ヨハネ20章1節 誰かが墓から主を取っていきました(1) | ヨハネ福音書20章 21章

ヨハネ福音書20章 21章

ヨハネ福音書をとおしてイエス・キリストを知る

ヨハネ 20:1

さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。
そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。

マリヤはどんな思いで墓まで来たのでしょう。

イエスが十字架にかけられ、葬られてからの三日三晩を、どれほどの暗闇の中で過ごしたのでしょうか、想像してみてください。最愛の人を、不条理なむごたらしいリンチ刑で突然、虐殺されてしまったんです。その余りにも無残な激しい痛み、苦しみ。マリヤにとって、どれほどの絶望だったでしょうか。

1節に、“週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。”
と書かれています。週の初めとは日曜日のことです。他の福音書には、複数の女性たちが一緒に
墓にやって来た、と書かれています。これが事実でしょう。

しかし、ヨハネ福音書だけは、マリヤの名前しかありません。

まるで、マリヤの単独行動のように記されています。     なぜでしょうか? 

なぜ、マグダラのマリヤだけに、ヨハネは注目したのでしょう。

それは、マリヤの悲しみが、他の誰よりも、極端に激しく、他の誰よりも絶望に打ちのめされていたからだと、私は考えます。

ルカ8:1には、イエスが宣教活動を行っているとき、7つの悪霊を追い出してもらった女として登場しています。マグダラとは、ガリラヤ湖の西岸にある、土地の名前です。

7つの悪しき霊に牛耳られていた人生。7つの悪霊に完全に支配されてしまっていた人生って、
具体的にどのようなことだったのでしょうか? 

聖書辞典や他の説教集を見ると、現代社会では、多重人格という精神病患者だったとの
意見もあります。

創世記3章に蛇の体をのっとった、霊的闇の存在、サタンが登場しますね。
サタンはあらゆる試みを通して、破壊、という目的を実行してゆくのです。

何を破壊していったのでしょうか。

それは、天地万物を創造された神と人との愛と信頼関係を、破壊したのです。
そして、夫婦の一体関係を破壊し、神に似せて造られた、人間そのもののかたちを破壊し、
親子関係を破壊し、兄弟関係を破壊し、人に与えられていた永遠のいのちを,
破壊し尽くしたのです。

サタンの目的は破壊です。それも愛の関係を、徹底的に破壊し尽くすのです。

今の日本もそうではありませんか。

神との関係、夫婦の関係、親子の関係、家族関係、隣人との関係、国と国との関係が、
痛々しいほど破壊されています。

マグダラのマリヤも、破壊家庭の中で、破壊された環境の中で、育ったのではないでしょうか。

7つもの悪霊に牛耳られていたということは、彼女自身の問題というより、幼い時に、
悪霊に支配された俗悪な環境があったのではないかと、私は思います。

マリヤの内側にあった憎しみや恐れや不安や絶望や妬みが、7つもの悪霊を抱え込んでしまった
本当の原因だった。それゆえマリヤの人格は弱々しく、喜怒哀楽が極端に激しく,
悪しき霊に牛耳られ、誰とも対等な関わりをもって生きていくことは、
非常に困難な状態だったと思います。

そのような時にマリヤはイエスに直接出会ったのです。

どうにもならない崖っぷち。あと一歩踏み出したら転落して真っ逆さまに落ちてしまうような
危機一髪の時に、マリヤはイエスと、個人的な深い出会いをしたのです。

なぜなら7つの悪霊をイエスに追い出されてから、ず~と、マリヤはイエスに付き従って
いったからです。一時も離れず、一時もイエスを忘れることなく、困難な道を、
イエスと共に歩き続けてきたマリヤ。

イエスという方の存在そのもの、イエスから与えられる脈々と突き上げてくる喜び、
そしていのち、希望、尽きない感謝、全ての良きものがマリヤに注がれ始め、
内側から溢れ出していったのです。

自分が自分であることをあれほど拒絶し,絶望していたマリヤ。
自分ではない、何か、得体の知れない強い力で牛耳られ、支配されていたマリヤの内側は、
今、イエスとの出会いによって、解放され、自分であることが最高の喜びとなったのです。

イエスとの個人的な深い人格的な関わりによって、喜びに満たされ、人々に仕えていく使命に、
力強く生きていたマリヤでした。

そのような喜びの絶頂から、イエスの突然の死。

マリヤは、イエスの遺体が置かれていると思い込んで墓まで来たのですが、
その時のマリヤは、抜け殻だったのです。

イエスを失って、全ての良きものが完全に抜け切ってしまった。
その抜け殻同然のマリヤが、ヨロヨロと墓までたどり着いた。

ヨハネは、この、イエスを失って抜け殻になってしまったマリヤに注目したのです。
その抜け殻のマリヤが、墓に来て見たものは何だったのか。

それは、1節の後半に書かれている、墓から石が取り除けてあるのを見た。という現実です。
どのように見た、のでしょうか。
それは、「最悪なことが起きてしまった。」と見たのです。

なぜなら、驚いて弟子たちの所に走っていったマリヤはこう訴えたからです。
「誰かが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私には分かりません。」