魂⑤「この世は苦の世界」 | 獏井獏山のブログ

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「達成し得ない人生の目標」

・人の一生は空しいものである。1つの目標を立て、達成する為に日々、努力し他者と競い合って生きている。しかし目標を達成するのは至難の業である。仮に1つの目標を達成しても、それが生涯の目標でないことに気付くと、より高い目標を掲げては努力と戦いを繰り広げる。…そんなことを繰り返して結局「我が人生の目標」を手中にすることなくこの世を去ることになる。病苦や災難などの苦を背負いつつ空しい努力を強いられるのが人生なのである。

 

「慰みとして与えられる…この世の幸」

・人は汗して働き、夕方、ビールと歓談で疲れを癒す。この時、一日の達成感と満足感を味わう。しかし、その実態は単に今していることに夢中になって「苦を忘れている」に過ぎないのである。

・人生には「苦」が付き纏っている。「生きる」とうことは「苦を体験すること」であり、それを乗り越える努力をすることに他ならない。人は魂の試練として「苦」と直面するためにこの世に生まれてきた、と云っていい。「苦」はこの世の大前提であり、人生は「苦を背負うこと」なのである。

・労働とそれからの解放とによって味わう快楽は、一時的に「苦」を忘れることである。いわば痛みに対する麻酔薬のようなもので、病気を治癒したことにはならない。

・一時的にせよ「苦」から解放されることは快感である。それが日々連続することに人が「幸福感」を味わうのは無理のない事である。

しかし、仕事から離れてじっくり反省すると、仕事の中身自体に幸福の源泉がある訳ではないことが分かる。況して、生活費を得るために上から課せられた仕事をするに於いてをや、である。

一方、生活の糧を得るために就いた職業において、幸運にも要職を得、地位が高いが故に周囲の人達に奉られて終える人生もある。しかし、最後の時を迎えた彼は「魂の試練」から照らして虚像に過ぎなかった自らの人生を顧みて空しい思いを禁じ得ないに違いない。

・人は天から必然的な苦を背負わされて生きているが、人の意志は常に、それを緩和するために、喜びを満たすために努力するのである。

 

 

「背負うべき苦」

・この世は苦の世界である。誰でも何らかの苦を背負って生きている。そう云う設定のもとに人は生まれてくるのである。そんな人生を生き抜き、全うして天に召されると「神聖天国」(魂の故郷)に戻る。「神聖天国」は全く苦のない世界である。故に、天に召されることは悲しみではない。魂が得る「自由」と「幸」の世界である。だからと言って修行を放棄し、この世から逃れるため自ら命を絶つ(自殺する)事を神は許していない。もし自殺によって人生を終え「神聖天国」に戻っても直ぐに前世以上の苦行を背負った人間としてこの世に送られるだろう。

 

精一杯生きて天にかえる」 

・この世は支配者(天)から修業のために遣わされた苦の世界だから、ここで「魂の至福」を得ることは誰も出来ない。

・この世での修業として科せられた任務を果たし終え「神聖天国」に帰れば其処に間違いなく光り輝く至福の世界が待っている。その至福を確実に得るために、この世で背負わされた人生の苦を乗り越えて生きることが重要である。苦は苦として受け入れつつ、凌駕の努力を払うと、天はそのための糧となる日々の感動や楽しみを与え、かつ前へ進む希望と勇気をちゃんと与えてくれているのだ。