【日本人の食体系の破壊政策】
日本人の食体系がどのようにして決定され、その食指針が出されているか御存じだろうか?
「55年体制」以降の日本において、アメリカの食糧メジャーの思惑は、日本人にこれまで連綿と続いた「米食」を止めさせ、米叩きをして、それに代わってパン食をさせる事であった。
その為には、徹底的に米を叩かねばならなかった。
また、痩身ブームの中で、「米食は肥る」という俗説を植え付けた。
そして、肥満を防ぐには「食卓からご飯を減らそう」というスローガンだった。
肥満や心臓病は米食が原因であると言う、根も葉もない理論を現代栄養学者達に語らせた。
つまりダイエットをする為には、米は肥満の元凶であると言うことを、学者に語らせたのである。
その結果、「ご飯を食べると血圧が上がる」「ご飯を食べると肥る」「ご飯を食べると馬鹿になる」などの俗説が生まれた。
謂(い)われなき誤解である。
しかし、これは明らかにアメリカの意図的な小麦戦略であったのである。
さて、私たちの棲(す)む世界は、これまでの人類の歩いた世界史を振り返ってみると、十七世紀後半くらいから、ある一定の流脈と思惑によって、人工的に、思想や価値観が導かれた現実を否定する事が出来ない。
近代史には、はっきりとした、何らかの意図があったことを物語っている。
つまり、人類の歴史である、「世界史」は、特定の目的と、特権的なひと握りのエリートの思惑と、意図的な誘導によって動かされた形跡がある。
そして、背後に穏微な集団が暗躍し、その結果、人間社会が形成されて来た。
近代史の、十七世紀後半までの歴史を遡(さかのぼ)り、これを工学的な世界観から、歴史を再検討してみると、そこには国際支配層の思惑を見て取れる。
アメリカ独立戦争(アメリカ独立革命)、フランス革命、
そして、その後の第一次世界大戦、ロシア革命、日露戦争、第二次世界大戦、
更にその後に続く、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争など、
ありとあらゆる近代世界史が、ある一定の目的を持ち、一つの方向に、意図的に誘導されて来たと言う事実に気付かされる。
日本では、戦後の民主主義教育下で、国家群や王朝の浮沈ならびに盛衰の歴史は、「自然体による自然発生的な事件だ」として、多くの日本国民が、そう、教科書の中で教わって来た。
ところが歴史的事件を、左から右に順に並べ、横軸をX軸とし、その事件と経済動向や人的損失度合を縦軸のY軸として、これを年代順に、事件別に、振幅程度に応じて、事件の事柄を置いていくと、このXとY軸の関係には、サインカーブらしき、正弦波の周期曲線が現れてくる。
そしてそこには、人工的に導かれたと思われる策謀の意図が浮かび上がって来くるのである。
世界は、大きく分けて、「支配する側」と「支配される側」に二分される。
その分離比は、古代より言われたユダヤの黄金率に回帰され、支配側層28%に対し、被支配層は72%となり、支配層が被支配層に何事かを仕掛けるという思惑と一致する。
則(すなわ)ち、28%の仕掛ける側が、72%の踊らされる側を、周到な画策で、ついに踊らせるのである。
こうした構造により、世界史が動かされている事実が浮かび上がって来る。
その確たる証拠が、「戦争」ではなかったか。
果たして、戦争は自然発生的に起るものであろうか。
古代史から年代順に、現代までを、歴史を工学的に検出し、事件や事柄を年代順に置いて行くと、人類の歴史は、支配層の仕掛けた戦争の歴史に集約されていることが分かる、
そして、戦争こそが、人類の歴史であると痛感させられるのである。
一つの民族や国家が、敵対する他の国の軍事勢力よりも圧倒的に強大である場合、特にユーラシア大陸では、想像を絶するような、広大な領土が支配された。
マケドニア(ヨーロッパ南東部、バルカン半島のエーゲ海に面する地方で、アレクサンドロス大王の故地)、ペルシャ帝国(イラン南西部の古代地名パールサ で、アケメネス朝・ササン朝・サファヴィー朝・カージャール朝など王朝が興った)、サラセン帝国(シリア付近のアラブの呼称で、ウマイヤ朝やアッバース朝はサラセン帝国と呼ばれた)、蒙古(ジンギス汗が建て、その子孫がアジアの大半とヨーロッパの一部にひろげた大帝国)などがそれであった。
しかし、どの民族も、どの国家や王朝も、それが自然の法則に従った「自然体」である限り、栄枯盛衰(えいこせいすい)は紛(まぎ)れもなく、「自然の摂理」と考えられて来た。
この観点から見れば、十七世紀後半から何事かが仕掛けられ、近代世界史は、一見すべてが「自然の成り行き」として見えて来る。
ところが、何事かが、常に、何者かによって仕掛けられる構図が見えて来る。
特に、十七世紀後半以降に、多く集中しているように思える。
多くの日本人は、「歴史は自然の成り行きから派生する」と歴史教科書では教えられ、これを疑う歴史家は、殆ど居なかった。
教える側も、教わる側も、「歴史は自然の成り行きで派生する」という、この思い込みを金科玉条として、これを大切に守り通し、疑いを挟む余地はなかった。
しかし、果たしてそうであっただろうかという疑問が趨(はし)る。
特に近代史では、十九世紀に起った植民地主義や帝国主義が猖獗(しょうけつ/悪者が猛威を振るい、猛々しく、荒々しいこと)を極めたこの時代、自然体の中から派生する国家群の浮沈は、「自然の摂理」と考えられるべきものか否かと、非常に疑わしくなって来るわけだ。
また、この結果から、これを「自然体」と捉えるのは、世界の中でも、お人好しの日本人だけではなかったのだろうか。
そして、忘れてはならない事は、封建制社会の後を受けた資本主義社会の近代から、現代にかけて、世界が、白人国家主導型で動かされて来たと言う歴史的事実を見逃してはならない。
二十世紀には、全人類を震憾(しんかん)させ、想像を絶する阿鼻叫喚(あび‐きょうかん)の生き地獄を思わせる二度の世界大戦が勃発している。
それと同時に、白人国家でありながら、西欧的資本主義と対峙(たいじ)する、社会主義連邦「ソビエト(Sovet/ソビエト連邦の政治的基礎が登場し、ロシアの権力機関として、共産党を中枢とする一党独裁の政治権力)」が登場し、世界を二分する対極を構築した。
しかし、東西の冷戦構造が崩れると、今度は新しい世界秩序を目指す「ワン・ワールド主義」が擡頭(たいとう)した。
歴史は、こうして何らかの意図で、巧妙につくられているのである。
これは、ひと握りのエリートによって、自分達が世界を治める為に君臨し、支配すべきものだとする考え方を露骨にし、恐怖と汚染の種を、ばら蒔き始めたということを暗示する。
その基本的な謀略が、日本人に向けての食糧問題であり、食糧政策であった。
日本人を欧米的な食文化の食肉汚染で、根こそぎ、崩壊させる政策だったのである。
しかし、この企ての真相を知る日本人は少ない
つづく