地震の年表 (日本) Ⅰ【冒頭】目次 凡例 416年
416年〜鎌倉時代
「歴史地震」も参照
地震年表では、前後の時代と比較し9世紀に地震が増加している。これは、実際に地震が多く発生したのではなく、中央集権体制が整い為政者側が積極的に情報を収集した為と考えられている[31][32]。記録が疑わしく存在が疑問視されている地震もあり、疑問視されている記録には※印を付している。
- 416年8月22日(8月23日)(允恭5年7月14日) 允恭地震 - 遠飛鳥宮(大和国/現・奈良県明日香村)で地震。『日本書紀』に「地震」の記述。記録に残る日本史上最初の地震[33]。
- 4世紀〜5世紀頃または430年頃、三陸から房総にかけてM 9級の超巨大海溝型地震と津波発生の可能性。産総研は869年の貞観地震と2011年の東北地方太平洋沖地震と同程度の規模の津波だったとみている[34]。宮城県気仙沼市大谷海岸で津波による堆積物が発見された[21][注 2]。
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- 飛鳥時代(592年 - 710年)
- 679年初頭(天武7年12月) 筑紫地震 - M 6.5〜7.5、幅二丈、筑紫国(福岡県)で長さ三千余丈の地割れ(『日本書紀』)。水縄断層の活動による内陸地震との説がある[35]。
- 684年11月26日(11月29日)(天武13年10月14日) 白鳳地震(天武地震、南海トラフ全域が震源域の可能性あり) - M 8 1⁄4(Mw 8〜9)、死者多数。土佐で津波により大きな被害。田園(約12km2)が海面下へ沈下(『日本書紀』)。南海地震を示唆する記録だが地質調査によればほぼ同時期に東海・東南海地震も発生。日本最古の津波記録[33]。
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- 奈良時代(710年 - 794年)
- 715年6月30日・7月1日(7月4・5日)(和銅8年5月25日・26日) 遠江国地震 - M 6.5〜7.5、三河国・ 遠江国(静岡・愛知)で地震。正倉47棟が倒壊。天竜川が塞き止められ、数十日後に決壊して洪水(『続日本紀』)。
- 734年5月14日(5月18日)(天平6年4月7日) 畿内七道地震 - M 7、死者多数(『続日本紀』)。生駒断層直下型。誉田山古墳一部崩壊する。
- 745年6月1日(6月5日)(天平17年4月27日) 天平地震 - M 7.9。岐阜県美濃地方で地震。天皇平城京に復都(『続日本紀』)。愛知県〜岐阜県を南北に走る養老断層の1つ前の活動(次が1586年の天正地震)とする説がある。
- 762年6月5日(6月9日)(天平宝字6年5月9日) 美濃・飛騨・信濃(岐阜・長野)で地震(『続日本紀』) - M 7以上。糸魚川静岡構造線活断層系で発生したM 7 3⁄4〜8 1⁄4と同じものである可能性がある[36]。
- 797年(延暦16年)8月14日、南海トラフ地震があった可能性が保立道久により指摘されている[37]。 (800年6月に富士山が噴火)
- 818年8月頃(弘仁9年7月) 弘仁地震 - M 7.9、北関東で地震。死者多数(『類聚国史』) [注 5][38]。
- 827年8月7日(8月11日)(天長4年7月12日) 京都で地震(『類聚国史』) - M 6.5〜7。
- 830年1月30日(2月3日)(天長7年1月3日) 出羽で地震(『類聚国史』) - M 7〜7.5。
- 841年前半(承和8年5月3日以前) 伊豆地震 - M 7、死者多数(『続日本後紀』)。丹那断層の2つ前の活動と見られている。
- 850年11月23日(11月27日)(嘉祥3年10月16日) 出羽国地震 - M 7、死者多数(『文徳実録』、『日本三代実録』)。
- 863年7月6日(7月10日)(貞観5年6月17日) 越中・越後地震 - 圧死者多数(『日本三代実録』)。直江津付近にあった数個の小島が壊滅したと伝えられる※。記録は疑わしいとする見解もある[39][40]。
- 867年11月16日(貞観9年10月13日)- 陸奥国大地震[41]
- 868年7月30日(8月3日)(貞観10年7月8日) 播磨国地震(『日本三代実録』) - M 7台[42]。兵庫県の山崎断層帯の活動によるものと思われている。
- 869年
- 878年10月28日(11月1日)(元慶2年9月29日) 相模・武蔵地震 - M 7.4、死者多数。京都でも揺れが感じられる(『日本三代実録』)。伊勢原断層の活動時期に合致するとする説と[45]、館山市の海岸で見出された900年頃と推定される津波堆積物から相模トラフのプレート境界地震とする説がある[46]。
- 880年11月19日(11月23日)(元慶4年10月14日) 出雲で地震 - M 7(『日本三代実録』)。
- 887年
- 7月29日(8月2日)(仁和3年7月6日) 京都で地震 - M 6.5(『日本三代実録』)。越後西部で津波による溺死者は1000人にのぼったとされる※。
- 8月22日(8月26日)(仁和3年7月30日) 信濃北部地震 ※ - 『扶桑略記』の山崩れ・洪水の記述から今村明恒が唱える。河内晋平が日付の誤記があり存在しない地震であると指摘し[47][48]、その見方が強い[49]。
- 8月22日(8月26日)(仁和3年7月30日) 仁和地震(南海トラフ全域が震源域とする説あり) - M 8〜8.5、五畿七道諸国大震、京都・摂津を中心に死者多数。津波あり(『日本三代実録』)。南海地震の記録だが地質調査によればほぼ同時期に東南海・東海地震も発生。津波堆積物からM 9クラスであったとする説もある[50]。石橋克彦は、この地震によって八ヶ岳が山体崩壊を起こし、形成された堰止湖が888年6月20日(仁和4年5月8日)に決壊したと、仮説を唱えた[49]。