昔、大学病院で働いていたことがある。
その病院が古くなり、郊外の広い大学キャンパスに移ることに決定した。
大学病院の移転となると、研究室の古い本やらカルテだけではなく、色々な研究資料も引っ越さなければならない。数年に亘る引越し作戦が始まった。
私の担当は8階の研究室であった。
そこには100個以上の大きな標本瓶が部屋いっぱいに置かれていた。
標本瓶の中身は病気で亡くなった人々の脳で、ホルマリンにつけて保存してある。
この大学の大先輩達が脳の血管解剖の研究に使った標本で、研究の成果として、とても細いけれど大事な大脳の血管が発見され命名されたのそうだ。
幸いにも私は訓練を受けた医者であったので卒倒することはなかったが、中に入ると何人もの人が標本瓶の中から見ているようで、長い間人を寄せ付けない不気味な部屋であった。
今まで大事に保管されていた標本であり、新病院にも持ってゆかねばならないのだが、新しい研究室にはそんな場所はない。
医局会で、どうすればいいのか討議をしてもらったところ、処分と決まった。
とはいっても人様の脳である、そのまま捨てることができようはずもない。
それにホルマリンを燃やすのもいけないことのようであった。
この日から私の仕事が増えた。
薄切りにされた脳標本をなるべく元通りの形にして、乾燥機にかけるのである。
ホルマリンが乾いて抜けてゆくと脳はどんどん小さくなって、一週間もすれば干からびたキャベツみたいになるのである。
カラカラに乾いて手のひらに乗るくらいに小さくなった脳を、一つ一つ黒いビニール袋に入れ、それぞれの名札をつけて段ボール箱に収めた。
夕方に一度は研究室に行ってそんな作業を1年ほど続けただろうか、とうとう大きな段ボール箱が数個になった。
異様に軽い段ボール箱を抱え、『ご苦労様、ありがとう、ごめんなさいね、』と見知らぬ人につぶやきながら定められた部屋に何度も何度も運んだ。
集められた標本は、どこかでお経を上げてもらって荼毘に付されたと聞いている。
その後、しばらくして大学病院を離れたが、何故だろう、困った時やつらい時に不思議とあの仕事と乾いた脳を思い出す。
私は医者の端くれなので、これはきっと気のせいだと知っているのだが、あの標本瓶の中の人たちに見守られながら医者の仕事を続けているような、そんな気がしてならない・・・・。