変動相場制以降
ニクソンショック
ブレトン・ウッズ体制により、国際通貨基金の加盟国はUSドルに対する自国通貨の平価を定めた。これにより各国は経済成長をとげる一方、アメリカは国際収支で赤字を続けながらドルを世界に供給する必要が生じた。しかし、アメリカの国際収支の赤字が続けばドルへの信認が低くなり、アメリカの国際収支が改善されればドルの安定供給が維持できない。これは当時トリフィンのジレンマ(英語版)とも呼ばれた。アメリカではベトナム戦争による財政支出とインフレが続いたためドルの価値が下落し、国際収支の赤字により金準備も減少する。こうして1971年にはUSドルと金との兌換は停止され、ニクソン・ショックと呼ばれた[92]。
ブレトン・ウッズ体制は終了し、各国はUSドルとの固定相場制から変動相場制へと移行し、主要な通貨は実体経済の経済力を背景に価値を持つこととなった。ドルは金との固定相場による価値を失う反面で、金の束縛を離れた発行が可能となり、固定相場時代よりも国際間の資本移動が自由になった[93]。現在でも、外国資本の流入を促進するためにUSドルと固定相場制をとるドルペッグ制を採用したり、USドルそのものを自国通貨とすることで価値を保証している国がある[94]。
現在では、国家は流通の安定のために法律によって貨幣に強制通用力を持たせている。これを特に法定通貨・信用貨幣という。このため、交換の媒介として所定の通貨の使用を拒否することは通常できない。また、この法定通貨は支払完了性を有しており、取引を無条件に完了させる決済手段となる[95]。かつてはさまざまな銀行が銀行券を発行できたが、現在では中央銀行が銀行券の発行を独占している国が多い。中央銀行は、物価の安定、雇用の維持、経済成長の維持、為替レートの安定などを目的として金融政策を行っている[96]。
欧州通貨統合
ヨーロッパでは、第二次世界大戦後に経済統合が進んだ。これは経済的な目的だけでなく、2度の世界大戦やブロック経済の問題をふまえて、安全保障に関わる政治的な目的も含んでいる。こうした歴史的な背景のもと、欧州通貨統合も進められた。1970年には通貨統合についての具体案が出され、1979年から欧州通貨制度が開始する。ドイツマルクを中心とし、参加国はマルクに対するレートを一定の枠内で固定した。1998年には欧州中央銀行を設立、1999年には共通通貨であるユーロを11カ国で導入した[97]。2015年1月1日時点のユーロ圏は19カ国となっている。
通貨危機
変動相場制による資本移動の規模の増大と加速化は、通貨危機の可能性を高めた。1992年にはポンド危機が発生し、イギリスは欧州為替相場メカニズム(ERM)を離脱した。欧州通貨制度では、参加国の為替レート維持は経常赤字国が負担していたため、マルクに対するポンドの切り下げが予想されたのが原因だった。1994年にはメキシコ・ペソが暴落し、メキシコ通貨危機が起きた。1997年には、タイ・バーツの切り下げが周辺諸国の通貨にも投機を招いた。投資を活発にするためにドルペッグ制をとる国が多く、タイの通貨危機が拡大してアジア通貨危機となった[98]。
電子マネー
1990年代からは、電子決済のサービスである電子マネーが始まった。広義の電子マネーには前払いで既存の通貨から入金するプリペイド式と、クレジットカードと同様のポストペイ式がある。現在ではICカードに入金をする形態が普及している。電子マネーの特徴としては、購入情報の記録、小額決済の短縮化などがある[99]。
イギリスのモンデックスは、1995年からプリペイド電子マネーの試験運用を始めた。銀行のATMや公衆電話でチャージをして買い物に用いる仕組みで、その後にドイツやフランスでも電子マネーが発行されたが、大きな普及にはつながらなかった。アジアでは、香港の八達通をはじめ1990年代後半から交通機関を中心に電子マネーが普及し、日本でもプリペイド電子マネーの試験運用が始まる。2001年以降は、各国でタッチ式のプリペイド電子マネーの普及が進んでいる[100]
仮想通貨
法定通貨ではない貨幣として仮想通貨、もしくは暗号通貨があり、著名なものとしてビットコインが知られる。基本的にはデータとしてのみ存在し、暗号によってコピーを防止している。ビットコインはペーパーウォレットという紙に印刷をして保存も可能となっている。
ビットコインは、2009年にサトシ・ナカモトという人物が執筆した論文をもとに開発された。Peer to Peer技術によって価値を保証され、中央銀行を介さない貨幣として限定的ながら国際通貨として流通している。国家の通貨のような強制通用力が存在しないが、国際決済にかかるコストが小額であり、匿名性や、国内で複数の通貨が使える利便性などが注目されている。2013年のキプロス・ショックの際には、銀行預金の課税を逃れるためにビットコインを選ぶ人々が存在した。一方で、2014年にはビットコイン取引所の最大手であり東京都で事業を行っていたマウントゴックスで、ビットコイン消失事件も発生している[101]。
特殊な貨幣
冥銭
冥銭は副葬品に用いる貨幣を指す。中国古代では陶銭や紙銭が用いられ、のちにその文化が日本にも受け継がれた[102]。日本では六文銭や、近世の六道銭などが知られる[103]。中国、韓国、台湾、ベトナムでは、葬儀社などで冥国銀行券といった名称の葬儀用紙幣が用意されている。1930年の中国では額面が5円となっているが、その後高額化が進み、一般には存在しない額面となっている[104]。類似の慣習として古代ギリシアでは、地獄の川の渡し守であるカローンへの渡し賃として1オボルスを死者の口に入れた。
軍用手票
軍用手票とは、戦争の時に占領軍が占領地や交戦地で発行する通貨であり、軍票という通称で呼ばれる。軍票は19世紀にヨーロッパで始まり、占領軍は占領地で物資を徴発するかわりに、軍票で必要物資の調達や軍人への給料の支払いを行った。また、敵国の通貨の使用を禁止して経済を統制する目的もあった。占領軍の自国通貨を支払いにあてた場合は自国でのインフレの可能性があり、敵国通貨を禁止しなければ敵国から物資の調達などをされる可能性があるため、軍票が使用されてきた。発行された軍票は発行国の債務であり、終戦により一般通貨に交換することが必要となるが、戦勝国により敗戦国の軍票が無効とされる例も多い[105]。
正式な軍票ではないが、同様の目的でアメリカ軍が1945年に沖縄の久米島で発行した貨幣として久米島紙幣がある。
大東島紙幣
詳細は「大東島紙幣」を参照
沖縄の大東島において、20世紀初頭にこの地を所有し実質的に統治した玉置商会(大日本製糖)が私的な紙幣を発行した。正式には南北大東島通用引換券と呼ばれ、本来は砂糖手形であったものが島の流通貨幣となった。別名を玉置紙幣ともいう。戦後、米軍軍政下で係争になり、その結果、農民は土地を得た。
炭坑切符
西表島において、大正 - 昭和戦前時代、強制収容的に仕事をさせ、「監獄部屋」とも称された民間の西表炭坑があった。日本人、台湾人らの労働者の脱走を防止する目的で、経営するいくつかの会社が炭坑切符(俗に「斤券」)という私的紙幣を発行した。当該会社の売店でのみ通用したので、脱走を防止する働きがあった[106]。
ハンセン病療養所における通貨
詳細は「ハンセン病療養所の特殊通貨」を参照
かつて世界各地のハンセン病療養所やコロニー(Leper colony)において通貨が発行された。ハンセン病隔離施設の場合、菌を伝染させないためや、患者を隔離するのが目的だった。その後、必要性がなくなり廃止された。
特殊貨幣の多くは国家が作ったが、療養所が作ったところもあり、日本では多磨全生園などの療養所が作った。患者の入所時に一般の通貨は強制的に特殊通貨に換えさせられた。硬貨が一般的だが紙幣もあり、その場合は通し番号がついた。クーポン券といってもよい場合もあり、プラスチック製もあった。多磨全生園の場合、貨幣の製造は徽章などを製造する所に発注し、菌の伝染を防ぐために消毒された。日本の療養所の一部では、通帳を併用して貧困者への小遣いなどに利用した[107]。日本では種々の不正事件の発覚が契機となり、各療養所の通貨は昭和30年までに廃止された。廃止時に一般の通貨に換えられたが、米軍軍政下の宮古南静園では、一般の通貨とは換わらなかった。
貨幣の偽造の歴史