岩手・宮城内陸地震2008【311前震】6月14日 土曜日… Ⅳ

 

被害対応

地震発生から一週目まで

地震発生当日の6月14日だけで、警察庁は広域緊急援助隊約270人、消防庁は緊急消防援助隊790名、厚生労働省災害派遣医療チーム(DMAT)36チームを、それぞれ被災地に派遣した[72]。防衛省では人員約360名、車両約90両、航空機23機を投入し、海上保安庁も、巡視船艇25隻、航空機10機、羽田特殊救難基地の1隊で対応した[72]。 道路が土砂災害などで寸断し孤立した集落は、自衛隊や海保などのヘリを総動員して、ほとんどの住民を市街へと搬送し、残された集落には必要物資を空中輸送した。 このうち最も人員を派遣した消防庁は北海道・青森県・宮城県・秋田県・山形県・福島県・茨城県・栃木県・群馬県・埼玉県・千葉県・東京消防庁・神奈川県・新潟県・富山県・石川県・山梨県から緊急消防援助隊として陸上部隊が最大時204隊825名、消防防災ヘリコプター16機[85]を出動させ、岩手県奥州市及び一関市、宮城県栗原市等で捜索・救助に従事し、6日間で約156名を救出した[86]

発生から1日経った6月15日は、警察庁の広域緊急援助隊276人、消防庁の緊急消防援助隊200隊815名、防衛省の人員1076名、車両280両、航空機26機が対応にあたった[87]農林水産省はヘリコプターによる林地の崩壊状況の調査を実施し、厚生労働省は被災者の心理的被害の軽減を図るため専門家や担当官を派遣した[87]宇宙航空研究開発機構陸域観測技術衛星だいち」による緊急観測を実施し被災地の画像を撮影した[88]国土交通省は6月14日から15日にかけて緊急災害対策派遣隊73班延べ183名を投入し、石淵ダムの水位変異や河川閉塞の対応に当たった[87]

6月16日には、文部科学省は調査団3名を派遣し、警察庁は遺族支援のため臨床心理士ら約10人、避難所の相談活動のため宮城県警察の女性警察官ら十数人を派遣、農林水産省は被災した国道342号の迂回路とするため林道復旧緊急整備を開始し、国土地理院は被災地の空中撮影を実施した[77][89]国土交通省緊急災害対策派遣隊はさらに増強され[77]、地震による土砂で発生した天然ダムが決壊する危険のある捜索現場には、遠隔操作可能な無人ショベルカーを投入した[90]国道398号の復旧作業により、午後からは緊急車両等のみ通行可能となった[91]。なお、防衛省による孤立者の搬送作業は、ほぼ完了した[77]

6月17日には、警察庁は岩手県警察の女性警察官5名を相談活動のため派遣、防衛省は前日と同規模で活動を継続した[91]国土交通省緊急災害対策派遣隊をさらに増強し93班258名で活動し、天然ダム3ヶ所を緊急直轄事業として決壊防止工事を実施し、磐井川には監視カメラを設置、迫川については工事の調査を開始した[91]。農林水産省は国道342号の迂回路、国道398号の緊急復旧工事の資材運搬路とするため、林道の緊急整備を実施した[91]

6月18日には、防衛省はさらに規模を増加し入浴支援などを実施、農林水産省は二次災害防止の緊急対応として土石流センサーでの監視や観測機器の設置に着手、国土交通省は直轄緊急事業として河川の閉塞した3ヶ所に通信機器を設置、土砂災害危険個所1098ヶ所の緊急点検を実施した[92]。また、通行規制のあった県道は一部緊急車両の通行が可能になった[92]

6月19日より東北地方梅雨入りしたため、気象庁は栗原市災害対策本部などに荒天時の災害応急活動の中止を助言した[93]。また、の発生によりヘリコプターでの人員輸送ができず、栗原市の捜索をいったん中断した[94]。防衛省は人命救助、給水、入浴、給食支援や天然ダム対策用の発電機の輸送を実施、農林水産省は、栗原市や奥州市に灌漑用の災害応急用ポンプを設置した[93]国土交通省緊急災害対策派遣隊は、道路の被災調査がほぼ完了したため、各自治体に結果を報告した[93]。河川閉塞に対応するため直轄緊急工事として監視カメラ増設し、ポンプ2台を稼働させた。土砂災害危険箇所2756ヶ所のうち2035ヶ所での緊急点検を終えた[93]。しかし、雨により作業は困難となっており、二次災害防止のため、政府現地連絡対策室は関係機関との間で河道閉塞、砂防の危険箇所や対策について情報共有を図っている[93]

6月20日には、総務省は地方交付税の繰上げ交付を決定、警察庁は宮城県警察にて地域警戒警ら隊を臨時編成し、被災地域での警戒活動を実施、岩手県警察でも同内容を実施し、厚生労働省は全聴覚障害者の安否確認を完了し、防衛省は東北地方以外の地域から増派し、給水、入浴、給食支援の要請増加に対応した[95]。国土交通省の緊急災害対策派遣隊は160名体制を維持し、危険箇所の調査、点検をほぼ終え、応急復旧工事への技術指導などの支援が主な活動となった[95]管理道路の通行止めは18区間に減少、岩手県一関市市野々原の河川閉塞は仮排水路の暫定掘削が完了し、排水路をさらに深くする工事を24時間体制で実施、土砂災害危険箇所2771ヶ所の点検が終了した[95]。農林水産省は、磐井川流域で直轄地すべり防止工事を災害関連緊急事業として実施し、国有林林道の崩土除去や土石流センサーの設置や監視を継続している[95]

二週目以降

6月21日は、国土交通省は天然ダムの仮排水路整備を進め、一関市市野々原では午後0時30分より仮排水路からの排水が開始され、一関市産女、栗原市温湯、栗駒沼倉でも着手することとなった[96]。なお、栗駒ダム上流の天然ダムのうち1ヶ所から水が溢れたため、午前0時30分頃から栗駒ダムへの流入水量が急増し午前1時20分頃には毎秒100立方メートルを記録したが、栗駒ダムやその上流の天然ダムの決壊は免れた[96]

6月22日も天候が悪く陸上自衛隊の捜索活動は難航した。なお、6月22日をもって陸上自衛隊の捜索活動は終了し、23日以降は宮城県警察や地元の消防を中心とした捜索活動が開始された。陸上自衛隊の撤収時には、避難所の住民らが沿道に駆けつけ自衛官らを見送る姿が見られた[97]

皇室

地震発生当日、今上天皇並びに皇后全国植樹祭出席の為、東京国際空港から特別機で秋田県に向かっていたが、地震の発生を知ると宮内庁を通じ「災害対策を優先してほしい」[98]と要望した。これを受け、秋田県知事寺田典城の出迎えや県勢概要説明は中止となり、天皇に随行していた警察庁長官吉村博人らにより地震の被害状況説明が行われ[98]、天皇は地図で被災地の詳細を確認した[99]。また、北秋田地域振興局では職員から県内の被害状況の説明を受け、天皇は地図を広げ被災地を一つ一つ確認した[100]。天皇は寺田に対し「しっかりやって戴いて有難う。抜かりのないように」[100]と声を掛けた。

翌日の全国植樹祭にて、天皇は「行方不明になった人々が、速やかに救出されることを念じており、遺族や災害を受けた人々の悲しみや苦しみに、深く思いを致しております。一刻も早く、人々の生活の平安が取り戻されることを願っています」[99]と述べた。また、16日には岩手県と宮城県に対し見舞金を贈った[101]

2008年7月20日文仁親王並びに親王妃紀子が、宮城県栗原市と岩手県一関市の避難所を訪問し、被災者を励ました[102]

岩手県

2008年6月14日午前8時43分の地震発生とほぼ同時に、岩手県庁では災害対策本部を設置した[103]。午前10時50分には、岩手県知事達増拓也より災害派遣要請がなされた[72]。ただし地震発生時、知事はブラジルへ出張中だったため、副知事を中心に対応に当たった。

メディア関係では、地震発生と同時に奥州市のコミュニティ放送局である奥州エフエム放送が通常放送を取り止め、地震関連特別放送を数日間にわたり実施。災害やライフライン関係の報道を随時行うことにより、民心の安定に貢献した[104]

宮城県

岩手・宮城内陸地震の2日前にあたる2008年6月12日は、1978年宮城県沖地震から30年であったため、同日に至るまで連日ローカルニュース内で防災特集が組まれていた。また同日には、県主催の大規模な防災訓練や各学校・企業で避難訓練が行われ、朝から晩まで新聞・テレビ・ラジオで地震対策の報道がなされていた。テレビでは夕方ワイド番組内で特集が組まれたり、夕方[105]およびゴールデンタイム[106]に全国放送の代わりにローカル番組の地震・津波特別番組を放送する局があったりした。

2008年6月14日午前8時43分の地震発生とほぼ同時に、宮城県庁では災害対策本部を設置し、午前10時49分には現地対策本部を設置した[103]。午前11時には、宮城県知事村井嘉浩より災害派遣要請がなされた[72]

6月19日午前9時、宮城県庁は緊急消防援助隊への応援要請の解除を消防庁長官に報告し、消防庁もこれを諒承した[93]。6月20日、宮城県栗原市栗駒、花山の復旧対策を直轄事業として実施するよう宮城県知事より農林水産大臣に要請がなされた[95]

6月22日で陸上自衛隊は活動を終え、23日以降は宮城県警察や地元消防を中心に捜索活動を継続することとなり、村井は「栗原市長からは『最後の1人まで』と要請があったが、生存者がいる可能性が低い状況を考えると、自衛隊に本来の任務以外のところで無理をお願いするのは難しいと判断した。苦渋の選択だった。これからは自衛隊にしかできない仕事で協力を要請してゆく」[107]と述べた。