ミーム Ⅶ【右】利他主義に関するミーム 利他主義に関するミーム ギャンブルに関するミーム
迷信のミーム
黒猫
危険への本能的な脳の反応は、迷信というミームを作り出す。黒猫が目の前を横切ると悪いことが起きる、13日の金曜日は不吉である、しゃっくりを100回すると死ぬ、鏡を割ると不幸なことが起きる等のミームは、人々の「恐れ」の感情を利用して拡散していく。迷信のミームは感染した人の行動にも影響を及ぼす。
恐れに対応する「安い保険」のミームとして「霊柩車を見たら親指を隠さなくてはいけない」、「夜に口笛を吹いてはいけない」といった迷信も広まっている。つまり、危険を避けるためのちょっとした努力をしておこうという心理である。迷信のミームは、この「安い保険」に基づいているものが多い。人々のこうした心理を利用して、迷信のミームは心に入り込むことができる。
人によっては迷信を真実のように思い込み、迷信に基づいて行動する。しかしミーム学の観点からすれば、迷信が広まり生き残ってきたのは、それが適応度の高いミームだったからであり、真実だからではない。
都市伝説のミーム
都市伝説は、なぜ人々の間で広まり、いつまでもなくならないのか。それは都市伝説が生き残りと拡散にすぐれたミームを含んでいるからである。
都市伝説には恐ろしい話が多い。すなわち恐ろしい話であることは都市伝説として広まることができる一つの要素である。都市伝説に含まれる危険のミームが、私達の恐怖という感情を強く引き起こすのである。
さらに都市伝説を成功させるミームとして、誰かが珍しい出来事で多額のお金を得たといった「低リスク高配当」のミームや、ファーストフード店の食べ物についてといった「食べ物」に関するミーム、世の中の「危機」のミーム、あるいは何らかの「好機」に関するミームなど、人々を引きつけるミームが都市伝説には含まれている。
宗教に関するミーム
『大公の聖母』(ラファエロ・サンティ、1504年)。聖母マリアと幼子イエスが描かれている。
ミームの理論で考えた場合、宗教はミームの集まりである。そして強力なマインド・ウイルスである。
宗教はミーム進化により生まれのだと仮定すると、宗教は適応度の高いミームを持っているはずである。それは進化の力によって、自然に生まれる。適応度の高い宗教ミームはどのようなミームなのかを、以下に述べる。
- 伝統
伝統は、他のミームと一緒に自分を次の世代へ存続させるミームである。聖書の大切な取り扱いや古代神殿など、ほとんどの宗教に伝統がある。ただし宗教の持つ強力な伝統は、それが真理であるために、またよいことであるために受け継がれているのではない。宗教は伝統という戦略ミームが、その宗教の一部となっているために生き残るのである。
- 異端
ある宗教の教えに反する信仰を異端の教義として識別するミーム。この異端識別ミームは、異端の教えを排除しようとする。信者達がそれぞれ違った教義を好き勝手に信仰してしまえば、やがてその宗教は消滅してしまう。
- 布教
宗教が生き残るには、布教が教義の一部になっていなくてはならない。布教という戦略ミームを持った文化要素は、生き残るのに有利である。町中で布教活動をしていないならば、信者は自分の子どもに布教しなければ宗教の存続は難しい。
伝言ゲームで分かるように、意味の通じる考えは、そうでない考えよりも伝わりやすい。難しい問題に対して分かりやすい答えが用意された宗教は、人々に人気がある。ただし答えが正しい必要はない。イースター・バニーのように分かりやすいことが伝わりやすさになる。
- 反復
ある行為を繰り返したり、ある考えを繰り返し聞いていると親しみがわいてきて、その行為や考えを疑わなくなる。例えば日曜日に教会へ行くといった、ある行為や考えを何度も繰り返すことで、人は条件付けられてプログラムされる。
次に、人の感情を強く引き起こすミームを述べる。
- 安全
多くの宗教は人工的な恐怖を創りあげ、その上で安全な場所を用意し、そこに避難することは信仰によって可能になると教える。恐怖は例えば、神の怒りにふれる恐怖、地獄の恐怖、地域社会から追放される恐怖(ただしこれは人工的ではなく現実的)といったものである。恐怖により信仰が非常に強力なものになるのである。
- 危機
ある宗教は外敵が襲ってくる等といった危機ミームを利用することで、感情を引き起こす。多くのカルト宗教に危機ミームがみられるのは、「意味をなす」ことが難しいため、危機を積極的に吹聴して人々の心を捕らえるのである。
- 食べ物
復活祭のディナーなど、食べ物は宗教を魅力的なものにし、人々を惹きつける。ごちそうが食べられることで人を入信に誘い、断食は認知的不協和により信仰を強めるのである。
- 性
ほとんどの宗教は性に言及する。教会では結婚は一夫一妻のものに限るといったように、性に関する行動が信仰と関連づけられている仕組みは、宗教によって様々なものがある。
- 問題
多くの人が持つ、「問題を解決しようとする」傾向は非常に強い。太古の世界は、物理的な危険や利益から成り立っており、身の回りの世界を理解することが自分の生存を確保した。現代では、宗教に限らず人は意味のない事柄でも意味づけをし、解決すべき問題として捉えてしまう。それにより日々の生活の中で、気付いた問題を解決しようと熱中してしまうのである。例えば、お金を儲ける手段についてのことだったり、夫や妻の行動を変えさせる方法についてといったことである。
あるいは、どの宗教が真理か、という問題を解くためには、神は存在するか、神はどのような存在か、神はどのような姿かといった思考が際限なく続いてしまう。
ある宗教は、信者に問題解決のために人生を捧げさせ、神秘的な知識を得させようとする。
- 優位
宗教内に階層構造があると、権力を掴みたがる人にとって魅力的になる。特に男性が惹きつけられるが、進化論的に、権力を得ることと女性に近づくことが結びついているからである。
- 属する
ほとんどの人は、何らかの集団に属したがる傾向があり、それを利用して入信させることができる。孤独な人がこのミーム一つで宗教に入ることもある。
聖ソフィア大聖堂にある『最後の晩餐』(レオナルド・ダ・ビンチ)のレプリカ
ブロディは、宗教が悪いものであると言っているのではなく、信仰により「最後の晩餐」などの芸術が創られたり慈善団体の活動が行われたりしているとも述べている。
同時に、どの宗教も真理ではなく、人間の心が生み出したと言っている。つまり宗教とは、有史以前の世界で危険や生殖、権力、食べ物といったものに注意を払っていた脳が、現代でもほとんど進化できていないために、現代社会の中で危険や性、権力、食べ物など様々なことに意味づけをしているのである。