JR福知山線脱線事故2005/425罪日工作員Ⅴ【外】 

 

補償問題

マンションの保存工事が進む事故現場(2016年12月1日)

JR西日本は電車が激突したマンションを買い取り、慰霊碑を建てることを検討していると発表した。しかし、マンションの住民のうち買い取りを望んでいない住民もいて、住民内でも意見が分かれている。2006年(平成18年)までに解決する予定とのことだったが、10年が経過しても現場マンションは取り壊されていなかった。そして2016年7月より、マンションの4階までを階段状に残し、衝突跡が残る部分などを慰霊施設として保存する工事が開始された[25]

JR西日本は2007年(平成19年)10月に現場の線路脇に残る脱線の痕跡の上に砂とコンクリートを敷設して作業用の通路としたが、翌年現場を訪れた遺族がJR西日本に抗議した。同年12月5日に行われたJR西日本の掘り起こし作業により痕跡が残っていることが判明し、JR西日本は翌6日に保存を決めた[26]

沿線への影響

運休が2か月近くに及んだため、駅周辺の商店街の利用者が激減し、営業時間の短縮・休業により商店街への売り上げの影響を受けている。福知山線の駅周辺の商店街が経営難に陥り閉店する恐れがあると懸念されていると報道された。

伊丹駅周辺

この事故で復旧するまでの間、JRと阪急の駅で、客足が大きく変化している。伊丹市の玄関口は阪急伊丹駅だが、かつての震災で全壊したことを機に、客足がJRの伊丹駅に移っていった経緯がある。ところが、事故後にJRが不通になると、阪急伊丹駅の乗降客数は震災前に記録された最多時期を超えて増え、事故前の乗客数 23,000人に対し、事故後は 47,000人と阪急にシフトした。 その結果、駅ビルのおよそ 1,200台収容できる地下駐輪所はすぐに埋まり、自転車放置禁止の場所にまで駐輪する者まで出る始末だったのに比して、JR伊丹駅周辺の約 2,000台収容できる駐輪所はガラガラの状態だった。 JR伊丹駅隣接のダイヤモンドシティ・テラス(現在のイオンモール伊丹)も、JRを利用して訪れる客が約2割ほどと見込まれていたが、事故後は1割ほど減っている。

JR西日本人事への影響

被害があまりにも甚大だったため、経営陣の引責辞任は不可避であると見られていたが、後継人事は難航した。結局、2006年(平成18年)2月1日付で南谷昌二郎会長と垣内剛社長は退任し、事故後就任した山崎正夫副社長が社長に昇格、外部の住友電工から会長として倉内憲孝を迎えることになった。なお、相談役であり、国鉄民営化の立役者としてJR西日本への影響力が強かった井手正敬もその職を辞した。

2009年平成21年)7月8日神戸地方検察庁は当時の安全担当役員だった山崎社長を業務上過失致死傷罪で在宅起訴した。これを受けて山崎は社長を辞任し、後任として佐々木隆之副会長が社長に就任することとなった。

2009年(平成21年)7月23日、JR西日本は山崎正夫社長の在宅起訴を受け、同社長のほか事故当時の会長であった南谷昌二郎、社長であった垣内剛両顧問のほか、幹部ら29人の処分(報酬減額など)を発表した。会見した真鍋精志副社長は、「事故を組織的、構造的課題と認識しており、経営を担ってきた者に重い責任がある」とし、「会社全体の責任としてとらえなければならない」として、歴代の社長のほか事故当時の執行役員、現在の役員も処分の対象に加えたと説明した。

2012年(平成24年)3月8日、JR西日本は、事故の列車に乗務していた当時の車掌について、乗客の救護を怠ったことや、他の列車に事故発生を知らせなかったことなどを理由に、出勤停止7日間の処分とした。この車掌は、事故後、病気を理由に休職していたため、処分が見送られており、その後復職したことを受けての処分となった[27]

刑事裁判

2009年(平成21年)7月8日、神戸地方検察庁は、当時の安全担当役員だった山崎正夫社長を、業務上過失致死傷罪在宅起訴した。起訴理由は、山崎が福知山線のJR東西線への乗り入れの線形改良工事の前年に函館本線で発生した日本貨物鉄道脱線事故を受け、この事故が起きた地点の線形に注目し、当該区間にATS-Pを設置すれば事故が防げる趣旨の発言から、福知山線の線路付替の危険性を認識していたことを理由としている。

なお、山崎の上司役員は、山崎から報告を受けていなかったとして、当時の社長を含めて関係する役員を不起訴処分とし、当時の事故車両の運転士も当人が死亡により同様に不起訴処分としている。しかし、2009年(平成21年)10月22日、神戸第一検察審査会は、不起訴となったJR西日本の歴代社長3人(井手正敬、南谷昌二郎、垣内剛)について、「起訴相当」と議決したことを公表した。

2009年(平成21年)12月4日、神戸地検は上記3人について再び不起訴処分としたが、検察審査会はその後、自動的に再審査を開始[28]し、2010年(平成22年)3月26日、神戸第一検察審査会が再び起訴相当と議決したため、強制起訴されることとなった[29]

2010年(平成22年)4月23日、裁判所の指定する弁護士が、検察官に代わってJR西日本の歴代社長3名を起訴し、公判が始まった。

2010年(平成22年)1月29日、この脱線事故で業務上過失致死傷容疑で書類送検され、神戸地検が不起訴とした元運輸部長2人について、神戸第一検察審査会は20日付で不起訴不当を議決した。不起訴不当は、検察審査会の委員11人の過半数が「不起訴が妥当でなく、地検に再審査を求める」意見の場合に議決される[30]

2012年(平成24年)1月11日神戸地裁はJR西日本の山崎正夫前社長に対し、「危険性を認識していたとは認められない」などとして無罪判決を言い渡した[31]。検察側は控訴せず、無罪が確定した。

2013年(平成25年)9月27日、神戸地裁はJR西日本の歴代社長3名に対し、無罪判決を言い渡した。指定弁護士は控訴。

2015年(平成27年)3月27日、大阪高裁は歴代社長3名について、指定弁護士による控訴を棄却[32]。指定弁護士は上告。

事故調査委員会の情報漏洩

2009年(平成21年)9月25日、事故当時鉄道本部長だった山崎正夫前社長が、先輩である当時の事故調査委員の1人であった山口浩一元委員に対し、鉄道模型などのお土産持参で接待し、事故の調査報告を有利にするための工作と情報漏洩が発覚した。結果的には、事故調査報告書に反映されなかったが、幹部が事前に内容を知っていたという事実が明らかとなった[33]

9月26日、今度は幹部のJR西日本東京本部の鈴木善也副本部長が、先輩である航空・鉄道事故調査委員会の鉄道部会長だった佐藤泰生元委員に接触を図ったことが発覚。土屋隆一郎副社長(事故対応担当審議室室長兼任)から指示を受けて接触し、「中間報告書の解説や日程を教えてもらった」と説明。会社ぐるみで事故調の委員に接触を図っていた実態が判明した。鈴木副本部長は「情報を早く入手し、安全対策に貢献したかった。軽率で不適切だった。」と謝罪した。ただし、「昔からの付き合い。会社ぐるみとは思っていない。」と釈明もした[34]

この2つの報告書漏洩を受け、JR西日本は山崎取締役・土屋副社長の辞任を発表した[35]

マスメディア

報道では、事故が起こった路線名の表記が分かれた。朝日新聞神戸新聞サンテレビは、東海道本線大阪駅 - 尼崎駅間と福知山線尼崎駅 - 篠山口駅間の愛称である「JR宝塚線」を使用しているが、それ以外のマスメディアでは正式名称の「福知山線」を使用している。

在阪テレビ局の社員も通勤中に事故に巻き込まれ、死亡あるいは負傷した者がいた[注 13]

番組編成(テレビ)

テレビ各局は事故発生後40分前後から画面上へのテロップによる速報を流し始めた。その後、午前10時前にNHK総合が臨時ニュースを編成したあたりから、通常放送を中止して報道特別番組に切り替える動きが出始め、午前10時30分の時点で、NHKおよび民放各局が放送中の通常番組を打ち切ったり内容を変更して、列車事故に関するニュースを(おおむね午後6時台のワイドニュース終了時まで)報じた。

NHK総合では、事故を起こした電車に乗り合わせていた神戸放送局小山正人チーフアナウンサーの第一報に基づき、午前9時43分08秒に速報テロップを送出。その後、「生活ほっとモーニング」を中断して、午前9時46分から11時54分まで特設ニュースを放送した。また、正午のニュースの後も、朝の連続テレビ小説「ファイト」の再放送を除き、午後6時15分までJR西日本の記者会見や、専門家の見方なども含めて、特設ニュースを放送した。さらに、「NHKニュース7」を午後8時15分(45分延長)まで、「NHKニュース10」を午後11時10分(15分延長)まで延長して、この事故を伝えた[36]

日本テレビ系の「ザ!情報ツウ」ではNHKでの報道開始とほぼ同じタイミングで事故の一報を報じ、10時前後より事故現場上空のヘリコプター空撮映像を交えて繰り返し報じたり、子画面に中継映像を出しながら通常放送が行われた。

一部の在阪民放局では午後7時以降も通常番組を中止し、報道特別番組を編成したほか、事故発生翌日以降も関連ニュースを特別番組などとして伝え続けた。

報道のあり方

事故直後の報道機関は、事故当日にJR西日本社員が「第1種A体制」を優先せず懇親行事を取りやめずに開催していたことが分かり、JR西日本の安全軽視体質を批判した。また関西本線・王寺駅では駅員を盗撮するメディアも現れたほか、懇親行事を行った京都府内のリクレーション施設の係員に対しても「なぜやめさせないのか」と質問し報道する事例もあった。このほか、読売新聞大阪本社の記者がJRの記者会見会場で度を過ぎた詰問調の質問(「暴言」)を浴びせたとされる事例もあり、後に同社は謝罪した[37]

また、直ちに危険に繋がるものではない(数メートル程度の)オーバーランは従来より全国各地で日常的に一定割合で発生しているものだが、この事故を契機に小規模なインシデント(事故を引き起こす危険性が高い事態だったが、実際には事故にならなかった案件)が連日取り上げられて報道されるようになった。2010年(平成22年)には、同様に全国で発生しているATSの作動による急ブレーキ作動の事案について、JR西日本がこれを公表していないとして多くの報道機関に報道されたが、この中では遺族に取材して「あきれました」などといったコメントを流す事例もあった。なお、ATSの作動による緊急停止の事案を全て公表している鉄道会社は他になく、公表の是非そのものに関しての考察は報道されなかった。

さらに事故当時、一部の報道機関が取材ヘリを現場に飛ばし、要救助者の声や生体反応をローター音で遮ってしまい救出活動を妨げたとされる。これは新潟県中越地震でも問題になっていた[要出典]直後であるほか、昼夜問わず取材ヘリを飛ばしたため近隣住民の迷惑ともなったとされ、インターネットコミュニティ上で報道機関に対する批判が出た。