地震の年表 (日本) Ⅱ【初】416年〜鎌倉時代 5世紀~…
- 938年5月17日(5月22日)(承平8年4月15日) 京都などで地震 - M 7、死者あり。高野山でも建物損壊。その後も余震が多く、8月6日に大きな余震。
- 976年7月17日(7月22日)(天延4年6月18日) 山城・近江地震 - M 6.7以上、死者50人以上。
- 1026年6月10日(6月16日)(万寿3年5月23日) 万寿地震 - 石見国(島根県益田市)の日本海沖で巨大な地震津波が発生し、沿岸の各村落に襲来して未曾有の被害をもたらしたとの口碑がある。M 7.5〜7.8、死者1,000人以上と推定[51]。益田川沿いにて同時期の津波堆積物と思われる層を確認[52]。
- 1088年6月4日(6月10日)(寛治2年5月13日) 宮古の辺に20時頃から翌朝まで9回地震、大津波が13時頃までに3回来襲(『奥南見聞録』)。
- 1096年12月11日(12月17日)(嘉保3年11月24日) 永長地震(嘉保地震、東海道沖の地震または南海トラフ全域) - M 8〜8.5、死者1万人以上と推定。東大寺の鐘が落下、伊勢・駿河で津波による大きな被害など。
- 1099年2月16日(2月22日)(承徳3年1月24日) 康和地震(承徳地震、南海地震?) - M 6.4〜8.5、興福寺、天王寺に被害。死者は不明。地殻変動により土佐で田畑海没。津波被害は不明。土佐の地盤沈下記録の日付は康和2年1月X4日。南海地震とされたが、疑義があり畿内の地震の可能性もあり[53]。
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- 鎌倉時代(1185年頃 - 1333年)
- 1185年8月6日(8月13日)(元暦2年7月9日) 文治地震(元暦大地震) - M 7.4、死者多数。法勝寺や宇治川の橋など損壊。余震が2か月ほど続く。琵琶湖の水が北流したという記録がある。鴨長明が『方丈記』で詳述。南海トラフ巨大地震説[54]、および琵琶湖西岸断層帯南部の活動による説[55][56][57]がある。滋賀県文化財保護協会によると、長浜市の塩津港遺跡はこの地震(堅田断層によるとする)液状化でできたものという[58]。
- 1200年頃 地質調査によれば南海トラフ地震が発生した可能性もあるが疑義あり。
- 1241年5月15日(5月22日)(仁治2年4月3日) 鎌倉で地震 - M 7、津波を伴い由比ヶ浜大鳥居内拝殿流失。
- 1245年8月19日(8月26日)(寛元3年7月26日今夜五剋) 京都で震度 5以上、破損多し (理科年表では8月27日[注 7])
- 1257年10月2日(10月9日)(正嘉元年8月23日) 正嘉地震 - M 7〜7.5、関東南部に大きな被害。同日に三陸沿岸に津波襲来し野田海と久慈の海に津波(『岩手県沿岸大海嘯取調書』)※。
- 1293年5月20日(5月27日)(正応6年4月13日) 鎌倉大地震(永仁鎌倉地震) - M 8クラスの相模トラフ巨大地震との説がある。建長寺などで火災発生、死者2万3,000人あまり、余震多発。
- 1299年5月25日(6月1日)(正安元年4月25日) 大阪・京都で震度 5以上、南禅寺金堂倒れる。
- 1317年2月16日(2月24日)(正和6年1月5日) 京都で地震 - M 6.5〜7。清水寺出火、死者5人。2月22日にも震度 6とみられる大地震。
- 1325年11月27日(12月5日)(正中2年10月21日) 正中地震 - M 6.5±1⁄4。越前敦賀郡氣比神宮倒潰、竹生島の一部が崩れる。柳ケ瀬断層を震源とするという説があるが、トレンチ調査の結果と一致しない。
- 1331年
室町時代〜安土桃山時代
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- 室町時代(1336年 - 1573年)
- 1360年11月13・14日(11月21・22日)(正平15年、延文5年10月4日・5日) 紀伊・摂津地震(東南海地震?) ※ - M 7.5〜8.0、死者多数。津波あり。記録は疑わしく地震の存在は疑問視される[39][60]。
- 1361年7月26日(8月3日)(正平16年、康安元年6月24日) 正平地震(康安地震)(南海トラフの地震、震源域諸説あり) - M 8 1⁄4〜8.5、死者多数。摂津・阿波・土佐で津波により大きな被害。
- 1408年1月12日(1月21日)(応永14年12月14日) 応永地震 - M 7〜8。紀伊・伊勢で地震。熊野本宮の温泉湧出が、80日間止まる※。
- 1433年10月28日(11月6日)(永享5年9月16日) 相模地震(永享関東地震) - M 7以上、死者多数。津波により利根川が逆流[注 8]。
- 1449年5月4日(5月13日)(文安6年4月12日) 山城・大和地震 - M 5 3⁄4 - 6.5、死者多数。
- 1454年
- 1474年終盤 - 1475年初頭(文明6年冬)京都で大地震[62]
- 1495年9月3日(9月12日)(明応4年8月15日) - 鎌倉大仏殿が津波で破壊されたと記録されている(『鎌倉大日記』[63])。この記録が明応7年の明応地震の混同として扱われて、「理科年表」には記載がない。地層[注 9]や史料[64]の調査から、相模トラフを震源とする関東地震の可能性が疑われている[65][66][67]。
- 1498年
- 1502年1月18日(1月28日)(文亀元年12月10日) 越後地震 - M 6.5〜7.0、死者多数。
- 1510年9月11日(9月21日)(永正7年8月8日) 摂津・河内地震 - M 6.5〜7.0、死者多数。余震が2か月あまり続く。
- 1520年3月25日(4月4日)(永正17年3月7日) 永正地震 - M 7.0〜7 3⁄4。紀伊・京都で地震。熊野・那智の寺院破壊、津波有り。
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- 安土桃山時代(1573年 - 1603年頃)
- 1585年7月31日(天正13年7月5日) 大阪・京都・伊勢で大震。
- 1586年1月18日(天正13年11月29日) 天正地震(東海東山道地震、飛騨・美濃・近江地震) - M 7.8〜8.1(それ以上の可能性あり、あるいはM 8クラスの地震が3つ以上同じ日に立て続けに発生した可能性あり)、死者多数。飛騨・越中などで山崩れ多発、白川郷で民家数百軒が埋まる。内ヶ島氏、帰雲城もろとも滅亡。余震が1年以上続く。三河湾と若狭湾という日本海・太平洋両岸での大津波記録が複数あり、複数の巨大地震の同日発生の可能性がある。少なくとも養老断層(愛知県)、阿寺断層(岐阜県)の2つの断層の活動(いずれもM 8クラスか)の可能性が高い。さらに若狭湾に津波をもたらした断層も活動したと考えられ、3つのセグメントでのM 8クラス地震が同日に少なくとも3つ以上発生した可能性が高い[注 10]。
- 1590年3月21日(天正18年2月16日) 安房で地震 - 2mの隆起あり。潮が引いて3キロの干潟が形成された。
- 1596年・・以下の3つは連動型地震の可能性がある。
- 9月1日(文禄5年閏7月9日) 慶長伊予地震(慶長伊予国地震)- M 7.0、寺社倒壊等。同年同月に発生した一連の内陸地震のさきがけとなる。四国を走る中央構造線断層帯での地震と考えられている。
- 9月4日(文禄5年閏7月12日) 慶長豊後地震(大分地震) - M 7.0〜7.8、死者710人、地震によって瓜生島と久光島の2つの島が沈んだとされている。大分県を走る別府-万年山断層帯(べっぷ-はねやま だんそうたい)での正断層型地震と考えられている。
- 9月5日(文禄5年閏7月13日) 慶長伏見地震(慶長伏見大地震、文禄の大地震) - M 7 1⁄2±1⁄4、京都や堺で死者合計1,000人以上。伏見城の天守閣や石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。淡路島〜神戸〜大阪北を走る六甲・淡路島断層帯での地震と考えられている。