「便利」はいけないことですか | 10月の蝉

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取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

もっぱら高齢者層あたりから聞かれる意見なのですが、「昔はよかった。今は便利になりすぎて、科学や文明に依存しすぎている。けしからん」という意見があります。

社会的なこともそうですし、子育て界隈でもよく聞かれるご意見。

でも、私はいつも不思議なのです。
そういう社会を目指して懸命に働いてきたのは、まさに今高齢者と呼ばれる年代の方々ではないかと。
ものがなかったから、たくさん物を作り出した。
不便なことがたくさんあったから、なんとか快適な生活にしようと工夫してきた。
不具合な制度、不合理なやり方を改め、「ものが豊かにあり、快適に生きていける社会」を目指して、あれこれがんばってきたんじゃないんでしょうか。

自分たちが苦労したから、子どもたちにはそういう苦労を味わわせたくないと思った。
その結果、子どもたちはものがたくさんあり、便利で快適な生活を送れるようになりました。

そうしたら今度は、「今の若者は恵まれすぎている」と文句をいう。

今朝の新聞でも、70代のご婦人が、自分の娘さんの子育てスタイルについて苦言を呈しておられました。
「私が子育てしていたときは、自分の身にかまうヒマもなく、髪を振り乱して子育てしていた」と。娘さんが身ぎれいにして、いろんな便利グッズを駆使しているさまがご不満なようでした。

おかしな話です。自分がしたような苦労をさせないように育ててきて、まさに苦労しないように見える生活を送っているのに、それが不満である、なんて。

だったらどうして、経済の成長や、科学や文明の発展のためにがんばっていたのでしょう。

今の若い世代が、現に目の前にある科学技術や文明を享受するのは当たり前のことです。だって、そういう世界に生まれ落ちて、それを当たり前として育ってきたのですから。

昔は物を大切にした、というのだって、大切に使わなければ他になかったからだと思うんですよ。ものがなかったから、必然的に大事に使わざるを得なかった。
もっと欲しいと思ったから大量生産の道を選んだのではないのでしょうか。

子育て界隈のことについてだって、昔はわからなかった、できなかったことが、どんどん研究が進んでわかってきたり、できるようになってきて、今子育てしている人はそれを利用しているだけのこと。昔のようにやらないからといって、すぐさまそれを「手抜き」と思うのはおかしな話です。

昼間、ツイッターを眺めていたら、やけに「ハーネス」について言及しているツイートが目につきました。なぜ今「ハーネス」が話題になっているのか不思議だったのですが、あとで友人に聞いてわかりました。
テレビ番組で、それが取り上げられていたからなんですね。
私はその番組を見ていませんので、どういうニュアンスで取り上げられたのかはわかりませんが、ツイッターの雰囲気では、どうも否定的な取り上げられ方をされていたようです。
ハーネスというのは、小さな子どもにつける器具で、言ってみれば「手綱」のようなものです。
多動性障害のある子などに、危険防止のためにつけることが多いようです。
これを、「まるで子どもをペット扱いしている」と非難していたようなんですね。

どういう事情でその器具を使用していたのかをきちんと検証せず、見た目の印象だけで、またそのハーネスを使っていた母親がスマホを見ながら歩いていたということだけで、ひどい扱いをしていると思われたようですが、これだって、昔はそういうものはあまり一般的ではなかったために認知度が低く、誤解されてしまう一つの事例だと思います。

なんでもかんでも、昔のやり方が正しく、今はだらしなくて手抜きで、安楽な方向に流れていると批判するのはどうかと思うんですよね。
確かに人間は低きに流れる性質を持っていますから、どんどん楽な方へ流されていっているという一面もあるでしょう。でもそれは、「若い人がだらしないから」ではないと思います。
かつては自分たちだって、十分文明の恩恵を享受し、快適さを追求する生活を送って来た人たちが、自分たちが十分味わったあげくに、それに倦んだからといって、今快適さを受け取っている人たちのことを「甘えている」だの「贅沢である」だのと批判するのは、あまりにも自分勝手ではないでしょうか。

昔と違うから、という理由だけで、今の有り様を批判する意見を聞くと、どうにも落ち着きが悪くなります。私は昔がよかったとはとうてい思えないからです。
昔の人情は過干渉と紙一重ですし、絆は束縛と表裏一体です。
今ある「便利」を否定しても、後戻りすることはできないのですから、闇雲に否定して過去を懐かしむよりは、その「便利」をどううまく受け入れていくか、ということを考えたほうがいいと思うんですよね。

「昔」をきちんと知ることは大切なことだと思いますが、昔に戻るべきであるとか、昔のほうがよかったとはどうしても思えません。
いつの時代にも、逸脱してしまう人や悪用する人はいます。でも、だからといって、その時代の「便利」を否定する必要はないと思います。