蕎麦 Ⅸ【左】蕎麦粉の種類による分類 蕎麦粉の「産地」(日…

 

その他の分類

新蕎麦(しんそば)

秋に収穫されたソバの実を使用して、秋から冬の初頭にかけて作られた旬の蕎麦は、香りが高く、味も格別であることから新蕎麦または秋新(あきしん)と呼び、初夏から夏に収穫されたソバの実で作られた蕎麦は、秋新と類別して夏新(なつしん)と呼ぶ(ソバ#日本での栽培も参照)。夏新は新蕎麦(秋新)と比較して香りと味がやや劣るとされるが、そもそも蕎麦にとって夏は“夏蕎麦は犬さえ食わぬ”というような諺が示すように栽培技術や冷蔵技術が発達していなかった時代、端境期で保存状態も悪いため香りが抜けてつなぎの割合が増加傾向になる最も劣化する季節であった[40][41]。そこで、収穫したばかりの鮮度の高い粉を使い出来るだけ生粉打ちに近い蕎麦を提供するための工夫をしていると成分表示として謳っているのが夏新であり、秋新に匹敵するという意味はない。同じ季節に競合して提供しないものを比較する事は本質的に意味がない。さらに季節毎の品質のバラつきを抑えるための手段として、日本と気候の正反対のオーストラリアで栽培して春に収穫された蕎麦粉を用いて維持に務める店もあるほどである。秋の風物詩としての秋新の価値は変わるものではないが、そうした努力と技術革新により昔ほど品質のバラつきがなくなっているため、いざ新蕎麦を食べたときに拍子抜けする事があっても不思議ではない。製粉工程の乾燥が強すぎた蕎麦粉や、管理が悪く乾燥した蕎麦粉では秋新であっても低いレベルで品質がバラつかない事も考えられる。

陳蕎麦(ひねそば)

新蕎麦とは正反対の旬が過ぎてから端境期までの蕎麦が、栽培技術や冷蔵技術が発達していなかった時代に名付けられた。陳には「劣る、古い」という意味がある。ところが冷蔵技術の発達した昨今では、玄ソバの保存技術の革新により熟成された蕎麦として新蕎麦よりも評価する流れもあるが、もともと江戸時代の記録に「暑中寒晒蕎麦」という将軍家に諏訪の高島藩と伊那の高遠藩の2藩が献上していた夏の土用に食べる特別な蕎麦があり、歴史的にも厳格な管理の下で製造された夏蕎麦は陳蕎麦とは言えない高級品であった事が伺える[42][43]。ちなみに「寒晒し蕎麦」のように水浸漬させた玄ソバはGABA(γ-アミノ酪酸)含有量が増加するという研究結果がある[44][45]三輪素麺では、2年ものを「古(ひね)」、3年物を「大古(おおひね)」と呼び優れたものとして扱っていたが[46]、現代は蕎麦も技術の革新により実需者の意識次第で、蕎麦粉の鮮度を保つための環境が簡単に整えられるため、季節毎の品質のバラつきはなくなり新蕎麦を頂点とした時代の区別が通用しなくなってきている。

詳細は「蕎麦粉#品質管理」を参照

生蕎麦(きそば)

変体仮名で書かれた「生そば」の看板

生蕎麦は現在では、二八蕎麦、十割蕎麦、五割蕎麦他の「蕎麦屋の蕎麦全般」を指す[47][48]。蕎麦屋で生蕎麦の語が使われるのは、上等な蕎麦を生蕎麦と呼んでいた頃の名残である。元来は「そば粉だけで打ったそば・そば粉に少量のつなぎを加えただけのそば・小麦粉などの混ぜものが少ないそば」を意味するものだった[49][50][51][52]。しかし、江戸時代中期以降、小麦粉をつなぎとして使用し始めたことにより、二八蕎麦が一般大衆化したため、高級店が品質の良さを強調するキャッチフレーズとして「生蕎麦」を使うようになった[52][53]。その後、幕末頃には「生蕎麦」の指す範囲は拡大し、二八蕎麦にも使われるようになった。現在では、蕎麦粉の割合が明らかに低いと思われる駅前の低価格立ち食い蕎麦店等でも「きそば」のぼりは堂々と掲げられており、その意味は希薄化してしまっている。そのため、蕎麦粉だけの蕎麦を売りにしている蕎麦屋は、分かりやすく表示するため「十割蕎麦」あるいは「生粉打ちそば」という表現を用いるのが一般的である[47]。また「茹でる前の生麺」、「生麺・ゆで麺など水分を多く含んだ麺」いう解釈もあるが、この場合「きそば」ではなく「なまそば(生そば)」と異称される。生蕎麦の看板や暖簾は、現代での変体仮名の用途の代表例として引用されることがある[54]

蕎麦料理の種類