南宋寺は弘治3年(1557年)畿内髄一の実力者に
上り詰めた河内飯盛山城主・三好長慶(みよしながよし)
が非業の死を遂げた父・三好元長(10万人の一向一揆軍
に囲まれて、自身の腹をかっ捌いただけで終わらず、腹か
ら取り出した臓物を天井に投げつけ自害した。)のため、
大徳寺90世の大林宗套に開山を依頼して、創建したもの
である。創建当時は堺市宿院町付近にあったと伝える。
慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では堺の市街
とともに焼失したが、その後、当時の住職であった沢庵
(たくあん)宗彭によって現在の場所に再興された。
現存する仏殿、山門などは沢庵の没後、17世紀半ばに
整備されたものである。
南宋寺の航空写真グーグルより
南宋寺の堂塔配置図
上の配置図の現在地にある説明版
30台くらい駐車できる無料駐車場(上グーグル写真)
山門である甘露門
この坐雲亭は徳川秀忠と家光が訪れた時に休憩したところ。
南宋寺で最古の建物である。なぜ来たのかというと、
ここに徳川家康の墓と言い伝えられる墓があるので、
墓参りに来たという説がある。
中央が千利休の墓で左右に表千家・裏千家・武者小路千家
の3千家の供養塔がある。
千家の左横に千利休の師匠である、武野紹鴎の供養塔がある。
次回は家康の墓の紹介です。