自己愛性パーソナリティ障害 Ⅵ【下】その他の分類 共通特徴…

 
 

治療[ソースを編集]

治療の中心は精神療法である[74]薬物療法は抑うつ症状等に対する対症療法として行う。

病理学[ソースを編集]

自己愛性格者および自己愛性パーソナリティ障害に対する治療的試みは、ジークムント・フロイトマスターソンロゼンフェルドカーンバーグコフートによるものが広く知られている。

ジークムント・フロイトは、現代の疾患単位でいえば自己愛性パーソナリティ障害の人々が含まれる自己愛神経症の治療を行っていたが、これらの患者には対象転移が生じず、自己愛転移しか生じないため、精神分析では治療できないと結論づけていた[75]マスターソンは、自己愛性パーソナリティ障害の人物もまた見捨てられ抑うつを抱えており、分離不安や共感の失敗が万能や価値下げなどの防衛を導くと指摘した[76]。また対象表象があたかも自己表象の構成部分であるかのように行動すること、幼児期の誇大感と万能感を維持し続けていることから、マーガレット・マーラーの発達理論における分離個体化期において発達停止が生じていると分析した。治療においては、自己愛の脆弱性を積極的に解釈し、葛藤を徹底操作していくことが重要であると報告した[77][78]ロゼンフェルドは、分裂ゆえに妄想的な被害感情を持つ心の態勢と、抑うつを受け止め償おうとする心の態勢の間に、見せかけの適応を示し変化を拒絶する自己愛構造体が自己愛性パーソナリティ障害の人々に特徴的に見られることを見いだした。こうした、いわば第三の態勢を生み出す悪性の防衛を放棄させることが、治療の眼目であるとロゼンフェルドは指摘した[79][80]

最も広く知られている治療理論はカーンバーグとコフートによるものであるが、彼らは自己愛性パーソナリティ障害に見られる転移を、積極的に直面化し解釈することあるいは共感的に扱うことで治療可能であることを報告した[61]。2人の治療理論にはそれぞれ対照的な部分があるが、それは素材となった患者群の違いによるところが大きいといわれる。コフートが診療を行った患者は、自己評価の傷つきやすさを抱えながらもそれなりの社会適応を果たしており、外来治療が可能な人々であった。対してカーンバーグの患者は入院治療を必要とする人達を含むより重症の患者群であり、境界性パーソナリティ障害と区別がつかない人達を含んでいた[61]。両者の治療論は以下である。

自己愛性パーソナリティ障害の精神力動的理解と治療
カーンバーグ   コフート
・怒りを生得的に持ち合わせた一次的なものと見る
・自己愛性人格は境界性人格の下位分類である
・誇大的自己は病的構造と見る
・理想化を防衛手段として直面化し、解釈する
理解 ・怒りは共感的反応を得られない時に生じる二次的なものと見る
・自己愛性人格は境界性人格とは区別される
・誇大的自己は正常な発達過程で見られる
・理想化を正常な発達欲求として受け入れる
親が自分の自己愛の道具として特別な子を求めるなどの不適切な養育に加え、先天的な子どもの羨望と攻撃性の強さを重視する葛藤理論。自分の内部にあるアグレッションが強すぎるためにコントロールできないほどの葛藤が生じるのだと考え、解釈を通して直面化を繰り返し、自我の成長を促進する 原因 共感的な親子関係が築けなかったために心が十分に成長しなかったという後天的な環境要因を重視する欠損理論。この場合の欠損は生まれついてのものではなく、養育過程で生じた後天的な欠損を意味し、共感を用いて育て直し、自己評価調節機能と緊張緩和機能という心理的構造の内在化を目指す
幼年時代の処理できなかった原始的な怒りの感情が、外界へ投影されることで生じる恐怖・憎しみ・怒り・羨望の感情を解釈を通じて繰り返し直面化する。自分の悪い部分などを他者へ投影するなどした時に、本当は患者自身に抱えきれない葛藤があることを教えてゆく。被害妄想的な世界は、実は自分の中にある幼い頃の感情が外界に投影されたものであることを解釈し、洞察を助ける 治療 理想化転移を引き受ける。共感的に患者の気持ちを汲む(鏡転移)。間違いや失敗をした際には素直に謝るなど、理想化対象である治療者にも至らない点があることに気がつかせる(適量の欲求不満)。患者の欠損を解釈していくなかで、治療者のもつ安定した自己機能を取り込み、自己の欠損を埋める新たな心理構造の構築を援助する(変容性内在化)
誇大的で要求がましい自信過剰タイプ (ギャバードの無関心型に相当) 分類 自己評価が低く羞恥傾向があり、しばしば心身不全感を訴えるタイプ(ギャバードの過敏型に相当)
オットー・F・カーンバーグ(1996)[81][注 5]、ハインツ・コフート(1994)[82]、ほか[61]

関連疾患

自己愛性パーソナリティ障害はうつ病摂食障害強迫性障害パニック障害身体醜形障害物質関連障害・他のパーソナリティ障害との併存が見られる。大うつ病性障害のうち約2割が自己愛性パーソナリティ障害に伴う抑うつ症状という報告がある[83]。以下に特に関連の深い疾患を挙げる。

摂食障害

アメリカ精神医学会はDSMにおいて、摂食障害の人はかなりの割合で少なくとも一つのパーソナリティ障害の診断基準を見たし、自己愛性パーソナリティ障害は神経性無食欲症拒食症)と関連が深く[57]神経性大食症過食症)は境界性パーソナリティ障害が最も多く見られると報告している[84]。摂食障害の人々もまた、極度に価値下げされた自己像と、それに対置する理想的で誇大的な自己像が分裂して併存しており、自尊心の障害を抱えている[85][86][87]。摂食障害における自己愛的防衛の研究は、摂食の病理と自己愛の間にある相関関係に注目している[88][89]

詳細は「摂食障害 - 病理学」を参照

自己愛性パーソナリティの有名人

三島由紀夫(1925 - 1970)

ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908 - 1989)

自己愛性パーソナリティ(障害)を有していたとされる有名人には、三島由紀夫太宰治サルバドール・ダリヘルベルト・フォン・カラヤンがいる。

三島由紀夫は対人関係に過敏で、貴族的な選民意識を持ち、妥協を許さぬ完璧主義者であった。祖母に溺愛され、母との情緒的な繋がりを持ちにくかった三島は、幼い頃にはケガをすると危ないという理由で女の子だけを遊び相手に選ばれている。この体験が彼のバイセクシュアルという指向性に影響を与えたかもしれない。文壇デビュー当時の思うように売れない時期から、基底にある自己不確実感を覆い隠すようにボクシングウェイトリフティングという肉体鍛錬に没頭した。またそのうるわしい肉体とは対照的に、取り巻きなしでは飲食店に入ることすらできないという過敏性を示している[90]。その後数々の傑作を生み出し隆盛を極めたものの、40歳にもなると肉体的な老いを感じずにはいられなくなり、痩せ衰えることを極度に恐れた。やがて国家主義的思想に自らの在り方を重ねていった三島は、劇的な自決により、美を保ったまま自らの人生に幕を下ろした[91]

太宰治は慢性的な虚無感や疎外感を抱えていた。安定している時期は自己愛的性格だったが、不安定時は感情統制が困難で境界性的な特徴を示し、芥川賞を逃した時の怒りは常軌を逸していたという。感受性が強く、なおかつ高い知能を持っていた太宰がパビナール依存に陥ったのはごく自然な成り行きだったのかもしれない。また、離人感や自殺念慮も有しており、自殺(心中)未遂を繰り返し、5回目で自殺完遂に至った。28歳の時には精神科病院である江古田の東京武蔵野病院へ入院している[92]

サルバドール・ダリは様々な精神障害の特徴を示しているが、その中核にあるのは歪なナルシシズムである。自らを天才と言って憚らない自己顕示性と、奇矯な振る舞いの背後には、ありのままの自分を認められずに過ごした生い立ちが関係している。ダリには同じ名前の兄がいたが、2歳でその人生を閉じており、ダリはその兄の写真を見る事を極度に恐れた。両親の目の奥に、自分ではなく、死んだ息子への不毛な愛情を感じていたからである。生涯にわたって自己喧伝の衝動に囚われ続けたダリは、『私は自分自身に証明したいのだ。私は死んだ兄ではない、生きているのは私だ、と』と綴っており、愛情面の傷つきからくる繊細な感性と、誇大的とも言える自信は、創造的な営みの原動力となった[93]

ヘルベルト・フォン・カラヤンは世界最高の指揮者として「帝王」の名を欲しいままにしたが、その気性から数多くの問題を引き起こした。カラヤンはメディアに掲載される自らの写真を全てチェックし、認めたもののみ公表を許すなど、自分が最も理想的な姿で映し出されることを求めた[94]1975年に不意打ちで写真を撮られた際にはカメラマンを殴りつけるという事件を起こしている。またカラヤンは自らが貴族階級出身であることをあらわす「フォン」をつけて名乗ったが、パスポートには「ヘルベルト・カラヤン」とだけ記されていたという。幾度にも渡るベルリン・フィルハーモニーとの対立に示されるように、カラヤンは少しでも意見を言う者や、従わないものには怒り狂い、徹底的に攻撃した。世間の持つ「天才」、「帝王」という二枚目な「芸術家としてのカラヤン」と、「人間カラヤン」を同じように評価することはできないと楽員は述べている[95]

脚注