歴史地震 Ⅲ【内上】マグニチュード 地震の記録 中東 中…

 

日本

浅川観音堂、宝永津波の犠牲者を供養するために建立された観音堂徳島県海陽町浅川。

日本は最も詳細な記録が現存している国である。1892年(明治25年)に濃尾地震を契機として震災予防調査会が組織され1893年から関谷清景らにより調査研究が開始された[63]、これらの調査結果は1904年に震災予防調査会により集大成として『大日本地震史料』が刊行され[19]、その後も地震史料の収集と研究が継続され、武者金吉らにより『増訂大日本地震史料』(1941)や宇佐美龍夫らによる『新収 日本地震史料』などが作成された[17][64][65][66]。また、津波に関する歴史資料は『日本被害津波総覧』(渡邉偉夫,1985,1998)がある [7]

日本書紀』の允恭天皇5年条(416年と換算されるがはっきりしない)に初めて地震の記録が登場する(允恭地震)。599年には、地震被害についての記録が初めてあらわれる(推古地震)。679年筑紫地震は、筑紫と震源域が判明する初の記録である。684年白鳳地震は日本最古の巨大地震、津波の記録である。この白鳳地震を嚆矢とする南海トラフ沿いの巨大地震と推定される一連の地震はプレート間地震の繰り返しの記録としては世界最長のものとされる。しかし、飛鳥時代には大和や筑紫など西日本と思われる記録しかなく、断片的、限定的なものである。当時の交通事情に加え、関東は、朝廷にとって辺境とも言える土地であり、さらに遠くの東北地方は「まつろわぬ」蝦夷の力が強く、未だ朝廷の支配が完全には及んでいなかったためと思われる。

日本三代実録』では869年の貞観地震など、陸奥の地震も登場するが、地震活動が活発な東北地方の確かな巨大地震記録はこれ以降1611年慶長三陸地震まで確認されておらず記録の空白域となっており、僅かに享徳地震など会津の地震記録が見られるのみである。

南海トラフ沿いや東北地方太平洋沖の様に、明応地震、宝永地震および慶長三陸地震津波などで従前の記録が失われたと考えられる場所においては[30]、これ以前の現地で記された現存記録は極めて少ないが、都で記された『日本書紀』や『日本三代実録』には古い巨大地震の記録があり、当時は律令制が稼働し始め、国司らによって地方の地震被害が報告されていたものと考えられている[67]

これら六国史時代以降は正史が途絶え、鎌倉時代には『吾妻鏡』などに地震の記録が登場するが、京都鎌倉など一都市における限定的な記録のみとなり震源域の推定が困難なものが多い。室町時代には『太平記』などに地震の記録が登場するが[68]正平地震津波の「俄に太山の如なる潮漲来て」など軍記物語ゆえに文学的、誇張的な表現も見られる。

江戸時代以降は町人らの記録も見受けられるようになり全国各地の豊富な被害記録が残されている。しかし、依然、巨大地震の数が多いと考えられる北海道における記録は乏しい。これは、先住民アイヌが文字を持たなかったため、記録は口伝に頼るほかなかったことによる。また、文字を持っていた和人も江戸時代、北海道の僻地までは住んでおらず、またアイヌと和人の両者は、敵対的な関係であった時代も長かったため、情報が和人の元に集まらなかったことも影響していると思われる。この時代には、慰霊のため、地震の被害者を供養した寺社などの施設がいくつも建てられ、今に残っているものも少なくない。

明治維新の後、1880年(明治13年)4月に、世界ではじめて、地震学を専門とする学会「日本地震学会」が設立される。以後、日本で発生した地震の数々の記録と、西洋式の学問が組み合わさり、日本の地震研究は発展していくこととなる。

南米

南北アメリカ大陸の先住民のほとんどは、文字の文化を持っておらず、そのため古くの地震の記録は乏しい。南米のペルーチリで地震の記録が現れるのは15世紀以降である。マヤ文字で書かれた、さらに古い記録があったのかもしれないが、スペイン人を始めとする侵略者のヨーロッパ人によって破壊された可能性がある。ヨーロッパ人たちはアメリカ大陸の植民地化において、現地の文化や文物を徹底的に破壊した他、先住民に対しても過酷な大量虐殺を実行して記録を伝える者も皆殺しにしていった。以降、征服者のヨーロッパ人たちによる、西洋の科学に基づく詳細な記録が伝えられていくこととなる。

1960年チリ地震に代表されるようにペルー・チリ海溝沈み込み帯は、南アメリカプレートとの境界でナスカプレートが低角で沈み込み、プレート間の強い固着によりアスペリティを形成していると推定され、プレート間地震と推定される巨大地震の記録がしばしば見られる。これらの地震津波は太平洋全体に波及したものと推定され、日本における遠地津波の記録も存在する。

ペルー地震1471年に巨大地震の最古の記録が現れ、チリ地震1520年から記録に登場するようになり、両国ともこれ以降、巨大地震の記録が頻繁に現れている。年月日まで判明している地震としての最古は1555年のペルー地震。1960年の日本におけるチリ地震津波被害と同様、1730年のチリの地震津波が陸前に到達し、田畑を損じた記録が『東藩史稿』にある[17]

観測史上最大級の1960年チリ地震と同じ地域で発生した1575年バルディビア地震は、古記録および地質調査から、1960年とほぼ同規模である可能性が指摘され、さらに同地域では平均して約300年毎に津波堆積物などの痕跡を残すような大規模な地震が繰り返されていることが示された[69]。これ以外にも津波堆積物などの地質調査から、カスケード、スマトラ沖南海トラフ千島海溝日本海溝沿いなど世界各地のプレート境界の沈み込み帯において、300 - 600年程度の周期で特に大規模な地震が繰り返されていることが明らかに成りつつある。

伝承および口碑