ワーホリ前夜④ | 大正と平成のあいだ

大正と平成のあいだ

$800を握りしめオーストラリアに到着。

現代版自給自足生活が幕をあける・・・

そして、スカイプなどをはじめてから

たぶん、四か月くらいだったろうか


徐々に、文法書を見る機会が減り始めた


辞書はあいかわらず必要だったが


とにかく、変化が表れ始めていた。



読むときには


文法書・・・ほとんどいらない

辞書・・・単語を引くのに結構使う

書くときには


文法書・・・わりと使う

辞書・・・あんまり使わない。


というようなレベルだったと思う。



話が前後しまくったり


乱雑で申し訳ないのだけれど



ま、とにかく、英語だけは毎日やっていた。

そして、教授から

「お前はこのまま大学院にいっても無意味だ


人生をよく考え直せ」


と言われた時



「ん、そういえば・・・


おれはいつのまにか英語を毎日やるようになっている。

正直、今の俺に英語のない生活なんて考えられないくらいに・・・」


と思い当った。



そしてまた、


「俺は生まれてこの方


かぞえきれないくらい”口が達者”とか”口先だけ”

と言われてきた。


幼稚園の年少のころから

すでに言われていたのを覚えている。

良くも悪くも口だけは動く。

それに、実際、自分でもしゃべるのは好きだ。


間違いない、おれの武器は口


もしくはそれを思いつく脳みそだ。


英語と口、言語と口・・・


まさにピッタリの組み合わせではないだろうか?


英語の文法を極めることは、万人にできるかもしれない。


けれど、それを実際に使う時にはかならず技量の差がでる。


文法は努力でいけても、言葉のセンスだけは才能だ。


おれの、もってうまれた口の軽さ、頭の回転の速さ


それを武器に、英語の世界で戦える。」



本当は、もっといろいろ考えたし


もっといろいろ怒っているのだけれど


だいたい要点はこんな感じで進んでいった。



そして、決断の時が来た

最終的には、教授からも


「お前の最後の追い込みはデュランダル並みだった。


このままなら、大学院にいってもやっていけるだろう」


といってもらえるくらい、評価は戻した。


しかし、俺の出した結論はこうだった。


「大学院を辞退し、バイトをしながら


大学に入りなおすのか


または他のことをするのかなどを考える。」



親からはびっくりして屁が出るほど反対された。


けど、「うるさいバカ、おれは決めたんだ」と言い続けた。



ここらへんでも37悶着ぐらいあったのだが


まぁとにかく、無事大学を卒業し


大学院を辞退した。


そして、先はなにも見えないまま


金を貯めるためにバイトをしていくことになった。



この時、2011年三月である。


そう、あの大地震が日本を襲ったころだ。



最初は東京に行って


いとこの家に居候する気だったのだが


当時は計画停電がどうのこうのとかで


なんか大変そうな気配がただよっていた。



結局は、親の家がある大阪に行き


そこでバイト探すことになった。



つづく・・・