ワーホリ前夜⑤ | 大正と平成のあいだ

大正と平成のあいだ

$800を握りしめオーストラリアに到着。

現代版自給自足生活が幕をあける・・・

大学を卒業し、大学院を辞退し


何の保証もなく、先もはっきりしない中


おれは、一人大阪の地へと降り立った。



この時から、少しは、ワーホリを意識していた


ただ、あくまで選択肢の一つで


ワーホリ、大学に入りなおす


専門学校、英語系の大学院に入る。


などの一つだった。



ま、ただ


「知り合いもいなければ


言葉も微妙に違う。


文化も関東とは微妙に違う。


これは、もし、ワーホリに行くことになった場合の


いい訓練になるだろう。」


と、少し思っていた。



今のおれが、過去の俺に言えるなら


「いや、それの10倍ツライ」


という金言を授けるだろう。



大阪なんて所詮日本なんである。


けど、当時の俺は、かなりビビっていた。


まわりはみな関西弁をしゃべっている。


標準語でしゃべるのが微妙に恥ずかしかったりした。



そんな中で、バイト探しを始めたのであるが


これがなかなかうまくいかなかった。


「バイトなんてすぐにみつかるだろ」


と思っていたのだが


全然だめだった。



ここらへんも色々分析しだすと長くなるので


結果だけを書いていくと、



四月に開始


一か月間、五か所くらいまわるも全部不採用。


五月に入り、ついにバイト先を見つける。


ほぼ同時に、もう一か所も見つかる。



一つはラーメン屋で


一つは家庭教師だった。



そのラーメン屋でバイトしたことは


とてもいい経験で


それのおかげで関西のことがちょっと好きになった。



五月の頭にバイトを始め


それと同時に


次にどうするかを考え始めた。



最初は、とりあえず一年ぐらいバイトして


100万くらいためよう


と、ちょー漠然と思っていた。



けど、次第に、「ワーホリ」という存在が


自分の中で大きくなってきたのである。



大学や院への入学も考えたけれど


入試の勉強をまたするのはバカらしいし


「英米文科」みたいな名前にもぴんと来なかった


そんなところで、本当に俺の探すものに会えるのだろか?


そう思って、大学や、大学院へ入学という選択肢は


小さくなっていた。



とにかく、六月くらいから


ワーホリのことを考え始めた


最初は100万くらいいるのかと思っていたけれど


実際、30万もあれば大丈夫そうだった。



はっきり言えば


「アホが基準で100万なんだろ?」


おれはアホじゃないから三分の一でも


多いくらいじゃ!


と思っていた。



まぁ、ここらへんは


実際、アホとかどうとかではなく


やりたいこと次第だと思う。



俺と同じような


「無謀な挑戦」に輝きを覚えるなら


必要資金は


飛行機のチケット+10万


で十分すぎるほどだ。


エージェントだとか保険だとか


絶対にいらない。



ただ、エージェントを使ったことは一度もないけど


「ああ、エージェントつかってみて~~」


と思ったことは何度かある。



まぁ、それで、ワーホリに行くことを決意したのち


あんなことやこんなことがあり


そしてまた、そんなことやあんなことがあり


こんなことがあって


出発は9月18日になった。



出発前にしたことはほぼなにもない


オーストラリアについての知識


「英語を話す」


行く前の準備


「ホームステイ先だけネットで見つけた。」



はっきり言って


フリチンでアマゾンにいくようなものだったと思う。


「全て現地調達じゃ!!」


おれは、自分に理由のない自信を抱いていた。



そして、9月18日


一人の日本人がシドニー国際空港に降り立った。



つらく、苦しく、つらく、苦しく、つらく、苦しい


旅の幕開けであった・・・