2015年1月17日(土)に実施された、平成27年度の大学入試センター試験「国語」の漢文について、本文の現代語訳を作成いたしました。

もし出典の漢字が表示されず、見苦しい記事タイトルになっていたらすみません。(『こうとん文集』『こうとんぶんしゅう』 こう=竹かんむりに「皇」、とん=つちへんに敦


同じく作成いたしました
センター古文の本文訳同様、取り急ぎ作ったため、不確かなところもございますが、少しでも内容の概要把握にお役立ていただけたら幸いです。

お気づきの点はコメントなどでご指導いただけましたら幸いです。よろしくお願いいたします。

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家に一匹の年老いた猫を飼っている。今にも子どもが生まれようしている。(ところが)一人の女童が間違って、これに触ってしまい、老猫は流産してしまった。老猫は昼も夜も悲しんで鳴いている。

たまたま二匹の小さな猫をこの家に贈った者がいた。思うに、最初のうちは、小猫たちは老猫に無関心で、お互い打ち解けずにいたことだろう。老猫はこの小猫に付きまとい、撫で、うろうろしたり足踏みをしたりして落ち着かないでいる。小猫たちが横になると、これを包み、小猫たちがどこかへ行くと、これを手助けする。小猫たちの産毛をなめ、食物を譲ってやる。

小猫たちもまた、長いときが経ち、(老猫と血縁のないことを)忘れるのだ(←ここ自信がないです)。だんだんこの老猫になつき、その結果、その乳をもらうようになった。このときから、小猫たちは喜んでこの老猫が本当に自分の親であると捉えるようになった。老猫の方もまた、安らかな態度で、本当に自分が産んだかのように考えている。ああ、驚異のできごとであるなぁ。

昔、漢の明徳馬后に子どもがいなかった。夫の顕宗は他人の子どもをもらい受け、后に命じてその子を育てさせて言ったことには、

「子どもというものは、自分で産んだかどうかが大事なのではない。子どもは愛が行き届いていないことを恨むだけだ」

と。明徳馬后はそれを受け、心を尽くしてその子を育て、その子(章帝)もまた、親に対する愛情を自然と備えていた。母と子の間の愛情は、つねに、わずかな隔たりさえないほどであった。

猫の話は、ちょうど重なるところがある。そうだとすれば、(今)世間の人が親と子として生まれて、親が子を愛さず、子が親を愛さないことがあるのは、どうしてただ昔の人に対して(漢の明徳馬后と章帝と比較して)恥じるべきことであるだけだろうか。いや、同様に、この猫に対しても恥じるべきことであるのだ。


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都内の大学受験塾に勤務する他、隔週月曜13時に東急セミナーBE古典入門講座を担当しています。また、吉祥寺 古典を読む会も主宰しております(1月18日(日)14時『南総里見八犬伝』)。