退屈な入院生活 | 大山格のブログ

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おもに歴史について綴っていきます。
実証を重んじます。妄想で歴史を論じようとする人はサヨウナラ。

 入院2日目にCCUから出ると、尿道カテーテルからは開放されました。それが入っている間、自分の意志とは関わりなく尿が出るのは不思議な感覚でしたし、常に残尿感のような違和感があって不快だったので、ずいぶんスッキリしたものです。管を引き抜かれたあとも、その翌日までは小用のたびに違和感が残ってました。
 それ以後、出した尿はカップに受け、機械を通して比重と量とを測っていました。点滴の利尿剤は効きが良く、どんどん体重が減って、むくんでいた足はスッキリしていきました。入院中は水分を口から飲むのは一日あたり1000mlまでと制限され、お茶か水に限られました。

 そもそも私は頭の回転が良い方ではありません。たぶんですが、血糖値があがると脳味噌が少し早く回転するような気がして、なにせ頭脳労働ですから、しんどくなると甘い物を食べたり飲んだりしていました。そのせいで肥満し、心臓にも負担を掛けていたのでしょう。

 だったら商売替えを考えた方が良いのでしょうが、いまさらねぇ。古書の電子覆刻だったら、頭の回転よりむしろ根気で、最低限の知識さえあれば出来ますから、そっちの方向で活動するかなぁなどと考えてました。分析とか、考究とか、頭を回転させる方面はつらそうですから。

 そんなことを考えつくすくらいに病棟ではヒマでした。とりあえずは薬の効果で余計な水分を出し切るのを待つだけなのです。循環器内科病棟では携帯スマホは禁止です。いまの携帯は心臓ペースメーカーなどに干渉することはないのですが、入院患者が無線式の心電図モニタをつけているし、ほかにも様々な電子機器を検査に使うので、電波を使うものはNGでしたし、もちろんPCも禁止。外部との連絡手段がないのです。郵便を出そうにも、ポストまで行けません。ことに仕事に関わることとなると、面会に来ていただくほかありません。姪に頼んで代理ツイートしてもらって、入院の状況をお伝えして、実際、面会においでいただたりして、御迷惑をおかけしました。

 ここで話を戻して、ヒマとの戦いについてです。

 入院3日目には病棟内での行動がフリーになり、たしか5日目だったか、地下売店まで行くことが許可されました。さっそく売店にあったナノブロック東京タワーを購入しましたが、小サイズだったため2日間で竣工しちゃいました。かねて覚悟の長期入院なら、史料を山ほど持ち込んで読みふけったことでしょうが、手ぶらで来てしまいましたからね。広尾病院は徒歩10分で都立図書館まで行ける場所ですが、点滴をしていては一時外出も許可されません。口惜しかった。

 さて、一週間が過ぎた頃には体重が6kgほど減って、ほどよく水分が抜けたようです。ここで心臓カテーテル検査をしました。手首の動脈から機械を突っ込んで心臓まで送り込み、いろいろな検査をするのです。それによって心臓の状態が明々白々になるという寸法です。
 その結果、やはり心臓を取り巻く血管が詰まり気味だとわかりました。その一部については心臓カテーテルを使って内側から血管を広げようということになりました。そして、外科手術でもバイパスをつくった方が良いと、治療方針が定まりました。(今上も同様の心臓バイパス手術をなさいましたね)
 このときは検査までで終えました。また後日、心臓カテーテルを用いた治療をおこなうのですが、その様子は、また次回。