「京大生ボート部、琵琶湖失踪事件」 | 新・坊主日記

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2007年2月22日からブラジルの、サンパウロ別院でお仕事をする事になりました。
日本とは場所も言葉も文化も違うところですが、人間が喜怒哀楽の中で生きているのは同じです。
沢山の人たちに出会って共に学び合いたい!
坊主日記、2014年からはマリリア編に突入!

とうホームページで平成17年6月19日、大谷大学教授の延塚知道先生を迎えての光雲会(法話会) の紹介をしていますが、その時に話された、こぼれ話を一つ紹介します!

第二、「京大生ボート部、琵琶湖失踪事件」


ある日京大のボート部が琵琶湖で練習中に転覆して全員死亡した。という事件が起こった。

当初、関係者はみんな首を捻った。
なぜなら、琵琶湖がいくら日本一の湖だといっても、湖のどの位置にいても対岸が見えるくらいの広さなのだ。ボートが転覆しても岸に向かって泳げばたどり着くはずなのである。

ましてや、屈強なボート部の男ならば、楽々岸までたどり着けるはずである。

なぜ、全員死亡してしまったのだろうか・・・?
琵琶湖

しばらくしてその理由が判明した。
ボートが転覆したその日は濃い霧がかかっていた。
だから、対岸が見えなかったのである。

しかし、いくら見えなかったからといっても、まっすぐ泳げば、自然と岸にたどり着くはず。
それなのに何故?

人間は左右の筋肉のバランスが均一でないから、本人はまっすぐ泳いでいるつもりでも。まっすぐには進んでおらず、ぐるぐると大きな弧を描いてしまうそうである。

(プールで目をつむって泳いでみるとわかります)

結果、いつまでたっても岸にたどり着けず、力つきて全員死亡してしまったそうなのである。

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中国の仏教者、曇鸞大師の著書『浄土論註』という書物の中に、人間が迷う姿を、尺取り虫に喩えて表している。

尺取り虫を鉢の縁に載せてはわせると、いつまでも縁をグルグルと周り続けている。

尺取り虫はまっすぐ進んでいるつもりだから、同じところを何周もするのであろう。
しゃくとり
この様子を、人間が人生に迷う姿に喩えているのである。

私たち人間も、毎日一生懸命に生きているが、対岸が見えないまま同じところをグルグルと周り続けているのかもしれません。

という話から、枝分かれしたお話でした。
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