JR福知山線脱線事故2005/425罪日工作員Ⅳ【下】 

 

不通特約

振替輸送の他にも不通特約の切符を発行する措置もした。不通特約の切符とは、みどりの窓口の駅員が普通の切符に赤いペンで手書きで「不通特約」と書いただけの切符のことで、この切符は福知山線経由と同じ料金で山陰本線などのほかの路線経由で目的地まで向かうことができる。おもに尼崎駅 - 宝塚駅間をまたぐ長距離の利用客に発行された。発行された例として「東海道線・山陰本線京都駅経由の新大阪 - 福知山」「山陽本線・加古川線谷川駅経由新大阪 - 福知山」がある。

復旧工事

復旧工事は5月30日午前8時から始まる予定だった。しかし、周辺の住民の同意を充分に得ないまま工事が行われようとしたとして一部から抗議が寄せられたため、工事は午前9時ごろから中断し、30日の工事は中止になった。30日はJR西日本の担当者が周辺の住民を戸別訪問し了解を取る作業を続ける。住民の同意が得られたとして工事が31日午後1時から始まり6月3日に終わる。そして、住民への戸別訪問による工事終了の説明をして完了する。

試験運転

6月7日以降に行われた。7日には網干総合車両所の221系と201系による走行試験、8日には同所の207系によるATS-Pの作動試験が行われた。

運転再開

6月19日に尼崎駅 - 宝塚駅間で運転が再開された。ダイヤは事故前から大きく変更されて朝ラッシュ時間帯の快速の所要時間はおよそ1分30秒伸ばされ20分になる。

当面の間、宝塚駅 - 尼崎駅間の最高速度は120km/hから95km/hに、事故のあったカーブの制限速度は70km/hから60km/hにそれぞれ引き下げられ、実際の列車走行時にはさらにそれより低い速度で運転されることも珍しくない。

尼崎駅 - 新三田駅間に拠点P方式のATS-Pが導入され、6月19日から運用を開始する。従来のATS-SWも存置されているが、速度照査用地上子が設置され、事故現場においてATS-SWでの速度照査も開始された(詳細はJR西日本の速度照査に記載)。

再開翌日の夕方、現場のカーブを通過しようとした特急「北近畿」15号が曲線の照査速度を超過したため緊急停車した。場所が場所、時期が時期なだけに報道陣の目の前での停車となって、皮肉にも速度照査機能が正常に作動したことを証明した形となる。即日のうちに、国交省より注意を受ける。

その後

塗色の塗り替え過渡期の207系

事故を起こした列車の列車番号である「5418M」は無期限の欠番となり、同時刻を走る列車は「5818M」を名乗るようになった。その後この運転系統の快速列車には5420Mから始まる番号が振られるようになり、ほぼ同時刻を走る列車の列車番号は「5442M」となっている。なお、事故による欠番はこれまで鉄道業界では例がなかったが、航空業界では日本航空123便墜落事故での123便や、日本国外ではユナイテッド航空232便不時着事故での232便の例がある(同じく永久欠番)。

2006年春に行われたダイヤ改正において、同社の路線全体におけるダイヤの余裕時分を増やし(例:新快速列車の三ノ宮駅 - 大阪駅間の所要時間が、現行の19分から20分に)、駅ごとの乗降数に応じて停車時間も10秒 - 1分ほど延長されるほか、それに伴って乗務員が不足する状況への苦肉の策として、同社の路線全体で140本の列車が削減された。

この改正により、山陽本線(JR神戸線)の須磨駅 - 西明石駅間の各駅停車列車を現行の毎時8本から4本に半減させるなど、昼間時の利用率の低い区間の列車が削減されたが2008年春に行われたダイヤ改正で昼間時の毎時2本が再び西明石駅発着に戻っている。

事故の後、乗客の一部がJR西日本の安全性、企業の姿勢に不安を感じ阪急宝塚線に流れているが、JR西日本の発表によると9割方の乗客が戻っている。ただし実数は未調査のため不明である。

遺族感情への配慮などのため、その後に登場した321系のラインカラーが、当初予定されていた青2色から、紺・オレンジを基本とする配色に変更された。また、事故列車と同じ207系も同年11月25日から同様に配色変更された車両の営業運転が順次開始され、2006年3月末までに対象車両全477両の配色変更を終わらせた。

EB・TE装置整備(装備)車のEBリセットスイッチ
JR西日本クモハ223-2000形

地上側では速度照査機能を持ち、曲線区間の手前で充分に減速、あるいは非常停止が行えるATS-Pが、車上側では運転士のマスコンブレーキ警笛・EBリセットスイッチなどの無操作が約60秒続くと5秒間警報が鳴動し、さらに操作がない場合は自動的に非常ブレーキが作動するデッドマン装置の一種である緊急列車停止装置(EB装置)と、列車の異常時に操作することで、防護無線をはじめとする必要な処置を一斉に行う緊急列車防護装置(TE装置)の導入が進んだ。しかしその後、同社がEB装置設置済みの車両について、一時的にしても取り外したままにしていたり、スイッチが切れていたりする状態で、福知山線や片町線、山陰本線大糸線湖西線東海道本線草津線などで運行していたことが判明している[20][21][22]

事故車両は兵庫県警察に押収され、兵庫県姫路市に保管されていた[23]が、公判で証拠として使用することがなくなったとして、2011年(平成23年)2月1日付けでJR西日本に返還された[24]