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18_80 ヨーロッパ世界の形成と変動 / 西ヨーロッパ中世世界の変容

中世ヨーロッパ都市の発展(ヴェネツィア・フィレンツェ・ハンザ同盟など) 受験対策問題 46

著者名: レキシントン

 

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中世ヨーロッパ都市の発展で押さえておきたいポイント


※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。 
 

中世ヨーロッパの都市


10世紀から11世紀にかけて、中世ヨーロッパでは封建社会が安定的になり、荘園内の生産性も向上し、人口が増加していった。また、ヨーロッパ各地で余剰生産物が増え、それらを交換する商人という職業が生まれ、定期市などが頻繁に開催された。 

・十字軍の遠征により、ヨーロッパ以外の交易路が開拓されると、ヨーロッパの商人たちは、イスラーム商人ヴァイキングとも交易を行い、地中海地域と北海・バルト海地域への遠隔地商業が盛んとなった。その際貨幣を使用するようになり、一方で交易の利便性・安全性を担保するため、各地で商人集落を形成し、それらは次第に中世都市へと発展していった。 

・地中海地域では、イタリアのヴェネツィア・ジェノヴァ・ピサなどの海港都市が東方貿易(レヴァント貿易)を行い、香辛料絹織物などを東方から仕入れ、ヨーロッパ各地に販売し、莫大な利益をあげるようになった。また、イタリアでは、ミラノフィレンツェなどの内陸都市も、毛織物をはじめ、貨幣経済の進展に伴い金融業で栄えた。 

・北海やバルト海地域では、北ドイツのハンブルク・リューベック・ブレーメン、フランドル地方のガン・ブリュージュ、イギリスのロンドンが北ヨーロッパ商業圏を形成し、木材・海産物・塩・毛皮・穀物・鉄・毛織物などの交易で栄えた。 

・地中海商業圏と北ヨーロッパ商業圏を結ぶ重要地域には、ドイツのケルン・マインツ・ニュルンベルク・アウグスブルク・ミュンヘン、フランスのシャンパーニュ地方パリ・ルーアン・リヨン・ボルドーなどが発達した。 

・後世のベルギーの歴史家ピレンヌは、このような都市と商業の発達を、「商業の復活(商業ルネサンス)」と表現した。 
 

中世都市と自治権


・中世都市の経済力が上がるにつれ、封建領主からの自立するための自治権を都市が求めるようになった。国王や領主などから、都市に対する様々な権力の放棄・委譲を認めた特許状をもとめ、都市の有力者たちは自治権獲得を目指したコミューン運動を行った。特許状の内容は、市場権・貨幣鋳造権・居住権・交易権・自治権などであった。 

・13世紀に入ると、封建領主から独立した自治都市が各地に形成された。イタリアでは、カロリング朝断絶以降各都市の有力者が政治を行うコムーネ(都市共和国)が誕生し、ヴェネツィア・ミラノ・フィレンツェ・ジェノヴァなど、さまざまなコムーネがイタリア各地にできた。また、ドイツでは、神聖ローマ皇帝から自治権を与えられた帝国都市が成立し、諸侯と同様の地位を得た。帝国都市は後に自治が強まり、自由都市と呼ばれるようになっていった。 
 

都市同盟


・自立した都市は、封建領主からの圧迫に対抗するため、都市同盟を結んだ。イタリアでは、ミラノを中心とする都市がロンバルディア同盟を結び、神聖ローマ帝国の南下政策に対抗した。ロンバルディア同盟は2回結ばれ、第1回はフリードリヒ1世に、第2回はフリードリヒ2世に対抗するためであった。 

・北ドイツでは13世紀から17世紀まで続くハンザ同盟が結ばれた。リューベックを中心に1358年から明確な都市同盟となり、封建領主に対抗し、北海・バルト海地域の商業圏を支配した。ハンザ同盟は16世紀以降衰退し、ドイツ三十年戦争後締結されたウェストファリア条約で解散した。 
 

都市の自治


・こうした自由都市に農奴が一定期間住み続けると、その身分から開放されたことから、「都市の空気は自由にする」ということわざも生まれた。しかし、あくまでも封建領主支配からの自由であり、都市の生活には明確な階層があった。 

・中世都市において、商人や職人たちは、ギルドという組合をつくり、市場の独占と相互扶助を行った。ギルドは商人ギルド同職ギルド(ツンフト)があり、市政を独占していた商人ギルドに対し、ツンフト闘争がおこり、次第に同職ギルドも市政に参加するようになった。 

・新たな都市貴族層もうまれ、フィレンツェのメディチ家やアウグスブルクのフッガー家などが有名である。 

・ユダヤ教を信じるユダヤ人は、中世を通じて差別や迫害にあった。いくつかの中世都市にはゲットーというユダヤ人隔離所住区が設置された。1215年にラテラノ会議(第4回)が開かれると、ユダヤ人の社会的差別が決定的となり、キリスト教徒との通婚や荘園経営が禁止された。職業を制限されたユダヤ人たちは金貸しや金融業に向かい、キリスト教徒から更に憎まれるようになった。 
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十字軍と宗教騎士団(クレルモン公会議、ヨハネ・テンプル・ドイツ騎士団など) 受験対策問題 45

・中世ヨーロッパ都市の発展(ヴェネツィア・フィレンツェ・ハンザ同盟など) 受験対策問題 46

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18_80 ヨーロッパの拡大と大西洋世界 / 大航海時代

大航海時代(コロンブス・マゼラン・価格革命・商業革命など) 受験対策問題 56

著者名: レキシントン
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大航海時代で押さえておきたいポイント


※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。 
 

インド航路の探索


・十字軍以降、東方との交流が活発となり、多くの通商路が開拓され、東方貿易(レヴァント貿易)により、香辛料・絹織物・宝石など、さまざまな富がヨーロッパにもたらされた。こうした時代に、ヴェネツィア商人で旅行家のマルコ=ポーロは、元のフビライ=ハンに仕え、ジェノヴァに帰国後、『世界の記述(東方見聞録)』を口述した。 この中には黄金の国ジパング(日本)の記述もあり、ヨーロッパ人がアジア来航を望むきっかけとなった。 

・アジアへの新航路をつくる先駆けとなったのが、ポルトガルスペインといった新興国であった。ポルトガルのエンリケ航海王子は、アゾレス諸島ヴェルデ岬を発見し、その後ジョアン2世が航海者バルトロメウ=ディアスを派遣し、この王の治世に、喜望峰の発見や、トルデシリャス条約の締結が行われた。 

1497年、マヌエル1世の命でヴァスコ=ダ=ガマが新航路をもとめてリスボンを出港し、喜望峰をまわってアフリカ東岸のマリンディでイスラーム教徒の水先案内人の協力の下、1498年にカリカットに到着した。これにより、インド航路が開拓され、オスマン帝国を経由しない交易路が成立した。インドと直接交易することにより、リスボンの香辛料の値段はヴェネツィアの半額となり、アジア交易は地中海交易路からインド航路に移っていった。 

・第2次インド航路開拓はカブラルによって行われた。1509年にディヴ沖海戦アルメイダ率いるポルトガル艦隊がマムルーク朝エジプトとヴェネツィアを撃破し、その後ポルトガルのインド総督アルブケルケが、1510年ゴア、1511年マラッカ、1515年ホルムズなど、交易の重要拠点を占領した。また、1517年にコロンボ、1557年にマカオを支配し、1543年には日本の種子島に漂着している。 
 

アメリカ大陸・太平洋航路への到達


・フィレンツェの地理学者トスカネリが唱えた地球球体説は、航海者コロンブスに大きな影響を与えた。コロンブスはスペイン女王イサベル(イザベラ)の援助を受け、サンタ=マリア号を旗艦とした船団を組織し、スペイン西南のパロスを出港、1492年に西インド諸島サンサルバドルに上陸し、新大陸に到達した。 

・新大陸への到達により、スペインはローマ教皇アレクサンデル6世に要請し、ヴェルデ岬西方560kmの子午線より西側をスペイン領とする教書を得たが、ポルトガルが反対したため、教皇子午線を150km西方へ移動させ、1494トルデシリャス条約をむすんだ。また、1529年にはスペインがモルッカ諸島をポルトガルに売却し、サラゴサ条約が結ばれ、太平洋の領土が確定した。 

・コロンブスの航海と同時期、イギリス王ヘンリ7世の援助を受けたカボット父子の北米沿岸探検や、ポルトガル提督カブラルによるブラジル発見、フィレンツェ出身のアメリゴ=ヴェスプッチによる新大陸調査、スペインのバルボアによるパナマ地峡横断など、さまざまな探検がおこなわれた。なお、新大陸はその確認者アメリゴ=ヴェスプッチにちなみ、1507年ドイツの地理学者ヴァルトゼーミュラーによりアメリカと名付けられた。 

・ポルトガル人の航海者マゼランは、ポルトガルからスペインに移り、カルロス1世の援助を受け、世界周航の旅に出た。南アメリカ南端のマゼラン海峡を越え、太平洋、その後1521年東南アジアに到達し、皇太子フェリペにちなんでフィリピンと命名した。1565年に総督レガスピが領有を宣言し、1898年までスペイン領となった。マゼランはその後マクタン島の王ラプラプに殺害されたが、その部下が1522年にパロスに帰着し、地球球体説が実証された。 
 

アメリカ大陸の文明と征服活動


・南北アメリカ大陸には、古代以来独自の文明が発達していた。メキシコ高原から中央アメリカ一帯の文明をメソアメリカ文明といい、テオティワカン文明(紀元前2〜6世紀)、マヤ文明(6〜14世紀)、アステカ文明(12世紀頃〜16世紀)などが栄えていた。また、南北アンデスにはアンデス文明が栄え、キープという十進法が用いられていたインカ帝国という巨大帝国が存在していた。 

・コロンブスをはじめとするコンキスタドールと呼ばれる征服者たちは、キリスト教布教の名のもとに侵略を行った。コンキスタドールのコルテスは、1519年にユカタン半島に上陸し、1521年に都テノチティトランを占領後アステカ王国を滅ぼし、メキシコを征服した。また、ピサロはカルロス1世の援助を受け1533年にインカ帝国を滅ぼし、ペルーを征服した。 
 

新大陸の植民地経営


・スペインは西インド諸島でプランテーションによる大規模経営をはじめ、砂糖生産が盛んになった。また、メキシコ・ペルーの征服により、金銀財宝が大量に本国スペインにもたらされ、更に1545年にボリビアのポトシ銀山が発見されると、大量の銀が銀船隊によりヨーロッパにもたらされた。大量の銀がヨーロッパにもたらされたことにより、物価が高騰し、南ドイツの銀山を経営していたフッガー家や、ヴェネツィアなどイタリア商人は急速に没落していった。これを価格革命という。 

・スペインがメキシコのアカプルコを起点とした貿易をアカプルコ貿易といい、ガレオン船をもちいてフィリピンのマニラを中継地として中国と取引した。 

・新大陸では黒人奴隷が大量に酷使され、アシエント(奴隷供給契約)がスペイン政府と奴隷商人の間に結ばれた。また、土地制度では当初エンコミエンダ制が取られたが、先住民インディオが過酷な労働で激減したため、アシエンダ制に変わっていった。こうしたインディオの状況は、スペインのドミニコ派修道士ラス=カサスが書いた『インディアスの破壊についての簡潔な報告』などスペイン国王に報告された。 
 

商業革命と価格革命


・大航海時代になり、商品の種類や量が劇的に増え、商圏が地球規模に拡大し、商業革命がおこった。また、リスボンアムステルダムアントワープなど、新しい都市が成立していった。 

・新大陸からもたらされた大量の銀は、価格革命を起こし、銀貨の下落と物価の高騰を招いた。これは貨幣地代に依存していた領主にも大きな打撃となり、ヨーロッパ社会が大きく変化するきっかけとなった。また他方でグーツヘルシャフト再販農奴制が盛んとなった。 

・この時代以降、地球規模での分業体制が成立し、この様子を「中核」と「周辺」からなる「近代世界システム」と表現したのが、後世のアメリカの歴史家ウォーラーステインである。 
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ムガル帝国の盛衰(アクバル、タージ=マハル、アウラングゼーブなど) 受験対策問題 55

・大航海時代(コロンブス・マゼラン・価格革命・商業革命など) 受験対策問題 56

ルネサンス(メディチ家、レオナルド、ミケランジェロ、ダンテ、フランドル派など) 受験対策問題 57

 

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ミーム Ⅲ【序】分類 流行習慣伝統掟仕掛け伝説物語 メタミ…

 

利己的遺伝子の進化

遺伝子(gene)の本体であるDNA二重らせん構造となっている。DNAは染色体の構成要素である。

利己的遺伝子」も参照

ミーム学を理解するために、利己的遺伝子の理論を理解する必要がある[1]。ミーム学は進化論に基づいているが、進化論といっても、学者によって、また学者以外の論者によって、様々な理論がある。ミーム学で必要なのは、利己的遺伝子の理論である。ミーム学には以下の二つのことを理解する必要があるからである。

  • 進化とはどのようなものか。
  • 脳はどのように進化してきたか。

突然変異

遺伝子はDNAの中にあり、DNAは細胞の中にある。ひも状のDNAに、一般に生命の設計図と言われる遺伝情報が記録されているが、その中の、自分の複製(自己複製)を作ろうとする一部一部を遺伝子と呼ぶ。DNAにはたくさんの遺伝子が含まれる。後に述べるように遺伝子は「利己的に」自己複製する。

DNAの遺伝情報はほとんどの場合、次世代へ正確に複製される。しかし、まれに複製の時に遺伝情報に誤りが生じる。その誤りが突然変異である。

突然変異といっても様々な突然変異があり、突然変異を定義することは単純ではないが、平易な表現では遺伝情報の中の小さな部分が変化することである。さらに突然変異による進化が、急激に生物を大きく変化させるのか、それとも少しずつ変化させていくのかといった議論は、意見が分かれている[9]

突然変異と自然選択の図解。上から下へ、突然変異で多様化が起き、自然選択され、再び多様化が起き、また自然選択され、生き残るのに有利な突然変異体が残り、増えていくことが示されている。

自然淘汰

遺伝情報の突然変異により、DNAは多様化する。そして生存競争の結果、どのDNAが自己の複製を次世代に伝えられるかということで、遺伝情報は選択されていく。この選択が自然淘汰である(自然淘汰の原語はnatural selection、日本の訳語では自然選択もある)。ただし、このプロセスは実際には複雑であり、研究、議論が続いている[9]

進化

生物は遺伝子の突然変異によって多様化し、多様化した生物の中から、環境に適応できる生物とそうでない生物が自然淘汰でふるいにかけられる。そうして残った子孫のDNAは、滅びたDNAよりも適応力の強い要素を持っている。このようにして、生物のDNAが環境に適応できる方向へ変化することが、進化である。

こうした進化が、DNAの情報だけでなく、心の世界の情報でも起きると考えるのがミーム学である。

利己的遺伝子

チャールズ・ダーウィン(1880年)

チャールズ・ダーウィンは、生物の進化をそれぞれの個体が子孫を残せるかどうかで論じたが、ダーウィンはDNAのことは知らなかった。実際には、複製されるのは、個体そのものではなくDNAである。DNAの中の遺伝子が、自分の複製を残すために進化しているというように、進化のプロセスを遺伝子の視点で考えるのが利己的遺伝子の理論である。ただし、実際に遺伝子が視点や意志を持っているという意味ではない。私達が遺伝子の視点に立って考えることで、進化が分かりやすくなるということである。

利己的遺伝子と呼ぶのは、進化が人間の幸福のためではなく、遺伝子がいかに自己複製を増やすか、をめぐって進行しているように見えるからである。例えば、私達が強い性的衝動を持つように進化してきたのは、私たちに性的衝動を持たせることが、ある遺伝子の自己複製に必要だからであり私達の生存や幸福のためではない、という視点である。一方、私たちの視点からは「私たちに性的衝動を持たせるために、その役割の遺伝子がある」と言えるが、この視点が間違いな訳ではない。両者の違いは視点の違いであり、「性的衝動は生存や幸福に役立たない」という意味ではない。しかし後に述べるように、遺伝子は必ずしも私たちの生存に役立たない。

遺伝子の視点に立てば、遺伝子が存在する理由は、自分の複製をDNAに残すためだけで、私たちの生存に貢献するためではない。遺伝子は自分を複製させるために、宿主である生物を利用している。DNAは細胞核の中で自分が複製されるのを待ち、宿主に食べ物を探させ、結婚相手を見つけさせ、敵と闘わせる。

利他的行動

利己的遺伝子の理論は、逆説的に動物の利他的行動について説明できる。働きバチは、母親の女王のために働くだけで、自分では子供を産まない。なぜなら、自分の生む子どものDNAよりも女王が生む子どものDNAの方が、自分のDNAに近いからである。

進化の方向

このように、利己的な遺伝子の視点から見れば、生物は遺伝子が自己複製するための乗り物である。利己的遺伝子にとって大事なのは自己複製であって、私達の肉体がよりよいものになることや、よりよい知性を身につけることではない。つまり遺伝子は、より多くの自己複製ができる方へ進化していくのである。

そのため進化とは、生存に適した肉体や知性を作るということは目的にしていない。したがって馬や犬などの動物がいつしか人間と同じ知性を持つようになるといった進化の方向性はない。例えば、昆虫は人間にあるような知性を持たないが、昆虫のDNAは人間より多く複製されている。

生物が生存しなければDNAの複製もできないため、DNAの進化は結果的に生存を助けることが多いが、寿命が短い生物が長い生物よりも繁殖力が強いケースもある。生存への利益と利己的遺伝子の複製への利益が天秤に掛けられた場合、複製への利益が常に優先される。

適応度

生物がどれだけ自分の複製を作れるかを「適応度」という。適応度の高い生物ほど自分たちを増やし、適応度の高い生物が自然淘汰で生き残る、というのがダーウィンによる進化の考え方であった。しかし利己的遺伝子の考え方では、生物ではなく、適応度の高いDNAが複製されることで進化は進行していくのである。すでに述べたように、複製されるのは生物の個体ではなくDNAだからである。

適応度の高さは、ただ自己複製をいくつ残せるか、を意味するのであって、身体の頑強さ、知性、寿命といったものは一切関係ない。

適応度はどのように決まるのか。資源の奪い合いにより、あるDNAが他のDNAに勝利することもありうるが、自然淘汰の働き方は資源の奪い合いとは限らず、地球環境の変化、異性の奪い合いなど、この世のあらゆるものが適応度へ影響を与えうる。

「設計」されない進化

進化において、肉体的な機能は、その機能の目的に合うように合理的に設計される訳ではない。進化は「設計」されるものではなく、様々な突然変異の偶然が重なって進化するからである。そのため、機能から考えれば不合理な肉体に進化することもある。例えば私達の目は不合理な構造の部分がある。進化は偶然生まれたものや不合理な部分が重なって進行していくためである。生存に適する遺伝子と、生存に適さない遺伝子では、もし後者の方がより適応度が高い場合、自然淘汰で生き残るのは後者の遺伝子である。

「進化」とはこのような現象であるため、ミームの進化においても、私達の利益になるかどうかではなく、適応度の高いミームが生き残る。

私達のは、芸術を生み出したり学問を積んだりすることができ、これらはDNAの複製に結びつかず、不合理であるが、進化とは目的に合うようになった段階でストップする訳ではないのである。DNAにとって脳の本来の目的は、DNAの複製のための生存と生殖であるが、脳は生存と生殖に注意を払うようになってからも進化が止まらなかった。そうして私達の「意識」が、生存と生殖の機能の上に偶然生まれ、その意識の上に、様々な思考が作られているのである。そうした思考は、DNAの複製という目的からすれば、不必要な脳の使い方である。しかし脳の進化が設計されたものではないがゆえに、こうした脳の使い方が可能になったのである。

このように進化してきた脳は、優先的に生存や生殖に注意を払うため、その脳が行う思考も生存や生殖に自然に偏る。この傾向はミームを考える上で大切なポイントになる。

また、人間の脳は石器時代からほとんど進化していない。脳は石器時代に生き延びて子孫を残すように進化したが、現代社会は石器時代とは大きく異なる世界である。これは脳と現代社会に大きなギャップがあるということである。この点もミームを理解する上で大事なポイントになる。

ミーム

生物はDNAの複製のために一生を捧げるが、人間は例外的な存在とも考えられる。なぜならミームの進化がDNAの進化よりも生活に影響力を持つからである。

DNAが情報を記録し、複製することができるように、ミームも情報の記録と複製を行う。ただしミームの進化はDNAよりも非常に速く進行する。DNAは数千年かけて進化を進め、人は一生の間にDNAが進化することはないのに対して、ミームは数日や数時間で進化できるであろう。そのため、現代の私達には遺伝子進化よりミーム進化の方がずっと大きな影響力があるのである。

ミームの進化