Rick Dikeman

摩天楼は薔薇色か!? New York City, here I come!

 


いろいろなブログがある中で読んで戴き、ありがとうございます。コメントも全部に答えられるか分かりませんが、大歓迎です。






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2011-01-04 22:21:36

新ブログ復活~1月4日(月)~

テーマ:ブログ

皆様、お久しぶりです。Itsanyclifeです。


最後のエントリーに当たっては、暖かいコメントをこんなにたくさん頂いて本当にありがとうございました。これらは大事に胸にしまっておきたいと思います。(って、今更言っても誰も見てないと思いますが。。。)



さて、ブログを復活しました。もし機会があれば、遊びに来てください。以前よりは記事も短く、更新頻度も少なくなると思いますが、今度は東京ということで身近な題材も多くなると思います。新ブログもどうぞ宜しくお願い致します。


http://ameblo.jp/itsatokyolife/



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2010-07-24 00:48:17

ご挨拶~7月23日(金)~

テーマ:ブログ

読者の皆様、


今日はご報告です。


5年近く続けてきたこのブログですが、今日で最後のエントリーになります。個人的にもやや急な展開なのですが、月末に日本に帰国し、再スタートを切ります。色々な思い出があるニューヨーク、またこのブログを通じて実際にお会いし、友人になった方も多いので、寂しさや心残りがないといえば嘘になるのですが、今は清々とした気持ちでこれを書いています。


かつてブログを書いていた海外在住者の帰国前の最後のエントリーは、感慨溢れるような、読んでいるこっちまで涙ぐんでしまうようなものが多かった気がしますが、これはそういうエントリーにはなりません。僕もかつて、NYCを離れる時にはきっと感極まってしまうのだろう、夜景遊覧のヘリコプターに一人で乗り、摩天楼を見ながら泣いてしまうのだろう、などと思っていましたが、不思議と全くそういう気持ちに全くならないし、ヘリコプターにも乗る予定はありません。きっと、この街にはまたいつか戻ってくるであろうと勝手に思っていること、そして日本での再スタートの方に気が行っているからだと思います。それも一つの別れ方でしょうか。



このブログをそもそも書き出した当初は、日記的なものを、誰にも知られずに匿名で書こう、ということから始まった訳ですが、だんだん読者が増えていく中で、少しだけメッセージ性を持たせました。書き方が下手で、ネタも毎日かなり飛んだ為になかなかこのメッセージは届かなかったかもしれませんが。


そのメッセージは、世界には色々な考え方があって、考え方の数だけ可能性がある。自らの可能性は、自分でしか束縛できない、ということでした。


一方で自分自身にとっても、ブログを書くことによって、色々リサーチしたり考えるきっかけになりましたので、その意味ではブログに感謝しています。旅行中の写真も、ブログに載せよう、誰かが見てくれる、と思うと励みになりました。そういう意味では読者の皆様に、この場を借りて僕の方からもお礼を申し上げたいと思います。日本に帰ってからまたブログを書くかどうかは、現在のところ未定です。



最後に。高校の同窓会に先日行ったことは書いた通りですが、色々思い出したエピソードの一つをご紹介。


高校3年の時、英国のチャールズ皇太子が学校を訪問しました。彼は当時、会長でした(その次はマンデラでした)。何人かが彼に直接質問をする機会を得て、僕もその一人で何か哲学的なつまらない質問をしたのですが、僕の直前に質問したアントニオ、という同学年のシチリア出身のイタリア人の質問が皆の記憶に残っています。彼は現在、ローマで新聞記者をやっています。


時は1990年だったか。既にダイアナ妃との関係悪化が報道されている頃でした。アントニオは単刀直入に、「マスコミで報道されているダイアナ妃との関係はは真実か」と質問しました。


チャールズ皇太子は、顔色が変わり、それまでの流暢な受け答えから、なんだかよく分からないことを口ごもりながら答えました。内容は僕もよく覚えていないですが、要はbxxshitな答えでした。


印象に残ったのはその後。チャールズ皇太子の発言のどこかをとらまえ、アントニオはこう答えました。


"I don't know. I'm not a Prince" 


To which Charles replied,


"You don't know how lucky you are" 



自分が王族・皇族の出身でもない限り、我々は自由に生きることができるfree worldに生きています。先日、初めて国連の見学にも行きましたが、その中で印象に残ったのは、国籍だって個人が自由に変更する権利を何人たりとも止めることはできない、という言葉でした。


LAにいた時、リトル東京でスペースシャトル「チャレンジャー」に搭乗して亡くなった日系人宇宙飛行士、Ellison Onizuka氏の言葉を見ました。


"Your visions are not limited by what your eyes can see but what your mind can imagine. Make your life count and the world will be a better place because you tried". (あなたの視界はあなたの目が決めるのではなく、あなたの頭が決めます。人生を意味のあるものにしましょう。世界はあなたが頑張った分だけ、良い世界になります)



自分自身、行きたいところに比べたらまだまだ道半ばの半ば以下。皆様と一緒に、今後も人生を一生懸命がんばりたいと思います。昨日、コネチカットに住む高校時代の友人が送ってくれた言葉が耳に残ります。"Godspeed, my friend".


皆様、5年間本当にありがとうございました。 また、いつか、どこかで。Godspeed.



2010年7月23日


Itsanyclife






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2010-07-13 23:54:38

同窓会~7月13日(火)~

テーマ:ブログ

すっかり更新が遅れてしまった。何をどう書くべきか、なかなか整理がつかなかった。今日のエントリーはだから、ぐちゃぐちゃ。ご容赦いただきたい。



ローマから北上、北イタリアはベネチアの東180キロ、トリエステの西20キロ、アドリア海沿岸のDuino村というところで数日過ごした。


これまでここに明確に書いたことはなかったけれども、僕が行っていた海外の高校というのは、実はイタリアの、このDuinoにあったインターナショナルスクールである。今回、ここを訪れたのは、高校卒業20年の同窓会があったからである。そしてこの機会を利用して、昔住んでいたギリシャ、懐かしのローマも合わせて回ることにした、というのがことの真相である。



高校の同窓会は、4日間かけて行われ、世界中から懐かしい顔が集まった。この再会はあまりにエモーショナルなものになり、僕は皆より少し早めに日曜日の朝発ったこともあり、泣きこそしなかったけれども、別れ際に泣いてしまった人もいるほど。ビジネススクールの5 year reunionも昨年行ったけれども、ビジネススクールの同窓会はファンドレージングの色彩も強く、プログラムも分刻みで入っているのと比べると、こちらは食事の場所と時間が大まかに決められ、夕方にディスカッションの時間が入っている以外は極めてルーズで、ずっと海岸やバーで友人たちと過ごした。校長を始め先生たちとも再会し、驚くことに何人かはまだ教鞭を取っていた。天気も素晴らしく、僕は友人たちと一時間以上の遠泳を、二回もやってしまった。現在この高校は全てwi-fi網が完備されていたけれども、友人たちと過ごす時間が一寸でも惜しく、結局持参していたパソコンは一度たりとも開かなかった。


あまりにも魔法のような時間が過ぎ、それをここにうまく表現することができない。同窓会というものは、そもそも懐かしく楽しい時間である筈なのだけれども、極めて多感な時期に同じ経験を共有し、苦楽を共にした仲間たちとの再会は、同窓会という範疇を完全に超越してしまったようだ。皆の現在の職業も学者、ファイナンス、コンサルティング、弁護士、芸術系、オーガニックファームの起業経営とまったくばらばらだけれども、同窓会に行くとみんなすぐひとつになり、20年前と同じ空間が広がった。ルーツ探しの旅、などとしゃれ込んででかけたものの、実際にはぐちゃぐちゃになって帰ってきてしまい、気持ちの整理がつかない。



同窓会が終わって数日後、一緒に行ったNYCの投資銀行勤務の高校時代親友からこんなメールが届いた。とてもうまく皆の気持ちを表現していると思うので原文ママご紹介。


Why is it that Duino evokes such strong feelings within you? Makes you feel like you are sixteen all over again - unable to cope with the avalanche of emotion you thought you had lost decades ago. Why is saying goodbye so hard? Goodbye to people - you met for two days after twenty years - that just does not seem right. Why does everything else suddenly fade into insignificance - family, career, aspirations - things which you thought mattered so much to you. Why does the rest of life just seem to be a set of anticlimaxes - like a gigantic wave cresting before it disintegrates and hits the shore? Never knew that you had so much depth of feeling - or at least had forgotten it years ago. The ache in the heart - is that real? Maybe you should have hugged that person that one second longer, said goodbye to someone else you missed, been kinder to someone you ignored - would that have made a difference - really? You don't know. Why does life suddenly seem so busy but so full of emptiness - and you long to reach out to people who shared the experience with you? Why is it so hard to explain to anyone else who did not go to Duino why this experience is so magical, so special? Is it because days and night blend into one other and you lose a sense of time when you are in Duino? Maybe there is some kind of secret genetic bond which secretly connects us? Or was it the magical aroma of the lavenders which cast a spell on us? Could it be that all these people you just met make you believe there is hope for this world - that behind all the complexity and disagreements - people can really love each other in the true sense of the word? Maybe it's because you know you can tell them things you cannot even dream of telling your other friends - and still come out the conversation without being judged and still being accepted. Does everyone feel this way - you wonder? Maybe it's just me - I don't know. As the days intolerably grind on and the rest of life take center stage, the ache will be relegated to the background. You know that - we all know that. But we also know that Duino is not going anywhere - it will always remain in the depths of our hearts.



I thought articulating my emotions on paper will liberate me - already feeling a touch better :)



最後に。今回ギリシャ・ローマ・ドゥイノと回ったセンチメンタルジャーニーの写真。Duinoの写真もあるけれど、人の写真は掲載できないので風景のみご紹介。当時は苦労も多かったけれども、今考えると恵まれた環境だったと思う。


http://www.dotphoto.com/Go.asp?l=itsanyclife&P=&SID=268787&Show=Y

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2010-07-01 08:59:25

ルーツ探しの旅⑤~6月29日(水)~

テーマ:旅行

連日の歩き疲れもあったのか(正確な距離は分からないが、「相当」歩いている)、起きたらもう昼前だった。加えてローマは極めて暑く(連日華氏90°前後(32℃))、夏のローマらしくていいのだが、気づかないうちにそれも堪えているのかもしれない。


今日はコロセウム、フォロロマーノと観光。


しかし、昨日と同じように、話題は変える。


トレビの泉の近くに、超観光向けレストランを発見した。その名も、「That's Amore」。ご丁寧にハートマークまでロゴに入っていた。お客はちらほら。全員イギリス人とアメリカ人だろうか。


ところであちこちで散見するのだが、イタリア男っていうのは、本当にチラチラと女性をよく見るものだ。ちょっと足や胸を露出している女性が前を通ったりすると、無意識か意識的か、必ず一瞬真剣な目つきで追っている。僕も別に初めてこれに気づくわけではないのだが、他の国の男性はあからさまにはこういうことはしないので、久しぶりに見るこのイタリア男の突出振りは目立つ。と言っても、露出する方の女性は見て欲しいから露出しているわけだろうし、見る方の男だってその期待に応えているわけだし、別に何をするわけでもないし、見るだけならタダだし、自然にそういうことをやっているのはちょっと羨ましい、と思ったりした。ただそれだけの話。


今回はバックパッキングにもちょっと近い旅行形態なのだが、高校時代にやったバックパッキングと大きく違う点が一つある。高校時代、ヨーロッパを一人鉄道で一周したり、イタリアを2週間鉄道旅行したりして、平気で行くわりには、いつも「一人旅は孤独である」という感想を持ったものだが、「孤独」と思った割りには高校時代は外国人・日本人を問わず、あちこちで知り合いをつくって一緒に旅行したり食事をしたりした。殆ど皆年上の人たちだったけれども。この旅先で会った人たちで今でも関係が続いている人はいないけれども、随分色々な人にあって、結構人生勉強になった。あの頃は本当に簡単に知り合いになれた。会った場所もそれぞれで、観光案内所、列車の待合室、青の洞窟の乗り場、共同部屋、列車の中etc。日本人の他はチリ人、アメリカ人、香港人、インドネシア人などに会っただろうか。


しかし今回は、「皆無」である。会う気配もない。まあ、強いて言えば昨日のワールドカップを見たお店の人たちだろうか。本当のバックパッキングではないから、それも関係するのだろうけれども、一番思うのは全く孤独感がないことである。成長した、ということかもしれないけれども、寧ろ旅行中、facebookなどでリアルタイムに色々な友人達とコミュニケーションが取れて、感動をシェアできてしまう、というのが大きいと思う。昔の一人旅は、感動してもそれを一緒にシェアできる人がいないことにとても残念感、孤独感を感じたものである。でもfacebookなどのSNS登場でそれが解消されるというのは、きっと僕だけでなく、色々な人も感じていることの筈。でも、facebookはあくまで既存の友人とのコミュニケーションツールであり、旅先で知り合うような、全くこれまでの自分の世界と無縁の人たちとのコミュニケーションを取り、仲良くすることとは全く違う。であるすると、昔と比べて今の若者の一人旅は、旅先での人との出会いも少なくなっているとすれば、大変残念なことである、と思ったりもした。


フォロロマーノ。ここの展示場の一つで、こんな像を見た↓



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素晴らしくないだろうか。この曲線美。特に胴体を覆う薄布の、細部に亘るディテール。足に履いている草履も、足と草履の間の空間までちゃんとつくってあった。


ところでこれ、いつの作だか分かりますか?



答えは、紀元前5世紀。


紀元前5世紀に、こんなものを作っていたローマに感服である(この像自体はかなりギリシャの影響を受けているが)。


同じ頃の日本やイギリスは、石器時代ではないにしても、かなり「文明」とは遠い、土器や狩猟、農業中心の生活様式だった筈である。アテネでギリシャ人の友人と話した時にも話題に出たけれども、どうして一部の民族だけが突如として進化してしまうのだろうか。エジプト、ギリシャ、ローマ、メソポタミア、インド、中国。どうして一部の民族は発展が遅れるのだろうか。これはどう考えるべきなのか。文化人類学は、面白くも危険な領域だとつくづく思う。


さて、ナポリ対ローマのピザ戦争。


今日は遅く起きてしまった為、ローマ出身の友人が薦めてくれた中で、ホテルに一番近いピザ屋(ナポリ系)に赴く。が、お店は既になくなっていた。。。。がーん。


仕方なく地下鉄に乗り、南部へ移動。そこから歩き、トラステーベレ地区へ。暫し歩いて到着。が、ここのピザ屋(ローマ系)は水曜日は閉店だった。ダブルがーん。


トラステーベレ地区はローマのカルチェラタン、といわれるだけあって、周りにあちこちにピザ屋はあった。中には今日は「全ピザ5ユーロ」という表示を掲げたお店も。しかし、ここでめげでは意味がないと踏ん張り、ホテルを出て既に2時間以上も経っていたが、午後3時、トラステーベレ地区のもう一つのピザ屋へ。開いていた!3度目の正直だった。Dar Poetaというお店である。


これがピザ↓



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ここはナポリ系のピザ。カプリチョーザはなかったので、funghiのピザにちょっと材料を加えてもらい、カプリチョーザにしてもらった :-)


うまい。同じナポリでも、昨日の白いピザよりはこっちの方がやっぱり好き。完食。コーラ、炭酸水、ピザ、エスプレッソで15ユーロ。


ところで、昨日の夕食もピザを2枚、今日の昼もピザ、ということで野菜が全くない。このピザを食べてしばらくしてから、どうも胃が重い、というか胃が消化をちゃんとしないで重い感じがしたので、途中で野菜ジュースとフルーツヨーグルトを2個購入。どこかのピアッツァに腰をおろして頂いたのだが、これを摂取していた時、体中に「滋養」が染み渡る感じがして嬉しかった。野菜ジュースはなんとV8だった。イタリアにもあることはちょっと驚き。


そして夕食。今度はポポロ広場に近い(正確にはPiazza Augusto Imperatore)にある、"Gusto"という店。これまで行った中では、一番「お洒落感」があるお店だった。



今回はちゃんとサラダも注文。Greek Saladを注文したのだが、アテネで食べたものとは、バジルやアンチョビが乗っていたり、ケパーズがなかったりと、ちょっと違った。しかし、プレゼンテーション的にはこっちの方が上だろうか。



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そしてピザ↓

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これはカブリチョーザ。完食。


お会計は、ピザ、サラダ、コーラ、炭酸水で、29ユーロ。まあ、大体こんなものであろう。


さて、ローマ対ナポリのピザ戦争の(僕の勝手な)結論。Gustoもナポリ系なのだが、しかし、ここは見ての通りちょっとピザの生地がもったりと厚すぎ。軍配は生地は今日の昼のピザ、具は昨日の夕食一回目のローマ系ピザ家の具が勝利、ってところ。(これが昨日のピザ一回目↓)



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というわけで、ローマも今日で終り。明日は北イタリアへ鉄道で発つ予定。ネットの接続は悪くなる予定。


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2010-06-30 18:54:10

ルーツ探しの旅④~6月28日(火)~

テーマ:旅行

昨夜はホテルのネット接続が調子悪いかったので、昨日の夜のうちに書いたものを今コピペでアップ。



***


睡眠1時間半で起きて、アテネ空港へ。午前6時55分発のアリタリアでローマへ赴いた。



そう、今、ローマ。



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ここも、20年ぶりくらいだろうか。高校時代は何度も来たが、それ以来多分行っていないと思う。



今更ローマについて買いても、読者の方も行かれた方は多いと思うので、今日は、どこに行って、その後どこに行って、という記事や辞めて、写真はまた後日まとめてアップするととして、今日は趣向を変えて。。。。




ローマで投宿した安ホテルの近くに、「La Dolce Vita(甘い生活)」というお店があった、と思ったらストリップ小屋だった。ウケタ。



なんて話ではなく、ご飯とワールドカップの話に絞って書く。これなら共通項も多そうなので。



今日の昼は、「いかにも観光客が行きそうな」イタリアンレストランに入ってみて、どんなものか味わってみたい、というプロジェクトに挑戦してみた。スペイン階段近くの、いかにも観光客向けのレストランに入り、コーラとトマトソースのスパゲティを注文。期待通りのものがでてきた。気の抜けたコーラ。そして茹で過ぎのパスタ。べっちゃりした味の深さがないソース。はっきり言おう。スパゲティの端もばらけてなくて塊になっていた。お客さんはアメリカ人をはじめ、外国人のみ。イタリア人は一人もいない。店員は全員イタリア人だったが。大体メニューに、本来付け合せの筈であるパンやオリーブも金額が書いてあるから嫌な予感がしたのだが、ものの見事に的中してしまった。もう二度と行くまい。総計15ユーロのダメージ。



そしてワールドカップ。バチカン観光からの戻り、丁度日本対パラグアイの時間になった。そこで適当にテレビがついているレストランに入って試合を見たのだが、ビールを頼んだら、「大?中?」と聞かれたので「大」と適当に言うと、とてつもなく大きいビールがでてきた↓



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でてきた時、思わずサッカーも忘れて笑ってしまったが、これを飲んで、続いて中ジョッキを飲んだ。



まあ残念な試合だった。比較的安定はしていたけれども、勝てる感じは全くしなかったのは僕だけだろうか。見所が少ない試合というか。岡田監督は、途中からはもうPK戦作戦だったのだろうか。



ところでこのお店、調理場にいるのが全員バングラデッシュ人だった。昼下がりでお店も閑散としていたこともあって、地下からでてきて一緒に試合を見ていたのだが、アジア勢は日本だけだからと、一緒に日本を応援してくれた。ここもかなり観光客向けっぽいお店だったのだが、昼のランチが今ひとつだった理由が分かったような気がした。いい人達だったけれども。イタリア人店員もいい人たちで、結構色々話しかけてきて、ポテトチップをサービスでくれたりして、サービス的にはよかったし、食べ物は注文していないのでレストランの評価は難しいけれども。


ま、兎に角、僕と、バングラデッシュ人のウェーターと、イタリア人の店員たちと一緒に見ていたのだが、なんだか今ひとつ盛り上がらない試合に興味が持続しない感じだった。イタリア人店員が無理やり「ゴール!!」と何度も叫んでいたのはご愛嬌か。正直言うと、僕が疲れと睡眠不足とビールで後半途中居眠りしていたのを脅かそうとしていただけなんだか。さすがイタ公の発想。



夕食。夕食は、ローマで一番うまいピザを食いに行くことを決めていた。こういう時はローカルの友人に聞くのが一番と、事前に高校時代のローマ出身の友人にお店を聞いていた。僕の高校はインターナショナルスクールだったので、世界のどこに行ってもそこには知り合いや友人がいる、というのが今となってはとてもかけがえのない資産になっている。ガイドブックに頼るよりも情報が正確なので、リスボンに行った時も重宝した。


高校時代もローマで美味しいピザを食べた記憶はあるのだが、もうどこにあるのかさっぱり。友人は現在欧州中央銀行(ECB)勤務で、ローマには住んでいないのでメールで情報を聞いただけなのだが、幾つか候補を教えてくれた。生地が薄いローマ風と、生地が厚い、世界的に有名なナポリ風のお店の両方を数店ずつ。どっちに行きたい?と。これは困った。


勿論ローマっ子の彼女はローマ風をお勧めしていたけれども(余談だが、彼女は今「めちゃ」仕事が忙しいという。当たり前だが)。



ここで考えた。ローマは明日まで。食べられる食事には限りがある。今日のうちにローマ風とナポリ風のどちらのピザがうまいか、決着をつければいい、と。そういえば「地球の歩き方」には、「ピザはイタリア人が軽い夕食にしたい時に食べるもの。ピザだけを食べたければそれだけを注文して問題ない」とあった。イタリア人の「軽い夕食」程度であれば、二枚食べられないことはないであろう、と。



というわけで最初に行ったのが、ローマ風ピザを出す、ナボーナ広場近くのMontecarloというピッツェリアへ。


炭酸水と、僕が一番好きなCapricciosaのピザを注文した↓ローマっ子お勧めのローマピザ。



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なるほど、皮は薄めで、パリパリしている。美味しい。完食。全部で10ユーロ。




続いて、そこから歩いて5分の、(やはりナボーナ広場近くの)ナポリ風ピザを出す、Acchiappafantasimiというお店へ。カラブリア州の料理を出すレストランだった。メニューを見ると、1998年に世界ピザ選手権3位になったという、Pizza del Campianatoというピザがあった。チェリートマト、モッツアレラ、カラブリア産オレガノ、未調理オリーブオイル、が材料とある。これだ!美味しそうだ!と楽しみにして待っていると、来た↓



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白いピザだった。これでは比較ができないじゃん。。。。



味の方はオレガノとオリーブオイルが効いてなかなかよかったが、個人的にはトマト系の方が好き。生地は確かにこれがイタリアのピザでは普通の厚さで、ローマのパリパリ感とはだいぶ違う。友人は、これを”thick”と表現していたけれども、シカゴにも住んだことがある僕にとって、これはthickではない、などと頭をよぎる。まあ、ローマっ子にとってはシカゴのピザは相当有り得ない食い物であることは分かっているのだが。。。と、色々考えながら完食。またもや炭酸水と合わせて、今度は13ユーロ。




ということで、本日夕食はピザ2枚を完食。おなかはパンパン。幾ら違う種類を食べ分けたとはいえ、ちょっとやりすぎたかな。しかも、結論は明日に持ち越しになってしまった。。。。


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2010-06-29 07:14:05

ルーツ探しの旅(番外編)~6月27日(月)~

テーマ:旅行

日記をアップした後、泊っているヒルトンホテルの上のバーにふらり寄った(酔った)のだが、あまりにも素晴らしいバーだったので追加で更新。


世の中ルーフトップバーは数あれど、これが僕が世界で一番好きなルーフトップバーかもしれない。一人じゃなければもっと最高なのだが。。。


(正面にはライトアップされたアクロポリス)



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(横に見るとやはりライトアップされたリガビトスの丘)


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そして流れる音楽はHotel Costes風♪

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2010-06-29 05:25:11

ルーツ探しの旅③~6月27日(月)~

テーマ:旅行

ギリシャ3日目。



今日はアテネを脱出して、一路海へ。



有名なエーゲ海一日クルーズというのがあって、これはアテネ沖のエギナ、イドラ、ポロスの三島を回るものである。ロンドンに住んでいた子供時代、これに乗ってすっかり楽しんだ(全ての島で泳いだ)記憶があるけれども、アテネに住むようになってから、それぞれの島に格安で行けるフェリーがあることを知り、弟と二人でよくエギナ島のビーチへは行った。ピレウスからエギナまではフェリーで一時間、フェリー代も数百円。家からバス、地下鉄と乗り継いで港に行けるので、一日クルーズなど高いお金を払って乗らなくても、格安で島に行けることを発見したのである。海で泳いで、エギナ島名物のピスタチオを買って帰る、というのがその頃の定番だった。



今回、懐かしのエギナ島に行くのもよかったが、今回は違うビーチに行ってみたかった。一番行きたかったのは子供時代、そして高校時代にも家族で行った本土側にあるLagonissiリゾートだったのだが、これは昔は国営の安いリゾートだったのに、今は民間所有に変わり、超高級リゾートになっていて、とても一人で行く雰囲気ではなかった。これからエーゲ海に行く予定がある方の為にウェブサイトだけリンク↓



http://www.lagonissiresort.gr/



ということで、例のアテネ在住ギリシャ人友人が教えてくれた代替案が、Agistri島(エギストリ島)。


初めて聞く島だった。エギナ島の近くなのだが、もっと静かで、アテネの人が日帰りで行くところ、という触れ込みだった。



朝7時頃起きていくつもりだったのだが、予定通り(?)寝坊し、8時半頃起きて、その後朝食をちゃんと食べ、それから港のピレウスに電車で向かった。



昼前の高速船(ハイドロホイル)に乗り、一路Agistri島へ。


到着すると、ギリシャ語でAgistriと書かれた車が歓迎してくれて、のっけから気分は上々だった。


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港から軽く小一時間、隣町まで散歩してみたが、朴訥とした、何もない、海だけがきれいな島だった。



隣町につき、そこで漸く腰を下ろした。



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ミコノス島や本土の海岸と比べると、砂浜が狭く、若干小石があってゴツゴツしていたが、水は申し分なくクリアだった。小さな魚もちらほら。




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この間、アテネの友人と連絡を取ると、アテネは雷雨が来ていたようだった。こちらは、ご覧の快晴。ラッキーだった。



午後5時前に退散し、また海岸をテクテク歩きながら港へ。また高速船(ハイドロフォイル)でピレウスの港に向かったが、どうも何かが違う、このスピード感と閉塞感がニューヨークや東京みたいで嫌になり、結局ピレウスまでのチケット(15ユーロ)を買っていたにも関わらず、エギナ島で途中下船してしまった。



そして、速攻でここから大型の鈍行フェリーの切符(8ユーロ)を買い直し、ゆっくり船旅でアテネに戻った。





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そんなこんなでアテネに戻り、夕食と称してもう一度Monastraki広場でスブラキを食す。二日で3回も食べると、うまいのはうまいのだが、スブラキ達の結構微妙な差も分かるようになってくるのは食い過ぎだろうか。



スブラキの後、最後にもう一度プラカを散策。そこで昔住んでいた時にどうしても欲しかった、大理石製(厳密にはティノス島の緑色大理石とクレタ島のオニックスと黒色、白色大理石のミックス)のチェス板をみつけ、悩んだ挙句に駒(これも緑と白の大理石)と共に購入。大理石のチェス版は昔から欲しかったのだが、自分のお小遣いでは高くて手が出ず、結局買えずに今に至っていた。一式定価120ユーロを、交渉の末最終的には75ユーロで購入。今回買ったのは、昔欲しかったものよりは小型だが、十分重厚感はあって、これは一生モノにするつもり。





と、チェス板を買っていそいそとシンタグマ(憲法)広場を通過すると、デモが。まあ、この時期のアテネでデモを見ない方が不思議だろうか。明日は交通機関のゼネストだそうだ。





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古い思い出と新しい思い出がミックスした状態で、明日、もうアテネ旅行は終了してしまう。



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2010-06-28 10:04:25

ルーツ探しの旅②~6月26日(日)~‏

テーマ:旅行

時差ぼけでなかなか寝付けず、朝起きるとなんと午前11時を過ぎていた!


ということで支度して急いでホテルを出る。


昔住んでいた、アテネ北部の住宅街、Paleo Pyshiko(パレオプシヒコ)から回る。


これが住宅街の様子↓松の木の香りが強いのが印象的である。



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家に近づくと、まだ希望に満ちていた若い頃の自分がすぐそこに出てくるような来て、タイムスリップしたような不思議な気分になった。


到着。昔の家は、思いっきり改装中であった。


今回の旅は何もかも記憶より小さく見えるのだが、家だけは記憶より大きかった。平屋建ての一軒屋だったのだが、昔と同じ建物はそのままで、今にでも父親や弟がでてきそうだった。昔、庭だったところには更にもう一軒結構大きな家が建設されている最中で、結構大きな家だったことを実感。しかし、真ん中にオリーブの木が生えていて、父親が大事にしていた庭はもう見る影もなかった。ここに住み着いていたリクガメは今頃どうしているのだろうか。


余談だが、この家の隣には昔、パパンドロー(Papandreau)という、当時の首相の息子が住んでいて、当時は確か外務大臣かなにかで警察が常駐していた。今、彼はギリシャのパパンドロー首相である。別に個人的に話したこともないので関係ないけれど。



家を見学し終わり、今度はLykavitos(リカビトス)の丘へ。この郊外の住宅街に引っ越す前はこの丘の麓のKolonaki(コロナキ)地区のアパートに住んでいたので、この丘は何度も上り、下った思い出がある。この丘の頂上からのアテネの眺めが絶景なのである。次いでに言うと、両親が手をつないで丘を降りていたシーンが頭に焼き付いて離れない。日本から遠く離れた異国の地でも、父についていった母の絵である。




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この写真の正面がアクロポリスのパルテノン神殿。右下にあるのがリガビトス公園という、やはり小さな岩山がある公園で、その岩山の頂上の右上にあるアパートが、郊外に移る前に昔住んでいたアパートである。この4階だったろうか。このアパートからは正面にその岩山と、その向こうにリガビトスの丘が見え、南方向を見ると、遠くにアクロポリスが見えた。


サボテンやアロエが生い茂るリガビトスの丘を歩いて下りた。エネルギーの塊だったような昔を思い出し、ちょっと小走りに降りていった。そして、昔住んでいたアパートに行く。今にでも人懐っこい、ずんぐりむっくりのギリシャ人の管理人が出てきてくれそうだったが、当然そんな人はでてこなかった。代わりに、アパートの前の岩山に行って見る。


この岩山はただの岩山で、結構急なのだが、昔、この丘を頂上まで登った記憶がある。まあ、むかしはロッククライミングをやっていたのも事実だが。今でも上れるか、荷物を置いて挑戦してみた。余談であるが、昔、両親は東京都心から、鎌倉の家への引越しを検討し、断念した経緯がある。中学の頃だろうか。理由は、庭にある裏山の断崖絶壁を僕が登ろうとして怪我をしそうだったから(笑)。ま、そういうことなのであろう。


で、上ってみたが、途中までで断念。残念だが、引き返した。どうして昔は上れたのか、不思議な気分になった。



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(これが下から見た岩山。サボテンが見えるところまでは今回上ったが、そこが関の山だった)


岩壁制覇の夢に破れた後、最近デモなどでニュースを賑わせている憲法広場(シンタグマ)広場を通り、ランチを食べにMonastraki(モナストラキ)広場へ。ここで昔食べたスブラキが本当に美味しかった記憶があり、ここでまたスブラキを食べたいと、この20年間思いを寄せていたのである。本当に長い間待った。これを食べにギリシャに来た、といっても過言ではないかもしれない。


正確な店を忘れていたので、広場について、ブラックベリーで"best souvlaki Athens"でググると、一発ででてきた。"Thanassis"である。世の中本当に便利になったものである。


既に3時を回っていて、朝から何も食べていなかったので、腹が減っている感じが顔に出ちゃっていたたのかもしれない。注文すると、英語はしゃべれないけれども人懐っこそうなおじさんが、「ほれ、食べてごらん」といった感じで差し出してくれた。もう食べなくても満足だった。


アメリカで見るGyroよりは、一回り小さく、なん回りもうまそうだったが、食べてみると、天国に行ってしまった。


本当に美味しい。この味だ。忘れかけているのに忘れられない味。玉ねぎとポークとトマトと何かのスパイスとピタパンが渾然一体となった味。余計なソースなど何もない。この味を捜し求めて東京でもアメリカでも色々試しているのだが、未だに出会えない。



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これで一個1.85ユーロ(約200円強)という安さも嬉しい。


500mlのコーラを買って、広場に座って食べると、あまりに美味しさでコーラもスブラキもあっという間になくなってしまった。


そこでまたお店に戻り、もう一個買いに行ってしまった♪。本当は二個も食べるもんじゃないのだが。でもこれなら毎日でも食べられる。


スブラキを食べた後は、アクロポリスを上り、下り、新しいアクロポリス博物館に寄った後、プラカを散策。




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みやげ物やタベルナで知られるプラカだが、実は知る人ぞ知る、Michikoという日本料理レストランもあった。


Michikoはギリシャは勿論、70年代に中東に駐在していた日本人駐在員の間では有名なレストランで、元々はレバノンに開店した。


レバノンで紛争が起きて営業が続けられなくなってからはアテネに移転した。アテネもヨーロッパといえど、ヨーロッパの外れで文化的にはアジアっぽい感じもあるのだが、当時、中東の駐在員は「ヨーロッパ」を求めてよく出張や休暇でアテネに来ていたので、Michikoは当時のアテネ駐在員と中東駐在員の一種社交場のようになっていた、レストラン以上の役割を果たしていたレストランであった。Michikoさんというオーナー自身、肝っ玉母さんのような人で、大きな体と、屈託のない大きな笑い声が印象的で、僕も彼女をよく覚えていたし、彼女は父を気に入っているようだった(今思うと、家族の前で父を立てていただけかもしれない、とも思うが^^;) でも、父が盛んに「いかにも慶應ボーイ」と言われている様子は目撃したことはこの先もこの後もない)。



そんな感じのMichikoレストランなのだが、90年代にMichikoさんが亡くなり、レバノンから数十年続いたレストランもついに閉店したと父から聞いた気がした。しかし今回、ネットで検索すると、英語のサイトで、


Michiko
Kidathineon 27, Plaka
Athens
Phone: 01/322-0980

This reliable favorite, set in a gracious Plaka mansion with a garden

shaded by a giant fig tree, has been around for more than 20 years,

serving decorative, meticulously prepared Japanese dishes. An

authentic sushi and sashimi bar has its own chef. Special menus offer a sampling of

some of the best dishes. AE, DC, MC, V. Closed Sun. No lunch Sat.


とあるので、行ってみた。



行かなければよかった。店はとうに閉店し、草が生い茂っていた。「つわものどもが夢の跡」的な、悲しさがあった。Plakaのど真ん中にあり、往来もあって周りは活気があるのにここだけが静まり返っているので、それが悲しさを倍増させるのであろう。一つの時代が過ぎた、という現実を否応にも直視しなければならない瞬間だった。



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最後にAgora(アゴラ。古代マーケット史跡)を周った。ここにも小さな博物館があるのだが、紀元前のガラス製の「香水入れ」を見てびっくり。いつも思うのだが、何故一握りの人達だけ極端に文化が進んだのだろうか。


ホテルに戻り、8時からアテネのMeat Packing Districtとも言うべき、この10年くらいで急発展した再開発地域(Ceramicos)地区で昨日の友人とギリシャ料理のディナー。ここは元々都市ガスの工場があって、元々はとても産業的な場所で、20年前は全く衰退していた場所だったのだが、工場が閉鎖してからはそこをオブジェ的に残し、展示場的に使いながら、周辺を再開発したのである。なるほど、行ってみれば若者で溢れかえり、お洒落なレストランが処狭しと、何ブロックも続いていた。どれもマンハッタン、東京、LA、ロンドンのどこにあっても、超人気店になりそうなお店である。麻布のお洒落なオープンテラスのレストランが、100軒くらい並んでいる、といえば想像してもらえるだろうか。アテネの人はこういうお店に簡単にアクセスできていいな、とつくづく思った。



今回のアテネ探訪でもう一つ気づいたことがある。


Syntagma(憲法)広場に着くと、そういえばあそこに日本航空のオフィスがあったな、とふと思った瞬間から気づいたことである。


勿論ここには最早JALは飛んでいない。もうアテネ線が廃止されてから随分経つ。余談だが、僕が「最も空いた飛行機」に乗ったのはこのギリシャ時代だった。これまた最早飛んでいないのだが、当時はオリンピック航空が成田アテネの直行便を出していて、ジャンボジェット機に僕を含めて4人しか乗っていなかったことがあったのだ。幽霊飛行機のような非現実的な光景だった。当時、丁度第一次湾岸戦争が起きていて、日本では海外旅行自粛みたいな雰囲気と、特に中東上空を通る飛行機はいつ撃ち落とされるかもしれない、という雰囲気(?)もあって、アテネ便のような南回りのフライトは極端に敬遠されていたのだ。4人の乗客のうち、もう一人はアテネ総領事のご家族で顔見知りだったので、飛行機の半分は知り合い(?)という不思議な旅だった。



話を戻す。もう一つの感慨は、日本へはもう直行便が飛んでいないことに象徴される、アテネでの相対的な日本の地盤沈下である。


昔はPlakaには日本語のガイドがあちこちに売られていた。今はほとんど売っていない。代わりに目立つのは、中国語のパンフレットである。


昔はPlakaを歩くと、日本人と分かるとタベルナの店員は決まってカタコトの日本語で勧誘をしてきた。今は誰も何も言ってこない。一人も。日本人が少ないのかしれないし、中国人に間違えて日本語で声をかけて、相手の気分を害したくないのかもしれない。


実際、アクロポリスを含め、今日一日ですれ違った東アジア系の人達の中で、日本人と確認したのは一組しかいなかった。それ以外は殆ど中国系だった。後は若い韓国系のカップルなど。


昔はアテネは日本人観光客が老若男女問わずに大量にいて、海外にいながらもいつでも日本人の友人ができる!ような気持ちで居られたのとは偉い違いである。


今日も夕食時、ギリシャ人の友人(まあ半分はデンマーク人だが)とそういう話をしていて、国が成熟すると共に観光に行く先も多様化して、ロンドンパリのような定番から南米や南極やアフリカと多様化するものという話はしたものの(ギリシャも同じらしい)、でもアテネで見る違いは一種の定点観測のデータとして、やはり20年間に亘るゆっくりした日本の地盤沈下、中国の台頭とも無縁ではない気がして、少し複雑な気持ちになった。





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2010-06-27 08:25:43

ルーツ探しの旅①~6月26日(土)~‏

テーマ:旅行

突然に聞こえるかもしれないが、旅に出た。



しかも自分探しの旅、とも言える旅行に。自分とじっくり向き合う時間が欲しかったのだ。



現在来ているのはここ↓写真を見ただけで分かるだろうか。





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正解は、





ギリシャのアテネである。



実はこれまでここで公に書いたことはないが、高校時代、僕の自宅はアテネにあった。ちょっとした、というか、かなりのセンチメンタルジャーニーで来ている。高校時代、大好きだったギリシャ。実に20年ぶりにこの地に踏み入れたのだが、空港も新しくなり、道も新しくなり、変貌ぶりに驚いてしまった。オリンピックで相当変わった、というのは聞いたことがあったが、本当に変わっていた。しかし、乾いた空気、日差しの強さ、地中海性の風土は変わらずで、ちょっと小躍り。



金曜日の夜のアリタリアで先ずローマに向かったのだが、先ずちょっとしたハプニングがあった。JFKにフライト1時間45分前頃に到着したのだが、時既に遅し。オーバーブックで客が溢れていた。係員曰く、「最終チェックイン時間は1時間45分前なので、皆様の席はもうない。でも努力はするので待って欲しい。しかし皆さんのフライトは今晩はもうないかもしれない」などとわけの分からないことを言っている。しかも待たされている人は何故か僕も含め、全員デルタ経由予約した乗客である。


なんとなくこのまま待っていると乗れなさそうな気がしたので、「僕はアリタリアでアテネに行く」、というと、暫くして列から僕だけ呼ばれ、ちょっと離れたカウンターへ。


「他の客には内緒にして欲しいけど、あなたはビジネスクラスにアップグレードして載せてあげる。今日はあなたはラッキーよ」


と、飛び上がるようにうれしいことを言ってくれた。しかも今回はアメックスのポイントで買ったチケットだったので、もともと無料だったのだ。ま、最終的には他の客もエコノミーにはなんとか乗れたようではあったが幸先の良いスタート。実は僕はこれまで随分飛行機に乗っているのに、満席でアップグレードされたのは初めての経験であった。


元々飛行機の中では寝るつもりで家で夕食を済ませていたのだが、アリタリアのビジネスクラスの食事も是非試さなければと気が済まなくなり、結局Chianti Classicoと共にフルコースを完食。おなかはかなり一杯だったのだが、前菜のプロシュートが美味しすぎて、そのままガッツリ行ってしまった。Primo piattoのパスタ(tagliatelle)も本当に美味しくてびっくり。飛行機のパスタでこんなに美味しくできるの?と思うほど。ヒレステーキもまあまあ。JALのファーストクラスは流石にうまかったが、ビジネスクラスで比較すると、エールフランス、BA、アリタリアの何れにも軍配が上がる気がする。アメリカンよりはJALの方が良かった気がするが。



ローマはFiumicinoにつくと、これまた空港がすっかりきれいになっていてびっくり。昔のローマ空港とは全く違う。あちらこちらにワインバーやらサンドウィッチ(panini)屋があり、おいしそうで全部試食したくなったが、流石に昨日夕食を二回食べてしまった為に食事はせず、おとなしくアテネ行きの飛行機を待つ。


そしてアテネにつき、タクシーに乗る。途中、昔よく両親が買出しをしていたスーパー、「AB(アルファーベーター)」が見えて、懐かしさがこみ上げてくる。タクシーはアテネヒルトンに到着。昔からあるホテルなので、泊ったことはなかったものの期待していなかったのだが、6年前に大幅改装されたとかで、中は申し分ないきれいさ。プールも快適な感じで、ワールドカップサッカーが見れるようになっていた。屋上のルーフトップバーはかなりswankyでいい感じ。これがLAやニューヨークにあったら、間違いなく一番人気のルーフトップバーになると思う↓


http://www.breathtakingathens.com/node/5000354




ルーフトップバーをちょっとのぞいた時に撮ったアクロポリス↓





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この後、高校時代のギリシャ人友人と待ち合わせ、昔僕が住んでいたKolonaki地区のカフェへ行って色々(観光の)打ち合わせ。明日も夕食を一緒に食べることになっていて、今晩はこの友人は予定があるので現在のアテネについてアップデートしてもらい、色々アドバイスをもらった。彼女はNYCにも旅行で来て昨年会ったので、一年半ぶりの再会。色々話したが、デンマーク人のハーフなので、ワールドカップの話題だけは触れられず(苦笑)。


友人と別れた後、僕はKolonaki地区のレストランに入り、オープンエアのテーブルに座り、懐かしいアテネの夏の夜の空気を感じながら、W杯アメリカ対ガーナを見つつ、どうしてもアテネに来て食べたかったものを注文した。




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それは別に典型的なギリシャ料理、というわけではないのだが、Greek Saladとローストチキンである。



なんか、昔本当にこれが好きで、アメリカでも時々頼んでいるのだが、何かが違うのでもう一回頼んでみたかったのだ。



Greek saladはトマトときゅうりの味が濃くて美味しい。オリーブ油も美味しい。フェタチーズもきつ過ぎず、うるさすぎずちょうど良い。アテネに住んでいた頃、トマトの味が濃い!と母親が喜んでいたことを思い出した。


ローストチキンも美味しかった。丁度良い焼き加減で、ジューシー。レモン汁の聞いたローストポテトも美味しい。アメリカでもgreek saladもローストチキンもあるのに、何故かアテネの方がうまいのは、何故だろう、と不思議に思ってしまった。これなら本当に毎日でも食べられる。




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同時に、昔美味しいと思っていたものが今でもおいしく感じられることがちょっと嬉しかった。記憶が美化しているわけでもなく、昔の舌が未発達だったわけでもなく、あの頃美味しいと思いながら食べていたものが今でも美味しい、と確認できたのが嬉しい。


明日は本格的に観光の予定。


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2010-06-25 21:54:20

涙が止まらない~6月25日(金)~‏

テーマ:ブログ

ワールドカップ2010、日本vsデンマーク。


NYCでは昨日午後2時からやっていたのが、当然仕事中なのでテレビは見られず。が、CBSsports.comでなぜかスペイン語放送の生中継ストリーミングが見られるとの情報が伝わり、ちょくちょく画面を切り替えながら見て、心の中で日本の勝利を祝福した。


昨日は会食があり、家に帰ってから録画した試合を見ていたのが、いつものごとくいつの間にかソファーで爆睡眠。


なので朝、目が覚めてからもう一度じっくり見て、今終わったところ。


涙が止まらない。


本田の鮮やかな3点目。思えば、日本も本当に遠くへ来たものだ、とつくづく思う。サッカーで欧州勢に勝つ、なんて子供の頃は夢のまた夢だった。しかもW杯で。


今回のW杯で他に思ったことは二つ。


昔ほどアフリカ勢が怖くない。カメルーンと言えば、90年イタリアのW杯のRoger Millerが強烈に印象に残っているが、アルゼンチンを破ったあの頃のカメルーンは、身体能力をフルに生かしたサッカーで、ボールの軌跡が他のチームの試合と違い、なんだか予想ができなくて面白かったのを覚えている。


ところで今のアフリカのチームは、欧州サッカーの影響を強く受けてしまったのか、なんだかまとまっていて、予想がついてしまう面白くないサッカーをしている。今回アフリカ勢は苦戦しているが、予想ができるサッカーをしているうちは欧州勢も怖くないから、さもありなん、と思う。



次に、南米勢、アメリカ、メキシコ、日本、韓国の強さ、そしてニュージーランド、オーストラリア、北朝鮮(ブラジル戦)の健闘を見て、漸くサッカーが本当にグローバルになったな、ということを思う。


そもそも、世界の一角でしかない欧州の、それも一握りの国の一握りの選手が圧倒的にうまく、お金を稼いでいる状況というのはsustainableなモデルではない、と昔から思っていた。サッカーがグローバルになればなるほど、欧州辺倒の傾向は是正される筈である。そういう意味で、スター気取りばかりで無様なサッカーをしたフランス、イタリアの敗退はさもありなんだし、両国民にとっては今回の成績が例外なのかもしれないが、長期でみればこれからよくあることの一端が実現しただけ、just a sign of things to comeと思う。長期といってもかなりの長期かもしれないが。



日本がんばれー。みんながんばれー。Let the best team win!







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