普通の医者にとっては厄介な存在かも、『赤ひげ』 | 平平凡凡映画評

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映画を観ての感想です。

【タイトル】『赤ひげ

【評価】☆☆☆☆(☆5つが最高)

【監督】黒澤明

【主演】加山雄三、三船敏郎

【製作年】1965年


【あらすじ】

 長崎で医学を学んだ保本は江戸で出世することを考えていたが、保本が命じられたのは小石川診療所での勤務だった。小石川診療所を切り盛りする医師は“赤ひげ”と呼ばれる男で、貧しい庶民に対しても分け隔てなく医療を施していた。上昇志向の強い保本は出世から遠ざかった自らの境遇を嘆き赤ひげに反発するが、献身的に診療する赤ひげの姿を目の当たりにすることで、医療や庶民に対する考え方を改めていく。


【感想】

 「赤ひげ」は、黒澤明の集大成といわれる映画。公開は1965年、黒澤明が55歳のとき。名実共に巨匠と呼ばれていた時代に違いない。そしてこの「赤ひげ」以降、製作のペースががくんと落ちる。ハリウッド進出の話しが舞い込んだりもしたようだが、実現することはなかった。こだわりにこだわり、時間や製作費など眼中にないという黒澤明のスタイルは、資本の出し手である映画会社との間に軋轢を生んでしまうのだろう。


 この「赤ひげ」も製作に2年の歳月を費やしたという。厚みのある映画なのは確かだが、さすがに2年をかけた映画だと言われるとちょっと驚きを感じる。贅沢な映画製作ではあったのだろうが、黒澤明のやり方に綻びが生じていたのかもしれない。スクリーンに映し出されることのない細かな小道具にもこだわっていたという。また白黒映画にも関わらず、赤ひげ役の三船敏郎はひげを赤く染めたという。凄まじい執念といったところか。


 映画の中で、監督の果たす役割はどのくらいの大きさなのだろう。きっと黒澤映画においては、黒澤明の判断や美意識が大きな割合を占めているはず。監督の個性が色濃く反映されているような気がする。何から何まで自分でやらないと気がすまない、という性格もあるのだろう。そして天才的な閃きを持つ完璧主義者という反面、現場では多くの敵を作ったに違いない。一緒に働くには相当な覚悟が要りそう。


 しかし個人の感性が、これでもかというほど強く打ち出された映画は異彩を放つ。時代と噛み合えば大きな爆発力を得たりもする。1950年代から1960年代の中頃まで、まさに時代は黒澤明のものだった。そんな気がする。この時期に製作された作品のラインナップを眺めると、羨ましいくらいに豪華な名作が並びに並ぶ。これだけの作品を遺せたからこそ“世界のクロサワ”なのだろう。


 しかし、時代は常に変化するようだ。カリスマ性のあるワンマン社長が自信満々に語る経営方針も、どこかで齟齬をきたすのが世の常。黒澤明の才能をもってしても、時代からのズレは修正できなかったのだろう。個人の能力に頼る映画の作り方は、個人の能力によって大きく左右される。成功はなかなか続かない。時代の先端を走り続けることは、誰にも出来ないような気がしてくる。


 この「赤ひげ」は、文句なしに面白い映画だった。山本周五郎の原作が良かったせいもあるのだろうが、安っぽい世界に流れることはなかった。こういうヒューマニズムを題材にすると、薄っぺらい映画になったりするが、さすが黒澤明といった感じの足腰の強さを見せていた。たださすがに、後半は冗長だったかもしれない。子供を絡めるといいお話しになりすぎる。