JR福知山線脱線事故2005/425罪日工作員Ⅲ【後】車両…
事故乗務員の問題
本件事故を起こした運転士は運転歴11か月で、運転技術や勤務姿勢が未熟だった可能性がある。この背景には、国鉄分割民営化後の人員削減策で、特にJR西日本においては他のJR各社と比べると長期間にわたって新規採用者を絞り、定年退職者がまとまった数になったのを契機に採用者を増やしたため、運転士の年齢構成に偏ったばらつきが出て、運転技術を教える中堅およびベテラン運転士が少なくなったといわれている。
事故当日の運転士の行動
「#列車速度超過説 (事故報告書、通説) 」も参照
事故当日は、前日24日から2日間にわたっての勤務で、6時48分に放出駅から乗務し、松井山手駅まで回送し、松井山手発快速尼崎行き、尼崎発宝塚行き回送、宝塚発快速同志社前行きに乗務し、9時38分に京橋駅で乗務を終える予定だった。乗務開始から事故発生までに運転士は数回にわたってミスがあった。(前述の事故報告書記述と併せて参照されたい)
- 9時前、宝塚駅停車中、折り返しのため、車掌が尼崎方1両目から7両目に移動した際、運転士が最後部の運転席で3分以上座っており、車掌に気付き室内から出た際、車掌が直前の停車に対して「(ATS) Pで止まったん?」との問いに運転士は不機嫌な様子で無言のまま立ち去った。
- 9時1分ごろ、本来運転士が使用することのない無線の試験信号が指令所に受信される。* 伊丹駅を1分30秒で出発後、車掌を呼び出し「まけてくれへんか?」と求め、車掌が「だいぶと行っとるよ?」と返答すると再度「まけてくれへんか?」と言ったところで乗客が乗務員室の仕切り窓越しに車掌にクレームを入れたため、車掌から電話を切った。
- 列車はそのまま車両及び線区最高速度の120km/h前後の速度で走行し続け。事故現場のR=300右曲線(70km/h制限)に116km/hで進入、脱線転覆した。
事故調査報告書によると運転士は度重なったミスにより、宝塚駅到着前後にはすでに心身的に影響があったとしている。度重なったミスを車掌が指令所に報告しないか確認するため無線に気を取られ[注 12]、伊丹駅手前の停車ボイスを聞き逃し、伊丹駅を72mオーバーランした。
伊丹駅出発後、車掌に過小報告を求める間に車掌が乗客に呼び出され、途中で電話を切られたことに対して後部の状況を知らない運転士は虚偽報告を拒否されたと思い、再度運転士は車掌と指令員の交信内容に注意を払っていた。そのためカーブの認識が遅れ、ブレーキを操作するも間に合わず脱線した。また、運転士の右手の手袋が外れており、運転席に赤鉛筆が落ちていたことから、事故直前、運転士は交信内容をメモしていたと思われる(メモは運転士用時刻表のケースに記されたと思われるが、事故の衝撃でケースが粉砕されたため内容は確認されなかった)。
報告書では、列車が事故現場のカーブを高速度で進入したのは運転士が意識的に行ったのではなく、車掌と指令員の交信に気を取られ、ブレーキ操作が大幅に遅れ、充分減速できないまま現場カーブに116km/hで進入し、脱線したとしている。
その他の問題
JR西日本が絡んだ重大な列車事故として、1991年(平成3年)5月に発生した信楽高原鐵道での同社線内列車とJR西日本からの直通列車との正面衝突事故がある。JR西日本は信号システムを信楽高原鐵道に全く連絡せずに改変するなどの行為があったが、結局刑事告訴はされなかった。しかし、その後遺族側が事故原因を究明するため、1993年10月にJR西日本と信楽高原鐵道を被告とする民事裁判を提訴、1999年の大津地裁判決で両社の過失が認定された。しかしJR西日本は過失責任を否定し控訴、2002年の大阪高裁判決も同社の過失を認定、同社は上告を断念し判決が確定した[16]。さらに、JR西日本が補償費用の肩代わり分として約25億円の支払いを信楽高原鐡道や県、市に求めた訴訟の判決で、大阪地裁は2011年4月27日、JR西日本に3割の責任があると認定した[17]。先の事故を起こした体質に対する反省や教訓が生かされぬまま、安全を軽視し、再び当該事故を招くことになったとの指摘がある[18]。
また、事故列車にJRの運転士(非番)が2人乗車していたが、運転区長の業務優先や執行役員・大阪支社長の講演会への出席の指示により救助活動を行わなかったため批判された。鉄道事故調査報告書p.29にも、乗り合わせた職員(非番)と職場との遣り取りがあり、『「電車が脱線した。それに乗っている」と伝えたところ、「出勤は何時だ」と聞かれたので、「(所定の出勤時刻は)14時です」と答えると、「(その時刻までに)出てこられるな」』の遣り取りで終了し、そのまま職場へと向かったとある。自らの会社が起こした重大事故に対する、職場ぐるみでの認識の甘さが伺える。また、もう一人の職員は箝口したのか、報告書に供述の記載がない。
ほか、JR西日本管内のATSで制限速度の設定を誤っていた箇所が多数確認される。
路線の周辺環境
電車が激突したマンションは、2002年(平成14年)11月下旬に建てられた。線路とマンション間の距離は6mに満たなかった。海外メディアは事故当初この点について指摘しており、例えばフランスのTGVでは、開業当時の線路と最寄の住居の距離は150mもあった、としている[19]。
運休から運転再開へ
この事故により福知山線の尼崎駅 - 宝塚駅間で運転が休止された。また、同線を経由して運行されている特急「北近畿」「文殊」「タンゴエクスプローラー」も福知山駅以北の区間のみの運行となった。なお運休による減収は1日約3,000万円が見込まれていた。
復旧工事は同年5月31日から開始された。その後、同年6月7日から試運転を開始。2006年(平成18年)3月までの暫定的な運行ダイヤを提出し、同年6月19日午前5時、55日ぶりの全線運転再開となった。
振替輸送
福知山線の運転休止期間中、福知山線沿線である三田市・宝塚市・川西市・伊丹市周辺と、大阪・神戸市周辺を結ぶ経路において、振替輸送が実施される。
事故後、福知山線利用者の多くは競合している阪急の振替輸送を利用し、事故から約1か月後の5月23日には阪急ホールディングス(現在の阪急阪神ホールディングス)が1日平均で約12万人の乗客を振替輸送していることを発表した。
仮に並行私鉄である阪急宝塚線急行または、阪急神戸線特急と、西宮北口駅で阪急今津線を乗り継ぐ利用する方法で大阪(梅田)と宝塚の間を移動する場合、所要時間そのものは福知山線の快速を利用した場合に比べて約10分多く要する程度であるが、これに乗車駅や降車駅での乗り換え・乗り継ぎに要する時間がそれぞれ加わることによって、合計で20 - 30分程度の時間が余分に必要となり、通勤・通学など利用者の大きな障害となった。
また、振替輸送を行った路線では、事故以前からの既存利用者にも列車・バスの車内や駅などの混雑という形で影響が及び、ゴールデンウィークが明けた5月9日からは、混雑緩和のため阪神電気鉄道や同線に至る路線などが新たに追加された。
実施区間
- 阪急電鉄
- 阪神電気鉄道
- 本線:梅田駅 - 尼崎駅 - 今津駅 - 元町駅(5月9日より)
- 神戸高速鉄道
- 神戸市営地下鉄・北神急行電鉄
- 神戸電鉄
- 阪急バス
- 尼崎線(56系統):川西バスターミナル - 阪神尼崎(5月9日より)
- 阪神電鉄バス(2009年4月1日より阪神バス)
- 尼崎宝塚線:宝塚 - 阪神尼崎(5月9日より)
- 杭瀬宝塚線:宝塚 - 阪神尼崎駅北(5月9日より)
- 尼崎市交通局(尼崎市バス、2016年3月20日より阪神バスへ移譲)
- 11系統・12系統:阪急塚口 - JR尼崎(5月9日より)