もらい泣き | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

最近やたら「もらい泣き」するようになった。

今朝も、「めざましテレビ」の「広人苑」のコーナーでやらかした。

今日で終わりなんだそうだ。6年半もやってたそうで、中野アナがあれこれ話しているのを聞くともなしに聞いていたら、ふと彼女の声がゆらいだ瞬間があった。

その瞬間、うるるっと涙が。

そして、そのコーナーで紹介された人たちがメッセージを送っている様子を見て、正確にはそれを聞いている中野アナを見て、胸がふるふるして涙が止まらなくなってしまった。


これはいったいなんなのだ。


先日「おくりびと」を見た時も、涙の9割は「もらい泣き」。劇中で泣いてる人を見て一緒になって泣いてた。


わかりやすい「悲しみの場面」では泣かないんだけどなあ。


積み重ねてきた時間とか努力とか、そういうものに対して心が震える。

思いがけない人の善意とか、温かさに気持ちが揺れる。


幼稚園で子供たちが一生懸命走っている姿を見ると、それが自分の子供でなくてもなんだか泣けてくる。ここまで、よくがんばって大きくなったなあ、なんて思う。

学校の卒業式も、自分のときは全然泣けなかった。「やっと卒業だぜチョキ」という解放感ばかりで、ちっとも悲しくなかった。でも、子供の卒業式は泣ける。ようやくここまで来た、というはるばるした気持ちになるんだ。それって結局「あたし、よくやったよね」という自分褒めにすぎないのかもしれないけど。先生が泣いてるのを見ると、やっぱり「もらい泣き」してしまう。


なんだか最近やたら涙もろくて困ってしまうしょぼん