子ゆえの闇 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

 子を思う親心、なのだろうか。大分の事件は。

以前のブログにも書いた振込め詐欺もそうだが、「子供のため」という大義名分があればなにをしてもいいのか。

モンスターペアレントと言われる人たちも「子供のことが大事だから」というようなことをいうが、子供のためなら悪いことをしてもかまわない、というのはどこかおかしくないか。悪いこと、というのは言葉がきついかもしれないが、ずるいこと、自分だけが得をすることを親が率先してやってみせてどうするんだ、と思う。

 そういうのはほんとは「子供のため」なんかじゃないんだと思う。親自身のメンツだったりプライドだったり見栄だったりするのだ。(ああ、ラジバンダリと言いたい 笑)

だいたい、親が「よかれ」と思うことなんて、時代からずれてることが多いし、いくら自分の子供だからと言っても、趣味嗜好も違うし価値観も違うことの方が多いんだ。

 どうも、母親というのは、きつい思いして産んで育てたという頭があるから、子供を自分の思い通りにしてもいいんだと思いがちである。そこですでに「見返りを求めている」ということに気がつかない。無償の愛、なんてそうそうあるもんじゃないんだ。

 まあ、子供のほうだってズルして楽したいと思ってるなら、価値観が一致してるわけで、単に「セコい家族だね」で終わりなんだけど。

 今回の事件では、表ざたになったからみんな大騒ぎしてるけど、似たようなことなんていくらでもあるんじゃないだろうか。「ちょっと口きいてもらって」とか「あの人に頼めば話が通るから」とかそういうのってよく耳にするよ。しかも断ると「頭が固い」だの「人情がない」だのってけなしたりするし。

 

 金銭の授受があったり、不正に合格させたり合格者を不合格にしたり、というのがこの事件の悪質なとこだけど、でも、こういうことするときに手ぶらで、ってことはあり得ないしなあ。

一応教育にたずさわっている人たちがやってたことだから、暗澹たる気持ちになる。

「子供のことを思って」ということの内容を、考え直すべきなんじゃないかなあ。