原罪の共謀罪=治安維持法【戦前悪魔法】Ⅱ【後半】 

 
 
 

立法事実の有無

新しい法律や犯罪を設ける前提として、立法事実の有無(そのような法律を必要とするような事実が法の管轄の及ぶ範囲に存在するかどうか)が問題となりうる。

賛成派の意見
  • 政府や与党といった実質的に影響力をもつ範囲の賛成派は、基本的には立法事実が存在しないことを認めつつ、条約の締結にあたって条文を遵守するべきという立場にたっている。
  • 例えば、地下鉄サリン事件や米国のアメリカ同時多発テロ事件(911テロ事件)を想定し、個人犯罪を前提とした現行刑法が想定してこなかった集団犯や組織的大規模破壊行為について、対応する法律を作るべきだとする主張がある。国際テロ対策は、国際社会が取り組むべき重要な課題となっており、国際的な捜査協力が必要とされる案件もある。
  • 地下鉄サリン事件の直後に、警察による厳しい取締りがあり、刑事訴訟法や刑法の「謙抑性」の精神に反すると批判されたが、警察の断固たる取締りが第三のサリン事件を未然防止した。また、集団犯、大規模破壊犯においては、個人犯罪における「刑事法の謙抑性」が却って大規模なテロ事件を引き起こす原因になるとの意見もある。
  • 現行刑法は基本的に単独犯を想定しており、特に実行行為を観念しない予備罪はその傾向が強い。大規模テロ行為のように大人数が組織的に犯罪を実行するケースを想定していないため、個々の予備行為について実行者と関与者を特定し個別に検挙してゆくことになる。しかし、大規模組織では犯罪計画の立案という共謀段階の人員と、計画の実行という予備・実行段階の人員では乖離が見られる。オウム真理教のように教祖の直属の弟子が実行犯なら「殺人予備罪」で対処できるが、9.11テロなどのように首謀者とテロリストに直接の面識などないケースでも殺人予備罪で対処できるのか疑問である。
反対派の意見
  • 共謀罪における立法事実に関する命題は、国内の平穏な治安を維持するために着手以前の共謀の段階での処罰を必要とするような事実が存在するかどうか、ということである。この点について、法案の前提となった法制審議会での議論では立法事実はなく条約締結が提案理由となることが明示され、法案の提案理由においても立法事実についての言及は無い。つまり、共謀罪には立法事実が存在しない。
  • 立法事実は存在しない以上、共謀罪は必要なく、条約締結のために必要であるとしても、少なくとも立法事実がないことを前提として越境性を条件とした内容とするべきであるとする。
  • また、大規模テロなどについてはすでに殺人予備罪があるので共謀罪がなくとも対応できるとし、その他、個別の立法事実があればそれに沿った形で個別の犯罪についての予備罪の共謀罪の適否を論ずるべきであるとし、賛成派の出す具体例の重大さと法案の適用範囲の広範さの落差について批判する(関連する論点:#重大な犯罪の定義)。
  • さらに、地下鉄サリン事件に代表される大規模テロの防止については、情報の事前入手が可能であるかどうかが決定的な問題であるとする。すなわち、(是非の問題はあるが)日本の公安警察は情報さえ事前にあれば微罪や別件による強制捜査によってテロに対処してきたのだから共謀罪がなくとも問題はなく、逆に情報が入手できなければ共謀罪があったところで動きようがないという意味で無駄であり、テロは共謀罪の立法事実とはならないという批判がある。
  • 加えて、パレルモ条約はそもそも、マフィアや指定暴力団などを想定し、資金作りを防止する目的で作られた条約であり、パレルモ条約を所管する国連薬物犯罪事務局によると、対象となる「犯罪集団」とは、金銭的・物質的利益を目的とした集団であり、テロ集団の犯罪行為は必ずしも金銭的・物質的利益を目的としていないことから、原則としてテロ集団は対象ではなく、ただし、テロ集団が資金集めなど、金銭的利益のために行った犯罪は、例外としてこの条約の対象となるとしている。

適用される団体や組織の定義の問題

従来より組織犯罪処罰法第2条(#条文)の定義する団体はさまざまな形態をとりうる組織犯罪集団をカバーするべく、その実質から団体や組織を認定するよう広範な形で定義されていて、政府案における共謀罪の対象となる団体や組織はその形式がそのまま踏襲されている。

これまでの組織犯罪処罰法においては、限定列挙された少数の犯罪について、しかも既遂のものについての加重処罰を定める範囲としてこうした定義を用いてきたが、共謀罪政府案では広範な犯罪についての共謀段階についても同じ定義を用いたため、適用団体や組織の範囲が論点となった。

反対派の意見
  • 労働組合の闘争計画の立案や市民団体の各種抗議行動の立案などが組織的な威力業務妨害の共謀とされるなどして集会結社表現の自由を制約してしまう。あるいは居酒屋でそりの合わない上司を叩きのめしてやりたいなどと冗談を言って憂さを晴らせば組織的な傷害の共謀とされるなどして私生活上の自由を制約してしまう。また、著作権法により著作権や著作隣接権、著作者人格権の侵害が対象となることから、ネット上でのファンクラブ活動やゲームのユーザグループの活動において私的使用目的の改変のための情報交換が、権利侵害の証拠なしに共謀罪とみなされうるといった萎縮効果がおこりうる。
  • 共謀罪の対象となる団体についての構成要件それ自体を法的に分析すれば、とくに与党修正案の場合は居酒屋での冗談程度のものは排除されるという点については賛同説のいうとおりとも考えられるが、捜査というものは捜査機関にとって事実関係が不明であるからこそ行われることを考えると、居酒屋での冗談であっても、関係者が被疑者と目されて捜査の対象となり、捜索差押を受けるとか逮捕されるといった種々の権利・自由の制約を受けたり、あるいは社会的評価の低下に見舞われる危険が常に残る。また、本来正当な目的の活動の団体や企業が犯罪目的の団体と化する場合と、正当な目的の活動の団体がたまたま対象犯罪にあたる内容を共謀したが違法性に気がついて着手せず取り止めた場合の区別も、政府案や当初の与党修正案においてはできていない(この点については与党再修正案では一定の前進が見られる)。その危険は、ある程度までは運用により回避できるであろうが、運用の妙に依存するのでは独裁者の慈悲にすがるのと同じであり、根本的な解決とはならない。
賛成派の意見
  • そもそも、正当な争議行為・合法な市民運動は刑法35条によって違法性が阻却され処罰されない。民主党修正案では、共謀罪の適用団体を極めて限定的に規定しており、通常の労働組合や市民団体が犯罪実行を「主たる目的」としていないのは明白であるのに、反対派は法案の文言を無視して、市民団体への適用可能性に拘っている。
  • 居酒屋の「冗談」は共謀罪に言う「共謀」にあたらないのは明白である。そもそも「捜査」の対象になるであろうという推測自体が疑わしい。捜索、差押えには裁判所が発行する「令状」が必要だが、そもそも明白に適用除外される「居酒屋での冗談」に犯罪の嫌疑があると認定されるわけもなく、令状が発行される可能性は極めて低い。正当な目的の活動団体が、たまたま犯罪行為を共謀し、検討の結果違法と判明した事例について、自民党の中間案に問題があったのは反対論の言うとおりだが、自民党自体がその非を認めて、民主党案に賛成している。議論が古い。

共謀の定義の問題

共謀罪における共謀とは具体的には何か、ということも論点となっている。政府見解は、共謀罪における共謀と共謀共同正犯における共謀が同じものであるとする。それを前提として、既遂の犯罪における共謀共同正犯の認定と同様に実行行為の伴わない共謀を認定することがはたして妥当か、という議論でもある。

反対派の意見
  • 共謀共同正犯については謀議が存在すらしない場合にも成立するとされるように拡大解釈がすすみ、共謀の概念が広がりすぎている。わいせつ画像の投稿が行われた画像掲示板の管理者が通りすがりの投稿者との具体的なやりとりがないにもかかわらずわいせつ物公然陳列の共謀共同正犯であるとして有罪とされた下級審判例が存在し、また2003年の最高裁判例において暴力団組長について、武装護衛の組員の銃刀法違反に関して目配せすらないのに黙示の共謀が認められ共謀共同正犯が成立したとされる最高裁判例が存在する。共謀罪においてもこうした共謀概念の拡大はそのまま踏襲されることとなり、国会審議においても、目配せやまばたきが共謀となるとの政府答弁があった。このため、嘘の供述をもとに作られたストーリーで冤罪が起きる危険があり、それは犯罪行為が行われていない前提の共謀罪ではより深刻なものとなる。
賛成派の意見
  • 共謀罪の基礎には昭和三十年代の暴力団紛争において(後に、映画化され極道映画ブームの元になった一連の抗争事件)、犯罪実行に自ら加わらない暴力団の組長など「黒幕」処罰を目的として確立された共謀共同正犯という判例理論があり、当時、学会から、拡大処罰の可能性がある、連座制の復活だ、近代刑法の基本原則たる個人責任を没却する、との批判があったが、半世紀後の今日にわたるまで、そのほとんどが暴力団にのみ適用されてきている。今日、共謀罪反対派の反対論は、当時の批判に類似している。反対派のいう黙示の共謀の判例については、もともと、組員を支配して手足のように使いながら犯罪の実行には自ら加わらない組長を逮捕する法理として共謀共同正犯が発展してきた事を思えば、不当な拡大解釈とはいえない。それに、暴力団における、組長と組員の強固な事実上の支配関係を前提とした法理である事から、一般人への拡大は半世紀ほとんど行われていない。

重大な犯罪の定義

国際組織犯罪防止条約および法案における重大な犯罪の定義の既存の刑法をはじめとする刑罰制度との整合性についても、他の論点と関連した論点となっている。

国際組織犯罪防止条約の審議過程において、重大犯罪の定義は最も難航した項目の一つである。当初は各国でそれぞれの刑罰制度にあわせてその内容を定義できることとなっていた上、日本政府は長期4年以上の自由刑を重大犯罪の定義とすることに強く反対していた。これは、日本の刑罰法規では法定刑が幅広く、微罪も重大犯罪も同一の犯罪とした上で判例で量刑の相場が決まっていく、という状況があるためである。

反対派の意見
  • 重大犯罪の定義については独自の定義を行った上で条約については留保や解釈宣言をするべきであるとする(条約の留保の可能性については次の論点に譲る)。重大犯罪の定義としては、民主党修正案にあるように法定刑の長期の部分を引き上げるほか、1999年組織犯罪処罰法別表を修正せずそのまま適用する、という案が存在する。論理的には、共謀罪を修正することなく、共謀罪の対象犯罪について個別に検討して長期4年未満と長期4年以上の2つの犯罪に構成要件などから分割していくという形で適用範囲を重大な犯罪に限定する方法もありうることになるが、現時点ではそのような検討の存在は知られていない。
賛成派の意見
  • 共謀の対象となる犯罪はあくまで重大な犯罪に限定されていると主張する。共謀罪は、組織的な殺人等(本法3条)やその予備(本法6条)の処罰を加重する要件と同じ組織性の要件を採用しており、この要件は、暴力団等の組織的な犯罪集団の構成員にのみ適用されている。「共謀」とは、特定の犯罪を実行しようという具体的かつ現実的な合意をすることをいい、居酒屋で個人的に意気投合した程度では特定の犯罪が実行される危険性のある合意に当たらず共謀とはいえない。したがって、一般の国民の日常生活上の行為が共謀罪の要件に該当することは考えられないという。