栗林あや(いがぐりこ)です。

 

 

これまで、

「嫌いな人とどう接したらいいか」ってことに関しては

かなり悩んできました。

 

 

私は、そもそもの人間関係の母数が少ないので、

「嫌いな人の数」自体は

他の人よりも少ない方なのかもしれません。

 

 

でも、それが極端といいますか。

 

 

嫌いな人が現れると、

その「嫌いな人」が自分の中で

大きくクローズアップされてしまって、

 

まさに「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」

くらいに嫌悪感を持ってしまうのです。

 

 

その嫌いな人が関わるモノすべて、

集団、

共通の人間関係、

その人が好きだと言っていたアーティストや

その人が住んでいる地域や、

その人が関わる居場所や、

その人の持ち物や、

好きなブランドや

テーマカラーまでをも嫌いになってしまうくらい、

 

「あいつが嫌いだから、これも嫌い。ダメだ。もう関わりたくない。」

 

と極端に思ってしまうのです。

 

 

 

お買い物中に、

その嫌いな人が持っている

バッグのメーカーを見つけて、

その人を思い出して不快になったり。

 

たまたま外食した先で

その人の勤めている関連会社の

メーカーのダンボールがレジ横に置いてあって、

 

どんどん気分悪くなって

せっかくの美味しい食事が

台無しな気分になってしまう・・・

 

なんてこともありました。

 

(わし、ヤバい奴なのです(笑))

 

 

その人との関わりがある以上、

私の日常生活のどこかで

その人を連想させるモノが

目についてしまうことが必ず出てきます。

 

 

私の安全なテリトリーが

どんどんその「嫌いな人」に侵されて、

どんどん気分が悪くなって、

 

わたしの安全で好きな居場所が

その嫌いな人に踏み荒らされて、

ますます私の居場所が小さくなってしまうように思える。

 

 

結果的に

不快になっている自分が

もう我慢できなくなって、

自らその大事にしてきた居場所を去るのです。

 

 

 

自分の捉え方や受け止め方が原因とはいえ、

自分の居場所が

どんどん狭くなって

脳内まで侵食されてしまうのは、

なかなかしんどいものです。

 

(あらためて文章にすると、病んでるなぁ〜Σ(´Д`lll))

 

 

 

だから、わたしは過去に

なんとかして

その「嫌いな人」を受け入れて

関係を改善しようとして、

 

相手の良いところを探してみたり、

自分の中にある

相手に似た部分を許してみたり、

人間的に努力して成長しようとしてみたり。

 

 

・・・どうにかして

その嫌いな人を愛そうとして、

いろいろ頑張ってやってはみました。

 

 

でも結局は

「やっぱり嫌い!」

となってしまう自分に

罪悪感と自己嫌悪を抱いていました。

 

 

 

嫌いな人との関係改善を頑張っても、
結局その人間関係は改善されることもなく、

 

嫌いな人を好きになることもできず、

ただただますますストレスが溜まるだけ。

 

そんな自分が、もう嫌になってしまったのです。

 

 

 

ある時(30代後半〜40代)に、

思い切って

「嫌いな人とは関わらない」

というスタンスを取ることにしました。

 

 

つまり、嫌いな人がいても諦めることにしたのです。

 

関係改善を図ろうとしない。

自分の中の、嫌いな気持ちをほっとく。

 

 

ビビリの私にとっては

それさえも「ただのダメ人間じゃないか」と、

 

なんとなくうしろめたさがあって

罪悪感や劣等感を持ちそうになりましたが、

 

「嫌いな人とは関わらない」

「無理に関わらなくても大丈夫」

「全部切り捨てても大丈夫」

「そのぶん、新しい人間関係がきっとやってくるから」

 

と、思うようにしました。

 

 

そんな考えでは、

人間としての成長が止まって

ますますダメな人間になるような気もしましたが、

 

もうこれ以上

どうすることもできなかったので、

 

そんなスタンスに思い切って

心を切り替えてみることにしました。

 

 

 

あれから数年。

 

今は、このスタンスにして良かったと思ってます。

というか、そうするしかできないのだと思います。

 

 


人間関係の中で

どうしても好きになれない人っています。

 

好きになることって

頭ではどうすることもできないのです。

 

嫌いになってしまったことも

頭ではどうすることもできないのです。

 

 

なんとかして

必死に関係改善を図りたくなることもあります。

 

罪悪感や劣等感でいっぱいになることもあります。

 

でも「好きになる」って

意図して、できるものでは無いのです。

 

 

 

そして、よくよく考えてみると

わたしがその嫌いな人との関係改善を図りたかったのは、

 

その人のことが好きで

仲良くしたいから・・・ではなく、

 

自分が人間関係で劣等感を感じたくないから。

自分がダメ人間になるのが嫌だから。

自分の安全なテリトリーを死守したいから。

 

だったのです。

 

 

つまり、その嫌いな人を利用して

自分を守ろうと企んでいたことに気づいたのです。

 

 

よく考えると、すごく失礼ですよね。(笑)

 

自分の自己成長や安全のために

その人との関係を利用しようとしていただなんて。

 

 

 

それからは、まあ、

嫌いな人がいても「なるべくほっとく」ことにしました。

 

自分の都合で、嫌いな人を利用しようとするのを

やめる(諦める)ことにしました。

 

 

 

なるべく自分が心を許せる相手とだけ

一緒に居るようにしています。

 

嫌いな人と関わらなければならないような場所は、

できることなら、なるべく避ける。行かない。関わらない。

 

もし、嫌いな人と

どうしても関わらないといけない場所では、

仕方ないので、まあ、その時間が過ぎるのを待って、過剰に反応しない。

 

通行人A、壁紙A、みたいな感覚でスルーする。

 

 

もし相手に何か嫌なことを言われても

「そうなんだ。あなたはそういう物語を信じて生きているのですね。」

と(言い方は悪いが、他人事のように)思ってみる。

 

あの人の物語の世界と、私の物語の世界は別物。

 

読み手の私は、どっちが好きな物語かを選べる。

だから、あまり気にしない。

 

 

 

今はSNSが発達しているから

時々つい、嫌いな人を見に行こうとしちゃう時もある。(笑)

 

そういうときは

「ああ、わたしは今、暇で刺激が欲しいんだな」と割り切って

ちょっとだけ覗き見しちゃう・・・(笑)

 

で、案の定「オエーッ!(;´Д`)!」っとなる。

 

 

でも、その一連の嫌悪感を

私のリアルな世界ではなくて

「エンターテイメントの中の物語」として楽しんでいる自分に気づく。

 

 

 

そんな感じで

嫌いな人とどう接したらいいかは、

 

なかなか悩ましい問題ではありますが、

いまのところ、これが最適解じゃないかな、って思ってます。

 

 

嫌な人と無理して過ごすよりも

残りの人生、

気楽に付き合える人と繋がっている方が

有意義だと思います。

 

嫌いな人と無理して過ごしている時間を

尊敬できる人や好きな人にリスペクトしていた方が

人生楽しそうです。

 

 

・・・あ、もしこれを読んでいるあなたが

20代とかだったら、

ちょっとは相手に合わせたり、

自分を変えられるように頑張ってみるのもいいかも。

 

 

どちらにしても、

そんな自分を責める必要はないからね。

 

今はそう思ってます。

 

 

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