だったら?どうしますか?

そして、その人が死刑にならず、また何年かで普通に生活していたらどうしますか?

そのときに、負の連鎖が起こるのでしょう。

しかし、その殺人犯にも親も親戚もいることは確かで、そして被害者にも家族がいる。

恨まれ、憎まれ、そして加害者家族は、身をひっそりと暮らす生活。

どちらも被害者なのでは・・・

そういう面では、

「誰も守ってくれない」

という映画がそういう面を描いているともいます。

しかし、どこかでそれを断ち切るためにも

「死をもって償う」

ということなのかもしれない。

刑務官は、それを執行し、手を貸すわけです・・・

その葛藤がなんだ伝わってきました・・・

死刑を執行することがどういうことか・・・それは殺人と刑務官は感じるかもしれない。

自分の目の前で人が殺されるわけですから・・・

悲しいですね・・・

そもそも・・・はなんだったのか?

それは人間が「してはいけないこと」ということがちゃんと心の中にあるかどうか

で、犯罪は激減するでしょう・・・

そういう心をちゃんと育てるのは、人間なんです・・・親なんです・・・

だから、子供が犯罪に手を染めたときは、親も責任をとるべきなのかもしれないですね。

もっと、「教育」ということをしっかりと考えたほうがいいですね。

それは「命の大切さ」「人間のつながりや絆」「本当の優しさ」と言うことなのだと

思います。

すこし、みんなで考えてみませんか?

家族で、話をする時間をとってみませんか?

それで何か変わるかもしれない。