うどん Ⅰ【冒頭】写真 目次 概要 歴史  

 

歴史

発祥には諸説あり定かではないが、時代順に並べると以下のようになる。

  • 奈良時代遣唐使によって中国から渡来した小麦粉の入りの団子菓子「混飩(こんとん)」に起源を求める説。青木正児の「饂飩の歴史」によれば、ワンタンに相当する中国語は「餛飩」(コントン)と書き、またこれを「餫飩」(ウントン、コントン)とも書き、これが同じ読み方の「温飩」(ウントン)という表記になり、これが「饂飩」(ウドン)となったとする説。
  • 平安時代空海から饂飩を四国に伝えて讃岐うどんが誕生したという伝説。
  • 平安時代の989年一条天皇春日大社へ詣でた際に「はくたく」を食べたという「小右記」の記述から、発祥は奈良とする説[4][5][6]
  • 仁治2年(1241年)に中国から帰国した円爾(聖一国師)が製粉の技術を持ち帰り、「饂飩・蕎麦・饅頭」などの粉物食文化を広めたとする説。承天寺福岡市、円爾建立)境内には「饂飩蕎麦発祥之地」と記された石碑が建っている[7]
  • 中国から渡来した切り麦が日本で独自に進化したものであるという説。奥村彪生によれば、麵を加熱して付け汁で食するものは中国には無く、日本の平安時代の文献にあるコントンは肉の餡を小麦の皮で包んだもので、うどんとは別ものであり、うどんを表現する表記の文献初出は南北朝時代の「ウトム」であるとする説[8]
  • 南北朝時代末期の庭訓往来節用集などに「饂飩」「うとん」の語が現れる。江戸時代は「うどん」と「うんどん」の語が並存し、浮世絵に描かれた看板などに「うんとん」と書いてあることがよくあり、明治初期の辞書である「言海」は、うどんはうんどんの略と記されている。
  • 室町時代に記された『尺素往来』に、「索麺は熱蒸し、截麦は冷濯い」という記述があり、截麦(切麦)が前身と考える説もあるが、その太さがより細く、冷やして食されていた事から、冷麦の原型とされている。切麦を温かくして食べる「温麦」と冷やして食べる「冷麦」は総じてうどんと呼ばれた[9]

いずれにせよ、現代の形の「うどん」は、江戸時代前期には全国的に普及して広く食べられるようになっていた。

備考
  • 現代の中華圏では、日本のうどんを「烏冬」あるいは「烏龍麵」と表記するが、いずれも日本語の発音に基づく当て字であり、うどんそのものの起源・由来とは関係がない。
  • 江戸時代中期までは、薬味コショウだった。江戸時代後期にトウガラシ栽培が軌道に乗るに連れ、その地位を奪い今日に至っている[10]

文化

日本におけるうどんの文化として、歴史的には蕎麦(蕎麦切り)よりうどんの方が古い。また、小麦の原産地は中央アジアから西アジアとされており、米作に向かない地域で耕作され発展している。「門前蕎麦」と同じく、参拝者などに対する「門前饂飩」として古い歴史を持った社寺にまつわる文化的なうどんが各地に存在している(加須うどん吉田のうどん伊勢うどんなど)。

日本東西のうどん・そば文化

おもに関西で好まれ、蕎麦が好まれる関東ではあまり好まれないとされるが、蕎麦=東日本、うどん=西日本とするのは正しくない。

江戸時代前期の江戸の市中においては、まだ麺類としての蕎麦(蕎麦切り)が普及しておらず、蕎麦がきなどの形で食べられていたことから、江戸でも麺類としては人気があったようである。蕎麦きりの元祖は信州そばであり(蕎麦切りの最古の記録は、天正2年(1574年)に木曽定勝寺で落成祝いに蕎麦切りを振る舞ったというもの)、これが信州から甲州街道中山道を通して江戸に伝えられたものとされる。蕎麦きりが普及すると、蕎麦と蕎麦屋が独自の文化を育む母体となっていったこと、脚気防止のために冷害にも強い蕎麦が好まれたことなどの理由により、確かに、蕎麦が広がったことは事実であるが、現在の関東地方でも、武蔵野や群馬県を中心として、「武蔵野うどん」や「水沢うどん」をはじめとするうどん専門店も多い[11]。実際、2004年(平成16年)度のうどんの生産量でも1位は日本全国に向けて宣伝をしている讃岐うどん香川県だが、2位は埼玉県であり、群馬県もベスト5に入っている[12]。これらの地域では二毛作による小麦栽培が盛んで、日常的な食事であり、かけうどんや付け麺(もりうどん)にして食べられることが多い。

天正12年(1584年)に大坂で「砂場」という蕎麦屋が開業した記録があるなど、近畿地方でも早い時期から蕎麦が食べられており、蕎麦きりも普及していった。近畿地方では「そば屋」よりも「うどん屋」が多いが、京都では近隣の丹波地方で蕎麦作りが盛んだったため蕎麦文化も根付いており、専門の「そば屋」も多い上ににしんそばは京都の名物ともなっている。「出石そば」をはじめとする近畿北部の蕎麦文化は、江戸時代に信州から導入されたものだという。讃岐を除く西日本の大部分の地域では、腰がなくツユを吸いやすい柔らかい麺が好まれている(柔肌の大阪うどんより)。一方、蕎麦はツユを吸わせて食べるようなものではないためこのようなツユとの相性は良くない。

日本うどん学会

詳細は「日本うどん学会」を参照

讃岐うどんブームを発端に香川短期大学教授の三宅耕三らが2003年(平成15年)に設立した、うどんを食文化・栄養産業などの様々な観点から研究する純粋に学術目的の団体。日本学術会議協力学術研究団体には登録していない。事務局(2017年1月時点)は四国大学短期大学部 植田研究室に置かれている。

日本三大うどん