こんにちは。
昨日は、先日のmamaマスやそれまでの疲れがドッと出て、昼寝三昧でした。
なおです
(何だか最近、疲れやすくなっている印象です。…体が正直になってきているのかな)

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前回の記事の続き。

「お母さんに甘えることには、そんなに抵抗ないんだ!」って気づいた私。

だけど考えてみれば、お母さんに甘えたり頼ったりするのは、いつも私がギリギリまで追い込まれた時だった。

ギリギリになるまで、私はお母さんに「助けて」を言わなかった
今回も、お金がなくて、夫にも反対されて、手立てがなくなったギリギリの状況
だけど、やっぱり東京に子供達を連れて行きたくて、ギリギリの状況で頼ったのが、お母さんだった。


考えてみれば、私にとってお母さんは、いつも最後の頼みの綱だった


『あー、私、ギリギリの状況じゃないとお母さんに頼れないんだ。

だから、お母さんに甘えるには、私はギリギリまで追い込まれる必要があったのかな?』

って思えた。


だから、
予定を詰め込んで自分で自分を追い込んだり、
お父さんやばあちゃんに厳しくしてもらったり、怒られたり、
1人で抱え込んで頑張ったり、
お父さんと似ている夫から反対されたり
する必要があったのかな?って気づいたの


つまりは、

お母さんに甘えるために自分で壁を作っていたってことで、

怖くて厳しかったお父さんもばあちゃんも、お母さんに甘えるためのの役目をしてくれていたのかな、って思えた。




からの、

「お母さんに甘えられるように、自分をギリギリまで追い込んで可哀想な私になるコント」発見




やっと見つかったー!(T_T)

私、何やってたんだよー!(T_T)(T_T)

って、朝から、「探してたもの見つけたのー」って、家族の前で大泣き(T_T)

(「ママギュー」ってギューして慰めてくれた息子、「ダイシュキナモノ、ミチュケタノ?」とキョトンとしながらも私に寄ってきた娘、「そっか、そっかー。良かったねー。」って、中身には興味ないのに喜びを共感してくれた夫、みんなありがとう)


素直に甘えれば良かったのに、お母さんに気を遣ってか、遠慮してか、素直に甘えられなくて、「お母さん助けてー」って甘えるために、ギリギリまで追い込んで「可哀想な私」になっていたなんて…

だから、私は、

「可哀想な私」になるために、

自分を見下す必要があったし、
1番になりたいのになれない思いを抱える必要があったし、

頑張っても報われない必要があったし、
幸せを感じきれない必要もあったのかな、って思えた。


そんな私は、お父さんやばあちゃんに怒られたり、ギリギリの状況になることが「お母さんに甘えてもいい許可」みたいに捉えていた。

だから、子供達にも厳しく接することで、甘える許可を出していたのかなーって思ったりもして、やっぱり私の中では、怒ること=愛情だったんだな、と思えて、

今までのことが全部ぜーんぶ繋がって、


最大の

パッカーーーーーーン!!

(*⁰▿⁰*)キター!!スッキリー!


だった。



私の中では、ずっとお母さんの印象が薄かったのに、そんな風にパッカーンしたら、心の中がお母さんでいっぱいになるし、

ついでに、お母さんが東京行きOKしてくれて、お母さんと子供達と東京に行けることになったし、

で、かなり嬉しい気づきでした



だけど、この後も気づきは続くことになり…

それは、また次の機会に



最後まで読んでいただいて、ありがとうございました

おわりつながるうさぎ