吉田裕子BLOG「国語で人生に輝きと潤いを!」 国語講師、古典講座、日本語本

国語を学ぶことで感受性と対話力を磨いたら、人生はもっと楽しいと思う。国語の先生を始めて14年目。(予備校講師、高校教師、カルチャースクール講師(大人向け古典入門講座)、著述家) 東大教養学部・慶應通信(文学部第1類・教職)卒。放送大大学院在学中。

国語講師・著述家の吉田裕子(よしだゆうこ)の最新活動情報をお届けします。著書・講座などのまとまったご案内は、吉田裕子 公式ウェブサイトにございます。

   
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先日、加藤周一さんの『日本の思想』(岩波新書)を手に取ったら、2014年11月に刷られた100刷の本でした。発売から50年以上、今も読み継がれ続けるロングセラー。改めて、すごい本だと思いました。
 
さて、恐れながら、私の著書に「ロングセラー」という言葉をつけて、ご紹介くださっているtweetに気が付きました。
 


こちら、『美しい女性をつくる言葉のお作法』は2014年秋に発売された本ですが、今なお一定のペースでお求めいただけているようです。発売から約2年を経た昨秋、3刷と相成りました。

 
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最近も、お部屋探しのミニミニ(minimini)さまのフリーペーパーでご紹介いただいたとのことです。発売から時を経てなお、こうした機会に恵まれるからこそ、ロングセラーたりえているのではないかと存じます。心より御礼申し上げます。
 
さて、 こちらも、拙著の中でかなりのロングセラーであると評して良いかと存じます。


2013年4月(約4年前)に発売された本ですが、昨年秋にまた増刷がかかりました。(9刷)



そして、これからロングセラーになっていって欲しいなぁ……と願っている本がこちらです。

こちらは昨秋発売の1冊。本日、近所のBOOKSルーエさんにお邪魔したら、たくさん置いていただいておりました。


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こちらの書店では、枻(エイ)出版社のフェアも開催されておりまして、拙著『正しい日本語の使い方』『大人の文章術』も入荷していただいておりました。

 
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色々なところで教えておりましても、教室でお目にかかれる方の人数は限られます。こうして、本という形で、直接お目にかかることのできない方にも、情報をお届けできるというのは素敵なことだなぁと思っております。


また近々、新刊のご案内もできたら、と存じますが、既刊も引き続き、ご愛顧いただけましたら幸いです。

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短編小説の新作を書きました。画像からも分かる通り、今回はコンビニを舞台にした小説です。お読みいただけたら嬉しいですニコニコ

 

『ブラック勤務の果てに見たもの』

 

――「いいね!」なんて、押してやるものか。

 

安田律子はInstagramに上げられた集合写真を見ながら毒づいた。カラフルなスノーボードウェアを着て、雪山でいっせいにジャンプしている写真。そこに写っているのは、コンビニバイトの同僚たちだ。

 

成人の日とつながる3連休。そこで、彼らが揃いも揃って休みを取ったために、律子はこの期間、かなり無理のあるシフトになってしまったのだ。

 

(この続きは天狼院書店ウェブサイトで)


http://tenro-in.com/mediagp/31970

 

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2017年1月14日(土)に実施された、平成29年度入学者向けの大学入試センター試験「国語」の漢文『白石先生遺文』について、本文の現代語訳(全訳、現代日本語訳)を作成いたしました。(古文はこちら

 

取り急ぎ作ったため、不確かなところもございますが、受験生あるいはセンター試験同日模試などを受験した生徒さんにとって、少しでも内容の概要把握にお役立ていただけたら幸いです。

 

お気づきの点はコメントなどでご指導いただけましたら幸いです。よろしくお願いいたします。


【本文書き出し】
聴雷霆於百里之外(雷霆を百里の外に聴けば……)

 

【現代語訳】
 雷鳴を百里離れたところで聞くと、盆を叩いて音を出しているように聞こえ、揚子江や黄河を千里離れたところで見ると、着物の帯をまとうように見えるのは、その離れている距離が大きいからである。だから、千年後の未来にいて、何かを千年の昔に求めるに当たって、あまりに隔たっていることが甚だしいがためにその物に変化が生じていることを知らないと、まるで(剣を落としたときに)舟に印を刻んで、(舟は動いているのにそれを考えず)その目印で剣を探し求めるようなものである。いま探している場所は、以前に剣を失くした場所とは違うのに、舟に付けた印はここにあるからといってそこが失くした場所であると思っている。何と迷走しているではないか。
 

 今、そもそも江戸は世間の言うところの名都・大都市で、高位高官の人の集まるところで、水陸の交通の要所で、本当に天下の大都会である。しかし、その地名である語(=江戸)を、昔において探し求めても、その語を聞かない。なんと、昔と今との隔たりといったら、日々広がり、事物の変化もまたその間にあるではないか。思うに、現在と未来の関係についても、世の中は隔たり、どんどん遠いものとなっていき、事物の変化もますます多く、(未来になってから、現在のことに関して)知りたいと思うことを追求しても得られないというのは、ちょうど、過去と現在の関係のようである(=現在では、過去のことに関して、知りたいと思っても得られないことがある)。


 私はひそかに、このことに関し、感慨深く思うことがある。『遺聞』という本は、このために作ったのである。

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