Fri 081226 医師になりたくないなら、安易に医学部を志望するな(1/3) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 081226 医師になりたくないなら、安易に医学部を志望するな(1/3)

 最近の優秀な子供たちは東京大学よりも医学部を目指すらしいので、高2で予備校に真面目に通っているような子供たちには(特に女子には)、医学部志望者が少し異常ではないかと思うぐらいに多い。

 これほど医学部志望者が溢れていて、それなのにテレビのニュースでは医師不足で救急診療が受けられない悲劇や、医師不足で子供が産めない社会の歪みばかり報じられるのは、予備校の現場にいる者としては何だか不可解である。

 そういう状態だから、予備校はどこでも医学部志望者を大量に受け入れようと必死である。医学部志望者だけの専門校舎を立てたり、医学部コースだけに優秀な人気講師を配置したり、医学部受験者だけは特別な個別指導を受けられたり、確かに授業料も高額なのであるが、同じ予備校の他のコースに在籍する生徒たちから見て、少し不公平すぎないか、と思うほどの厚遇ぶりである。

 こういうふうになると、別に医師になりたいという強烈な志望を持っていない者も、医療を志す理由が希薄な者も、そろって医学部を志望するようになる。

 なぜ医学部に行くのかと尋ねると、一応もっともらしいことは答えるのだが、即座に返ってくる彼らの返答は就職活動で志望動機を尋ねられたシューカツ学生のそれ(081224参照)と似たり寄ったりで、いかにもマニュアル的である。「地域医療に尽くしたい」「国際医療に献身したい」「弱い人の力になりたい」あたりが一番多くて、それに若干のバリエーションを加えたものがせいぜいだ。

 

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(ヒモで遊ぶ可愛いキジトラ猫。しかしその下には恐ろしい白い魔物が)

 私自身高校生のときには医学部志望だったのだが、理由は「カッコいいから」。カッコいいので、弁護士にもなりたかったし、作家にもなりたかったし、野球選手にもなりたかったし、大学教授にもなりたかった。

 それら全ては、才能不足と努力ゼロの「ヌルっ点」的な人間性のせいで実現できなかったが、今でさえ野球選手になりたい気持ちは残っていて、ヒマなときはやたらに投球ポーズばかりしているし、弁護士や大学教授や作家なら、今でも何かのハズミで努力と才能(実は同じものなのかもしれないが)を神様かサンタクロースがプレゼントしてくれれば、喜んでなりたいと思っている。

 医者に至っては、これからでも医学部で6年努力してなってみたい気持ちに、1ヶ月に1回ぐらいはなる(もちろん冗談です)。講演で全国を飛び回る時期には、飛行機に乗る機会が増えるが、飛行機に乗るたびに「どなたかお医者さまは搭乗していらっしゃいませんかあ」というCAの呼びかけに「はい」と冷静に手を挙げるカッコいい医師になりたくなるものである。

 まさか「どなたか予備校講師の先生はいらっしゃいませんかあ」という場面はないだろう。正直言って、予備校講師ほど劇的な場面が似合わない間抜けな職業も滅多にないかもしれないのだ。そういえば、森鴎外もチェーホフも加藤周一も、みんな医師である。おお、カッコいい。また受験勉強をする気持ちが盛り上がってくる(もちろん冗談です)。

 だから、駿台論文科の最首悟師に仙台の牛タン屋でご一緒させていただいて、「今井君は、医者に向いている、これからでも、ぜひ医者になりたまえ」と言われたときは嬉しかった。

 当時私は35歳の駿台講師、既にお茶の水本部校舎で東大クラスを担当する(自分で言うのも恥ずかしいが)人気講師。あの年には、夏期講習14講座中12講座を満員締め切りにしてもいた。それでも、最首師にそう言われただけで嬉しくなって、授業の空き時間に駿台の数学や物理のテキストをペラペラめくって「やってみるか」と決意しかけたりもしたのである。

「最首(さいしゅ)悟」という固有名詞を出しても何も感じない人が増えていると思うが、東京大学医学部の学生運動との関係で、たいへんな有名人。東大医学部の教員であり、学生運動に関わりすぎて東大で教授まで進むことなく、当時は駿台で医系論文を教えていた方である。最首先生ご自身は記憶されていないと思うが、仙台名物牛タンをつつきながら「今井君は、注射もクスリもなしに患者を治せるタイプだ」とおっしゃった。

 なるほど、私が調子に乗ってベラベラ話し始めれば、目の前のおじいちゃんの軽い風邪ぐらいなら治りそうだし、ホントに調子に乗れば、少なくとも喋っている間だけは、目の前のおばあちゃんが神経痛の痛みを忘れてくれそうである。おお、カッコいい。いいねえ、そういうお医者。また受験勉強をする気持ちが、さらに盛り上がってくる(もちろん冗談です)。

 

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(白い魔物・拡大図)


 今の医学部志望者はみんな優秀だから、私ほどバカなヤツはもちろんいないし、バカ正直に「カッコいいから」と言ってのける生徒もなかなかいない。みんな「地域医療に貢献」「国際医療に貢献」「高齢化社会の福祉に貢献」およびそのバリエーションである。

 最近は医学部入試に面接試験を行う大学が増えてきたから、実際にマニュアル本もあるのだろうし、予想問答集も書店に並び、各予備校の医学部進学コースなら模擬面接もあり、面接対策専門の講師さえ存在するだろう。

 そういう本や模試や講師がふりだしで、同じような医学部志望動機が優秀な高校生の中に蔓延し、結局、面接を行っても行わなくても同じことになってしまうとしたら、シューカツの面接と何ら違わない、嘆かわしい結果になりかねない。

 しかし、「別に医師になりたいのではなくて、成績優秀な人は医学部を志望するらしいので、何となく」という正直な発言をする人も、残念ながら少なくない。「東京大学で何を勉強したいというワケではないが、成績優秀だったら東大志望は当然」というのは昔からありがちな考え方だが、それが医学部志望者にまで及んできたらしい。

 その傾向は東大理Ⅲとか、京大医学部とか、旧帝国大学医学部など、難関になればなるほど高くなる。ラサール→理Ⅲとか、灘中→灘高→京大医とか、そういうのはまさに昔の「一中→一高→東大」と同じ秀才コースであって、それが「医学部」であっても医師になりたいから医学部なのではなくて、プライドと偏見の賜物としての医学部なのである。

 本来これでは困るので、医学部は医師になるか基礎医学研究に邁進するか、せめて医療行政に携わるか、医学部の門戸はそういう人に限定して開かれるべきである。医師不足を嘆く社会や、救急医療を信頼できない社会は、「医学部を出たのに医師にならない人」たちが増加することによっても、もたらされる部分はあるだろう。

 

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(白い魔物・深夜の仮の姿)


 1ヶ月ほど前、麻生首相が「医者には社会的常識に欠けた人が多い」と発言した時、マスコミの皆さんはお馴染みの「良識的呆れ顔」で呆れてみせ、「呆れましたね」「驚きましたね」「社会的常識に欠けるのはむしろ政治家だ」と頷きあい、医師会だったかの代表が遺憾の意を表し、それで終わりになってしまった。

 しかし、「首相がダメか、資質にかけるか」は別として、口の軽い首相が思わず口にしてしまったということは、マスコミの表面に出てこない国民の心の中に、そういう認識が隠れているということである。

 そこを問題にするならば、なぜ「社会的常識に欠けていると首相に思われてしまうような医者がいるのか」も論じられるべきだと思うし、その答えの一環として「本当は医師になりたくなかった医師」が我々の身近に存在することもあげられるかもしれない。

 昔、ナースOGの人が、30歳を過ぎてから医学部を目指して、熱心に私の授業に出ていたことがある。10歳以上若い周囲の受験生にとけ込みにくかったのか、よく講師室に雑談をしに訪れていたが、彼女のナース時代、例の「灘中→灘高→京大医」の超エリート医師が病院にいて、手術の最中にどれほどイヤそうだったか、どれほど頼りなかったか、どれほどナースに頼りきりだったか、いろいろ語ってくれたものである。

 そういうことも思いだしてしまう。もちろんそこには、彼女の主観とか気分とかもあっただろうし、好き嫌いが反映されてもいただろう。しかし何となく「医師になりたくなかった医師」の影がちらつくのも否めないのである。

 予備校講師ふぜいが、そんな難しいことを心配する必要はないかもしれないのだが、それなら予備校講師らしい心配をさせてもらえば、医師になりたい人たちが医学部に入れない現状は可哀そうである。

 予備校としては、彼らや彼女たちにそういうことを指摘して、嫌われては元も子もない。「国公立大学医学部合格 … 名」とか「東大理Ⅲ&京大医 … 名合格」とか、チラシとパンフレットに載せ、塾の窓にデカデカと貼り出さないと、優秀な生徒が来なくなるからだ。

 歴史はあってもジリ貧だった医学部専門予備校を、昨年だったか一昨年だったか、中学高校受験の大手塾が吸収合併したりしたのも、話の中心はそこなのだ。いまでは「東大 … 名」というより「医学部 … 名」のほうが、成績優秀者へのインパクトが強いからなのである。