Thu 090723 大阪京橋講演会 祇園祭の八坂神社 祇園「てる子」の角で「てる子」を想う | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 090723 大阪京橋講演会 祇園祭の八坂神社 祇園「てる子」の角で「てる子」を想う

 天満橋には17時に着いて、講演開始18時、出席者130名、終了21時。「この時期の講演会は高3生ではなく、高校1年生と2年生を主体に」というコンセプト通り、非受験学年の生徒だけでこんなに集めてくださったスタッフに感謝、講演自体も大成功である。スタッフの「井筒姉妹」が、驚くほどテキパキと仕事をこなしていく姿に感動する。終了直前に、それまでずっと立ったままで聞いていた別の女性スタッフが貧血で突然気を失い(きっと私の話が面白すぎたのだ)、(おそらく笑いすぎて)のけぞったハズミに後ろに倒れこんで、ガラス窓に激しく頭をぶつけるというハプニングもあったが、幸いなことに、大事に至らずに済んだ。ただし、ガラスが割れたりしたら、それなりに大ケガをする可能性もあったわけで、あくまで無理をしないこと。スタッフとはいっても、90分も100分も立ったままで聞きつづけるなどという重労働は、やめにしたほうがいい。


 「熊本、姫路と2晩続けて飲みましたから」ということで、お食事会は丁重にお断りして、京阪特急で京都に戻った。大阪も浴衣姿が目立っていたが、祇園四条で駅の外に出ると、四条から八坂神社に向かう通りは車両の通行が禁止(昔風に言えば歩行者天国)になっていて、浴衣姿で歩いている女性が圧倒的に多い。お祭り、宵山、そういうものに付き物の、濃厚で祝祭的で少し暴力的な空気が充満していて、何かのハズミでコワいおにーさんやおっさんに絡まれそうであるが、それでも浴衣の女性たちをかきわけかきわけ八坂神社に向かった。

 

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(夜の八坂神社)


 八坂神社の境内も、祝祭的というより、やはりちょっと暴力的な雰囲気。要するに露天商に占拠されていて、記憶力のいい私なんかは、露天商の配置まで、昨年とほぼ完全に一致することに気づいてしまう。正面に「大衆遊技場」、その隣りが「フランクフルト」「佐世保バーガー」、なぜかその先に「単にキュウリを切って水槽につけだけ」などという大胆で斬新な露天も並んでいる。キュウリを除けば、どれもボリュームたっぷりで、「それを買って食べちゃったら、もう晩飯は食べられません」という感じである。綿菓子とか、風船屋さんとか、金魚すくいとか、穏やかで子供向けで気軽なものは、ほとんど見当たらない。もう夜遅いからなのか、関西の祭はみんなこうなのか、何だか不思議な感じがした。

 

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(八坂神社、境内)


 八坂神社の少し南から祇園に入り、「てる子」という看板の店の角を右に曲がって、目的の店「隠(かくれ)」に入る。「てる子」がどういう種類の「てる子」なのか、どのぐらいの年齢の「てる子」で、どんな性格の「てる子」で、どんな歴史を刻んだ「てる子」なのか、興味は尽きないが、店構えからいっても雰囲気からいっても、どうも有名な名店のようである。


 祇園祭だというのに、このあたりは通りかかる人も行き交うクルマも全くなくて、祭の不思議な静寂が濃厚に沈殿している。客はみんな生粋の京都人とかで、祇園の遊びに精通していて、祭だからといって滅多やたらに路上に座り込んだり、酔っ払って取っ組み合いに及んだり、歌ったり踊ったり、ふざけたりくすぐったり、そういうバカバカしいことはしないで、「てる子」みたいな店で、舞妓さんなり芸妓サンなりを相手に、静かな声で奥ゆかしい会話を楽しんでいるのだ。「野蛮」という名詞(正確には形容動詞の語幹)とは一切関わりのない、大人の祭の世界なのである。おお、さすが「てる子」である。

 

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(「てる子」から「隠」方面に角を曲がったあたりの静寂)


 そう考えてみると、是非「てる子」さんと話がしてみたい。もちろん「てる子」と直接話が出来るところまでは、気の遠くなるようなプロセスが横たわっていて、もちろん「いちげんさんお断り」だから、まず誰か紹介してくれる粋な京都のオジサマと知り合いになって、そのオジサマが偶然、しかも極めて小さな可能性の的の真ん中を射抜いて、「てる子の常連」でなければならない。で、「ええっ、『てる子』の常連でいらっしゃるんですか? あの店の『てる子』サンに憧れておりまして、是非一度連れて行っていただけませんか」とお願いし、しかもオジサマに気に入ってもらって「わかりました、ご一緒しまひょ」と頷いてもらって、それでやっと「てる子」に上がれる。ほとんどカフカ的不条理である。

 

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(「てる子」前を通過する長刀鉾)


 その古風なカフカ的迷宮を抜けて、万が一「てる子」サンに出会えたら、その「てる子」は何代目かの「てる子」である可能性もある。初代は明治の女、いや安政とか慶応年間とか、天保、いや天明、いや秀吉や信長の時代である可能性だって皆無ではない。京都の奥深さは、実際に店に入るよりも、店の前で立ち尽くし、非常識な想像を駆け巡らせているほうが強烈に感じられる。そういう化石的「初代てる子」が家系図の先端に鎮座し、2代目、3代目、4代目と続き、今や「てる子」はX代目である(かもしれない)。


 その一人一人の「てる子」が、一人一人たくさんの馴染みをもち、馴染みの一人一人とダマしたりダマされたり、貢いだり貢がせたり、生きるか死ぬかになったりならなかったり、「田舎モンは、困りますなあ」と、田舎の金持ちや成金をせせら笑ったり笑わなかったり、関西の名家のせがれや財界人を手玉に取ったり取られたり、「てる子」の歴史は、縦にも横にも延々と広がっていき、ほぼ無限大の感情の交錯がこの「てる子」の看板の下で渦巻いたのである。

 

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(長刀鉾は「てる子」の前で5分ほど休憩をとる。店の前には舞妓さんが並び、長刀鉾の人々に飲み物を振るまう。さすがに名店である)

 私のような田舎者は、こんなカフカ的不条理の迷宮からは、尻尾を巻いて逃げておいたほうがいい。「てる子」の静まりかえった角を曲がっても、まだまだ祇園の名店が並んでいるのであるが、そのうちの一軒が、おそらく閉店してオーナーが代わったか、経営形態を現代化したかして、予約さえすれば誰でも入れる普通の料理屋になり、それが「隠」である。昨年もこの店に入り、真夜中すぎに遠くから「長刀鉾」のお囃子の笛が聞こえてきて、外に飛び出し、ちょうどそこにやってきた長刀鉾の後ろについて祇園を歩き回ったのだった(昨年の080718参照)。あの時の印象が強烈だったので、あえて大阪京橋でのお食事会をお断りしてまで、断固としてここにきたのである。