ヨハネ福音書 21章6節 (3)    舟の右に網をおろしなさい | ヨハネ福音書20章 21章

ヨハネ福音書20章 21章

ヨハネ福音書をとおしてイエス・キリストを知る

6節
イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」
そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。

人間を取る漁師として、すでに聖別していた彼らに向かって、
「舟の右側に網をおろしなさい。」  「そうすれば、とれます。」

舟の左側での訓練を卒業し、いよいよ彼らが、神のみ心である、“右側に網をおろす”
という、神の能力のただ中に網を下ろす、という実施訓練が始まりました。

この訓練は、何のための訓練だったのでしょうか。
彼らを、人間を取る漁師として聖別した、この訓練におけるイエスの目的は、何だったのでしょうか。

この直後、イエスが地上を離れ、昇天し、父の右のみ座に着かれた後、
今度は、全世界に、イエス・キリストを証する、ダイナマイトの語源となった、
デュナミスの力を持つ聖霊が、彼ら一人一人に下り、彼らが、罪と死に縛られた世界中の人々に、
イエスのみことばという網 を、大胆にこの世に向かって、投げ打つ時が訪れるのです。

イエスのみことばという網が、世界に放たれ、聖霊の力によって、人々の魂を大量に、
神のみ元に奪回していくという、大リバイバルがこれから起きる。
その前に、イエスのみことばに従順していく、という訓練だったのです。

神の側では、すべてが着々と準備されていた。

創世記3章で起きた、人類史上最悪の出来事がありましたね。
サタンに誘惑されたエバによって、人類初の人、アダムが、善悪の知識の木の実を食べてしまった。
それによって、神と人との決定的な関係の死を、自ら招いてしまったのです。

創世記1章26節
“神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。」”

神が人を、ご自分のかたちに似せて造られた。
ということは、創造主なる神が、言語をもって交わることのできる、唯一の被造物として人を造られた。

永遠の実存者である神のいのちを、人は、その関係の中で供給され続け、永遠に生きる者であった。

この神と人との交わりの関係を、サタンは分断し、破壊したのです。

サタンに誘惑された後、何が善であり、何が悪かを、自己中心の視点から、
人は、自分で決めるようになってしまった。
つまり、神と交わる霊的ないのちより、当然、肉的な命が人の前面に出てきたのです。

その瞬間、神に似せて造られた人のかたちが破壊され、神と交わる霊的いのちが失われ、
神との、愛といのちの関係は、 を迎えたのです。
その関係の死は、当然、人の肉体の死をもたらしました。

創世記2章16,17節
“神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べて良い。
しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、
あなたは必ず死ぬ。」”

人は、死ぬ存在となり、人類初の兄弟は現に、一人は殺され、一人は殺人者となったのです。

神に似せて造られたいのちの在り方が、完全に変わってしまったその後、人は神から離れ、
自己の欲を追求する者になっていった。

しかし神は、人を見放さず、全人類を、死に至る罪から救い出すという、
偉大なる計画を、何千年の時を超えて、着々と遂行されていったのです。

旧約の預言者たちを遣わして、絶えず絶えず、力強く、人間の罪を身代わりに背負い、
神によってのろわれ、神によって裁かれ断罪される、神の小羊としてのメシヤを、
彼らは、脈々と預言していきました。

そして時、至って、メシヤなるイエスが地上に来られ、十字架に架かり、復活された。

あとは、キリストとなったイエスが、昇天し、聖霊が注がれる、という人類救済の神側の計画が
着々と進行している今、“神のみことばという網” をこの世に,
大胆に投げ打つ人物を、みことばに従順していく人物を、神はどうしても
必要とされたのです。

神側では、すべてのすべてが、すでに整っている。
しかし、みことばの網を、サタンに支配されたこの世に、投げ下ろす人物が絶対に必要だった。
それは、自分の能力に行き詰まった者、自分自身に破産した者、
そして、神の全能の力を実際に体験した者たちが、絶対に必要だった。

神の全能の領域で、神のみことばが実現する、右側に網を投げおろし、
大収穫を体験した者たちが、必要不可欠だったのです。

これから始まる、神の救いの大リバイバルを完成していくために、人間を取る漁師が
絶対的に必要だった。

イエスは、ガリラヤ湖で、弟子たちに、使徒の働き2章の前に、
神のみことばへの従順よる大収穫を、体験させたのです。

神の全能の力こそが、神の救いのみわざを実現し、大勢のたましいを救うことができる。
しかし、困難の中で、大胆に網を世に向かって投げ打つ訓練を、弟子たちにされたのです。