彼らは生きた、そして戦った~「戦場のレクイエム」 | ひょうたんからこまッ・Part2

彼らは生きた、そして戦った~「戦場のレクイエム」

『戦場のレクイエム』
集結號/ASSEMBLY

(2007年・中華人民共和国:香港/124分)

公式サイト

何故戦場に向かうのか。

誰のために戦うのか。

あの時命を懸けて彼らが守ったものが何だったのか。

・・・それすらも長い歴史の中に埋もれてしまう。

同じ国に生まれながら戦わざるを得なかった歴史の皮肉。

その犠牲となって戦場に散り炭鉱の底に屍となって、
弔われる事も無く重なり合う名も無き戦士たち。

国家に取っては取るに足らぬ小さな駒でも、

その一生には語られるべき物語がある。

死して「名無し」になろうとも、

彼らを愛し待ち続ける家族がいる。

勝機の無い戦さを共に戦った部下たち。

部隊の存在すら知る者は無く失踪扱いになった彼らの、

「名前」と「名誉」を取る戻すために、

その生涯を懸けた一人の男の長い旅の物語が始まる。

ひょうたんからこまッ・Part2
<スタッフ>
監督:馮小剛 (フォン・シャオガン)
製作総指揮:王中磊 (ワン・チョンレイ)/陳国富 (チェン・グオフゥ)
脚本:劉恒(リウ・ホン)
音楽:王黎光 (ワン・リーグワン)
撮影:呂楽 (リュイ・ユエ)
原作:『官司』楊金遠(ヤン・ジンユエン)著
<キャスト>
谷子地 (グー・ズーティ/第2師第139団第3営第9連長): 張涵予 (チャン・ハンユー)
趙二斗 (チャオ・アルドゥ/砲兵連 連長): 鄧超 (ドン・チャオ)
王金存 (ワン・ジンツン第9連 代理政治指導員): 袁文康 (ユエン・ウエンカン)
孫桂琴 (スン・グイチン/王金存の妻): 湯嬿 (タン・ヤン)
焦大鵬 (ジアオ・ダーポン/第9連第1排 排長): 廖凡 (リヤオ・ファン)
劉澤水 (リウ・ゾーシュイ/第139団 団長): 胡軍 (フー・ジュン)
指導員 (第9連 政治指導員): 任泉 (レン・チュアン)

「名無し」・・・骸すら拾われぬその悲劇。
国共内戦中3大戦役の1つとされる淮海戦役を背景に描かれた物語。
・・・1948年、中国。
中国共産党の人民解放軍と国民党軍による国共内戦は熾烈を極めていた。
前の戦で危うく捕虜を殺しかかると言う失態を犯したグー・ズーティ。
彼が率いる人民解放軍第9連隊に、
第139団のリウ団長は旧炭鉱の防衛任務を与える。
「撤退命令の集合ラッパの合図が鳴るまで、最後の一兵になるまで戦い続けること。」
それが最前線に送られた第9連隊に与えられた役目だった。
やがて国民党軍の激しい砲撃が始まり、
撤退することなく最後まで戦い続けた第9連隊だったが、
奇跡的にたったひとり生き残ったグー・ズーティ以外、部下は全員戦死してしまった。
「あの時、撤退・集合を知らせる軍隊の信号ラッパは、
鳴ったのか鳴らなかったのか。」
部下を死なせてしまったグー・ズーティの心の中には、
その後何度もその問いが繰り返される。

終戦後時は経ち、グー・ズーティは、朝鮮戦争に志願。
チャオ・アルドゥ人民解放軍・砲兵連連長の身代わりとなって地雷に被爆、
以来徐々に視力を失うことになるのだが、その頃になってもなお、
「人民解放軍第9連隊」の存在を証明する人も資料も無く、
英霊として称えられるべき部下たちは全員「名無し」の兵、
・・・つまり失踪扱いになったままだった。
「名無し」故に残された家族には何の保証も無く、
失踪者として名誉も奪われたままの部下たちのために、
たったひとり生き残ったグー・ズーティはその後の生涯を懸ける決心をする。

彼らが戦地で勇敢に戦っていたこと、
共に生きて共に笑い、泣いた日々があったこと、
彼らの「名誉」の回復、そして彼らと共に自分が所属していた
「人民解放軍第9連隊」があの時確かに存在していたことを証明するために、
執念の鬼と化し年老いてなお旧鉱を一人掘り起こすグー・ズーティ。
「軍隊の信号ラッパの謎」が解けるクライマックスシーンでは、
「戦争」と言うものが導く悲劇が描かれる・・・。


ただ戦争を描いた映画では無い。
「人が人として生きた証」を求める過程を追い、丁寧に描かれた人間ドラマ。
監督は『女帝/エンペラー』の馮小剛 (フォン・シャオガン)、
また同監督からの要請で『 ブラザーフッド 』の特撮担当チームMKピクチャーズが
視覚効果を担当しているそうです。
そのため戦場のシーンでは表現がかなりリアルです。
思わず目を背けたくなる場面も含まれますが、
こういった表現はこのジャンルの作品には避けて通れない部分。
物語が持つテーマと合わせ、戦争の招く悲劇をよりリアルに描き出しています。

戦地に赴くまでは教師だった青年が、
死と向き合う恐怖を乗り越え兵士として成長していく姿、
そして彼や他の仲間たちが互いを励ましあいながらも
次々に命を失っていく姿は本当に痛々しく、
特に前半では胸が抉られるようなシーンが連続します。
人間の歴史の中で、古今東西を問わず、
なぜこのようなことが繰り返されるのか。
何度問い返しても結局その問いに返せる答えは見つかりません。

この物語では前出の若き教師の場合、
戦場に散った後は勇名を馳せるどころか「名無し」の状態になってしまったことから
「前赴任地での恥ずべき失態」だけが伝えられ、
その母と妻は世間から非難されながら暮らしていかねばならないと言う
別の悲劇も展開されていきます。
広い中国での出来事ですから、
当時は同じような事情に苦しむ人は全土に数多くいたに違いありません。

「死者の名誉を取り戻さなくては。」
主人公がこの決意を胸に失踪扱いになった部下たちの名誉回復のため、
自分の部隊の存在を証明しようとする物語の後半部分に、
より深い戦争の罪と罰、悲劇が描かれていくことになります。
同じ国土に生まれながら、戦わなくてはならなかった悲劇。
さらに主人公は国共内戦の後、朝鮮戦争にも参加するのですが、
幾度も繰り返される戦さの「その後」の日々に表現されるのは、
生き残った者の心の中にいつまでも潜む葛藤や後悔でした。
老いて肉体が朽ちようとも、
仲間の名誉を求め、炭鉱後を彫り続ける彼の姿には、
「退却ラッパ」を聞き逃してしまったかも知れない自分への自責の念、
そのことで助かる命を失ってしまったのかもしれない部下たちへの、
やりきれない後ろめたさや悲しみが見え隠れします。
そして墓標の前で明かされるリウ団長の「あの時」の決断にも、
個人では抗うことの出来ない運命の悲劇が現れています。

・・・戦場。
そこでは人の心の中にあるもの全てがさらけ出されてしまいます。
そこで体験したこと。
その後の人生で体験したこと。
全てに人間の根本を問うドラマが透けて見えます。
フォン・シャオガン監督は、
『女帝/エンペラー』 で描いた耽美的な美しさとは全く違った切り口で、
この作品の中に泥臭い人間劇を描いて見せていますが、
どちらを取っても、どうやら私好みの作風の監督であるようです。

最後にひとこと。
主演のチャン・ハンユー
さんが、
角度によっては「私は貝になりたい」の中居正広さんに見えて仕方がなかったです。