歴史地震 Ⅱ【初序】震央および震源域 津波の規模
マグニチュード
詳細は「マグニチュード」を参照
地震学の研究の必要上、あるいは将来の地震の発生を予測する上で過去に発生した地震の規模を知ることは欠かせないものである。しかし地震計による観測記録を有しない歴史地震のマグニチュードは古文書の記録や発掘調査、地質調査による限定的な情報から推定するより他無い。
1935年、チャールズ・リヒターにより、ウッド・アンダーソン型地震計で観測された最大振幅に基づく地震の規模であるリヒタースケール(ローカルマグニチュード)ML が考案された[46]。これ以降、表面波マグニチュード Ms [47]、実体波マグニチュード mb [47]などが登場した。
1943年、河角廣は震央からの距離 100km における平均震度を MK と定義し、歴史地震においても古文書の被害記録から震度が推定され、規模を表すことが可能であるとした。また MK とリヒタースケールの間には以下の関係があるとされた[48]。
- M = 4.85 + 0.5 MK
- I = 2 M - 4.605 log ⊿ - 0.00166 ⊿ - 0.32 ( I : 気象庁震度階級, ⊿ : 震央距離[km] )
この推定された河角マグニチュードは日本の地震において最大のもので貞観地震、仁和地震および明応地震の8.6であった。河角廣はさらに過去の地震記録から日本各地の地震地域係数を定めた日本初の地震ハザードマップである河角マップを作成した[48][49]。
そのほかに震度4, 5, 6の範囲の面積とマグニチュードの関係式も提唱されている[50]。
- M = log S5 + 3.2 ( S5 : 震度5以上の範囲[km2] )
- M = (log S6 + 6.66)/1.36 ( S6 : 震度6以上の範囲[km2] )
- I = 8.16 + 1.45 M - 2.46 ln r ( I : メルカリ震度階級, r : 震央距離[km] )
宇佐美(1970)はこの河角の規模と気象庁マグニチュードの関係を検討したが、日本の歴史地震のマグニチュードは最大でも8.4 - 8.5程度とされた。この当時はモーメントマグニチュードという概念は存在せず、世界観測史上最大級の1960年のチリ地震もM8.5とされていた[52]。
1977年、金森博雄は地震モーメント M0 が地震のエネルギーと密接な関係があることを見出し[53]、地震断層の規模から誘導されるモーメントマグニチュード Mwが考案され、M8を超えても数値の飽和が無く巨大地震の規模をより適切に表すものとして今日では広く用いられる。しかしモーメントマグニチュードを正確に求めるためには地球規模の観測網を必要とし、断層の大きさなど震源パラメーターを決定するためには膨大な計算を必要とする。機器観測記録の存在しない歴史地震では、古記録から推定される震度分布や津波の高さを、ほぼ同じ震源域と推定される近代に発生した地震の観測記録に基づく断層パラメータから類推して、数値実験を繰り返し最適化された断層モデルが仮定されてモーメントマグニチュードが推定される[54]。しかし、情報量は乏しく断層モデルを置く位置を少し変えるなどパラメーターを多少変化させるだけでもマグニチュードは大きく変化し、近似の程度も悪く精度は低い[55]。
1700年のカスケード地震は当時の北米大陸における地震記録は現存していないが、『田辺町大帳』、『大槌記録抄』など日本各地における遠地津波の記録が存在し[17]、地震の発生した凡その日時やマグニチュード Mw 8.7 - 9.2 が推定されている[56]。その他、チリやペルーにおける地震津波も日本に襲来した記録があり、その規模からこれらのおおよそのマグニチュードの推定が可能である。
地震の記録
中東
中東には紀元前20世紀以前から地震の記録がある。紀元前2150年頃のヨルダンのカラク付近の地震は旧約聖書にあるソドムとゴモラの滅亡との関連も唱えられている[57]。このほかにも聖書にはシリア付近と考えられる地震の記述があり、例えばサムエル記上14・15およびマタイ27・51、28・2などが挙げられる。
紀元前2000年頃には、シリア、およびトルクメニスタンでそれぞれ地震が発生したとされる[58]。
中国
中国も古い記録を有する国の一つであり、夏朝の紀元前1831年に泰山付近で発生したとされる泰山地震は『竹書紀年』に記録され、中国で確認される記録としては最古のものである[59][60]。NOAAの地震年表に登録されているものとしては紀元前193年および紀元前186年の甘粛省における地震の記録がある[58]。
138年に甘肅省で発生した隴西地震は700km離れた洛陽に設置された張衡の製作による地動儀が感知し、これは最古の地震計の一つとされる[61]。
中国では内陸部の巨大地震の記録が多く存在し、直下型の巨大地震の様相を呈し、1556年の華県地震など数十万人の死者を出すような甚大な被害を伴うものがしばしば見られる。史上最大規模とされる地震は1668年に山東省で発生した郯城地震とされている。
ヨーロッパ
ヨーロッパで最古の記録を持つのは古代ギリシアであり、紀元前1410年頃(紀元前1450年頃とも)、紀元前550年頃、紀元前479年、紀元前432年(古代ローマ)、紀元前426年、紀元前373年、紀元前330年、紀元前282年、紀元前227年、および紀元前223年などに地震の記録がある[58]。
紀元前17世紀ないし紀元前1450年頃、サントリーニ島の噴火と地震はエーゲ海に甚大な津波をもたらし、クレタ島のフェストス宮殿が崩壊したとされる。
1755年にポルトガル沖で発生したリスボン地震は、西ヨーロッパ、北アフリカの広い範囲に強震をもたらし、大津波発生の比較的稀な大西洋全体に津波が波及した[44]。この地震による経済など社会的影響は多大なもので、これを期に地震学が発足した。
朝鮮半島
朝鮮半島は地震の発生が比較的少なく津波記録もほとんどないと言われるが、実際には古くからの地震の記録が存在し、最古のものとしては『三国史記』に2年に発生した地震の記述が見られる。以下被害記録があるものとして27年、34年、37年、89年などと、京畿道広州における大地震、家屋倒壊および液状化の記録がある[17]。『三国史記』や『高麗史』『朝鮮王朝実録』に記された被害内容などからマグニチュード6.0以上と推定されるものもあって[62]、16世紀から17世紀にかけて比較的多くの地震が発生している。史上最大規模とされる地震は1681年6月28日の江原道、襄陽郡・三陟の地震とされ、推定されるマグニチュードは7.0~7.5で海震や津波と見られる記述もあるという[62]。