伊東祐親(いとうすけちか)は伊豆一番の土豪だったのです! | 伊豆高原 遊リゾートのちーさん

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東海館で 伊東祐親展 が行われているという情報を


伊豆・伊東市 障害者・高齢者・車椅子バリアフリー旅行


青いかば旅行社さん  に教えていただいたので、


行って来ましたパー



まずは 民話の部屋 に直行!
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こちらは池の里のお話みたいですが・・・なんだろ( ̄Д ̄;;


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伊東の武将 伊東祐親展が開催されていました。


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源頼朝の存在が大きくて、伊東祐親という豪族の果たした

役目というのが良く判らないかな~?


伊豆は火の国


大小の数々の火山が産みだした伊豆半島。

古代の人々が海の幸を求めて集まって来た。


伊東むかし物語より。


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保元の乱や平治の乱の前、源頼朝が伊豆に流される前のこと。


豆州(伊豆)の海の幸に目を向けて、海運に力を入れ、収入を増やして


行ったという。


伊東一族をまとめて、平家方の武将として活躍をしていた。


伊豆の海の幸で商いをしたということでしょう。


地元の人間としてはこの辺りはかなり重要視したいですね。


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そうですよ・・・伊東祐親は頼朝の監視役


これってこの時代、とても重大な役目だったのでしょ?

あんな情けない(スミマセン)おっちゃんではなかったはず!

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伊東祐親は伊豆で一番の豪族となり、伊豆で産出した金・銀

そして鉄を財力としていたそうです。


それと天城連山の木材で多くの船を造り、伊東水軍として

発展していったそうです。


平安時代の末期、伊東祐親は伊東から京都へ行くのに

たくさんの献上品を持って行ったらしい。


伊東祐親は伊東だけではなく、河津の発展にもつくしてきた

ということで、伊豆一番の土豪であったのです。



平安時代の伊豆は半農半漁の貧しい人達ばかりで、

住民は少なく、道はけもの道((>д<))ぐらいはあったらしい。

都(京都や奈良)は、この当時は貴族達だったのですが、

贅沢な生活をしていたという。


※豆州戦乱誌参考


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東海館の喫茶コーナーにまた寄ってしまいました。


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冷たい蕎麦を頼んだら氷が入っていたぜぇ(  ゚ ▽ ゚ ;)
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これ、何頼んだのだろう
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窓の外も風情があります
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伊東祐親が活躍していた頃の「出土品」!?


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文化財管理センター 行っちゃいました\(゜□゜)/


もうこんな磁器が使われていたのですね。中国から輸入された!?
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伊東祐親ゆかりの地、どうぞ宜しくお願いしますv(^-^)v


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