歴史的な津波の一覧【目次】日本付近を発生源とする 

 

江戸時代

  • 1605年2月3日(慶長9年12月16日) 慶長地震 - 『房総治乱記』によれば房総半島で、『円頓寺旧記』によれば徳島県東部で津波による死者多数。津波地震とする説もある[21]。南海トラフの地震ではないとする見方もある[22][23]
  • 1611年12月2日(慶長16年10月28日) 慶長三陸地震 - 東北の慶長津波(千島海溝沿いを震源とする説あり)、津波地震と推定され、伊達政宗領内で溺死者5,000人[24]仙台平野で内陸を2km溯上したと見られ、『福山秘府』によれば北海道東部沿岸も大きな被害。最古の「津波」という語句の記載(『駿府記』)。
  • 1640年7月31日寛永17年6月13日 (旧暦)) - 岩なだれと津波により溺死者700名以上、船舶100余隻に被害[25][26][27]
  • 1677年4月13日20時頃(延宝5年3月12日戌刻) 八戸沖(三陸沖)地震
  • 1677年11月4日(延宝5年10月9日) 延宝房総沖地震 - M8.0程度。地震動による被害は確認できず津波地震と見られており、主に津波による死者569人。
  • 1703年12月31日(元禄16年11月23日) 元禄関東地震 - M8.2程度。津波の高さは8m以上。20m遡上したと考えられる地点もあり[28]。津波が犬吠埼から下田までを襲い、数千人が犠牲となった。もともと湖であった伊豆大島の波浮港がこの津波で海とつながった[注釈 5]
  • 1707年10月28日(宝永4年10月4日) 宝永地震(南海トラフ巨大地震) - M8.6程度。津波は伊豆半島から九州までの太平洋岸から瀬戸内海にまで及んだ。死亡者20,000人、流失家屋20,000戸。土佐湾沿岸各地が亡所(『谷陵記』)。大坂では津波が安治川木津川を遡り2万人以上の犠牲者を出したとする記録も有る[29]。紀伊半島、遠州灘も著しく、潮岬の無量寺、東海道の新居関所などが流失。49日後に富士山が噴火[30]
  • 1763年1月29日16時頃(宝暦12年12月16日申刻) 八戸沖(三陸沖)地震
  • 1771年4月24日(明和8年3月10日) 八重山地震 - 石垣島で死者・不明者12,000人。多良間島宮古島でも大津波で被害。津波の遡上高は『大波之時各村之形行書』の記録から約85mとされてきたが、疑問を示す学者もいる。津波地震とする説あり。
  • 1793年2月17日(寛政5年1月7日) 寛政地震 - 宮城沖に発生した地震で、岩手県中部〜牡鹿半島沿岸に3〜5mの津波[31]。大船渡で9尺、死者1,213人。
  • 1833年12月7日14時頃(天保4年10月26日昼八ツ時) 出羽・越後・佐渡地震、庄内沖地震、天保四年羽前沖地震 - 輪島で7.2mの津波[32][33]

ディアナ号

明治・大正・昭和・平成時代

日本国外を発生源とする津波