子供の頃、伊東のお祭りの時の街中は、凄い人だった。
夜店がたくさん出ていたし、おもしろい人達もたくさんいた。
(怖かったけれど)
迷子にならないように親の後を追いかけたのを思い出し
ました。
それよりももっと昔のことです。
男芸者 「お吉姐さん」
続・絵はがき 伊東百景より
お吉姐さんは、
昭和の前期頃の伊東の花街史の中で、「男芸者」等と言われ、
火ともし頃になると、白粉を首から顔面に、塗りたて、島田まげの
油香をたなびかせ三味線片手に目当ての旅館に繰り出す姿は、
伊東温泉の名物男として、遠来の客の宴会場に欠かせぬ芸人の
一人であった。
人気者のお吉姐さんをめぐっては、幾つもの話題がある。
他県から伊東に住むようになった人の話に、
伊東に、お嫁さんで着物の裾を持って自転車に乗っている人が
いる、珍しい人がいると話していた。
これがお吉姐さんが、かつらをかぶってお座敷へ出かける風景だと
判って大笑いをしたという。
日本全国にひいきがいて、呼ばれるとどこにでも出張していたという。
昭和18年にお吉姐さんにも徴用令状が来て、沼津海軍工廠(こうしょう)
へ。(工場・仕事場)
工廠の慰労会で特別に許されたお吉姐さんは、伊東よりポータブル
蓄音機や衣装、かつらを取り寄せる。
慰労会では満員の観客から万雷の拍手。
その後、お吉姐さんは工場の仕事はなく、もっぱら関係方面への
慰問専門となる。
今は亡きお吉姐さんは、
一代の名物男として「猪戸」の著書に語られています。
伊東温泉街中の大川橋 昭和前期 東海館方面(絵はがき伊東百景より)
伊東温泉街中の大川橋 昭和前期 海の方面
現在の大川橋 海の方面
図節伊東の歴史より
昭和28年頃の伊東の芸者衆はおよそ190人。玉代は2時間で600円。
みんなで宴会を開き、芸者衆を挙げて楽しいひととき過ごすことはいわば大衆娯楽
の頂点であった。
自転車でお座敷を回るお吉姐さんは伊東でただひとりの男芸者であった。
見つけました!お吉姐さんです。
伊東の有名な芸人さんだった!?