岩手・宮城内陸地震2008【311前震】6月14日 土曜日…

 
 
岩手県
被害総額は、294億4156万円(7月11日14時現在)
経済商工観光関係被害 10億8364万9千円
農林水産業関係被害 105億9676万7千円
文教施設被害 6億6006万1千円
保健福祉関係被害 3億568万8千円
環境生活関係被害 2億668万5千円
公営企業関係施設被害 1260万9千円
土木施設被害 165億7610万円
秋田県
被害総額は、26億4097万2千円(7月11日現在)
土木施設被害 25億1000万円
農林水産業関係被害 1億3077万2千円
環境生活関係被害 20万円

緊急地震速報

本震に対して、気象庁初期微動(P波)を検知した4秒後の段階で一般向け緊急地震速報(警報)を発表した。一般向けの速報が発表されたのは3例目で、震源近くでは間に合わなかったものの震度4以上を観測した広い地域に揺れが到達する数秒から数十秒前に伝わった。当初の強い揺れが予想される地域は、岩手・宮城・秋田・山形各県であったが、その後規模が修正され、新たに青森・福島・新潟各県が追加された。NHK総合では、NHK週刊ニュースが放送されており、速報発表を受け放送中だったニュースのVTRを中断し、強い揺れに警戒するよう呼びかけ続けた(そのまま臨時ニュース、全波一斉放送【八波全中とも】へ)。さらに、6月14日9時20分と12時27分の余震でも、一般向け緊急地震速報(警報)が発表された[5]

通常の震度速報は、本震と12時27分の余震では、震度を優先(震源を特定次第通知)して伝えられたが、9時20分の余震の際には、市町村震度(震源が特定されている)状態で発表された。

主要民放は殆どが在阪局制作の生番組を放送していたが、発表対象となった東北地方の緊急地震速報を放送できなかった為[67]、地震情報の発表が地震の第1報となり、その後は報道特番に切り替わった。

国・県の対応

日本政府

2008年6月14日午前8時43分に地震が発生すると、日本政府は即座に対応を開始した。

消防庁は地震発生とほぼ同時に災害対策本部を起ち上げ、警察庁も発生から1分後に災害警備本部を起ち上げた[68]。発生から7分後の午前8時50分には総理大臣官邸危機管理センター官邸対策室、内閣府災害対策室、防衛省災害連絡室、海上保安庁地震災害対策本部がそれぞれ設置された[68]内閣総理大臣の福田康夫の下には午前8時50分に内閣総理大臣秘書官から連絡が入り[68]、福田は「被災状況の早期把握、迅速な広報被災者などがある場合は救助に全力を挙げるように」[69]と指示、午前8時59分には陸上自衛隊八戸駐屯地からヘリコプターを派遣した[70]

内閣府特命担当大臣(防災担当)泉信也を団長とする政府調査団は、午前11時38分に防衛省を出発し、午後1時35分に一関市に到着し[71]、政府現地連絡対策室を栗原市に設置した[72]。福田は官邸対策室で陣頭指揮を執り、午後には内閣危機管理監伊藤哲朗らに「現地では日没が迫っている。警察、自衛隊などのヘリコプターを効果的に運用し、状況把握に努め、救出活動に全力を挙げてほしい」[69]と指示した。同日夕、被災地からの泉の報告を受けた福田は、夜間も現地での行方不明者捜索や被害確認の継続を指示した[73]。また、首相の被災地視察については、震災直後に訪れれば現場の人員を割くことになり現地が混乱するとの判断から、被災直後の視察は見送り、あくまで救援活動を最優先している[69]。この判断は、新潟県中越沖地震発生当日に当時の首相が現地視察を実施し、危機管理や救援活動優先の観点から問題となった教訓を生かしたものである。

6月15日には国土交通大臣冬柴鐵三らが被災地に派遣された。帰京した泉は福田と会談し被害状況の詳細を報告し、福田は行方不明者救出に加えライフライン復旧と地震によりせき止め湖化した磐井川への対応を指示した[75]

6月16日朝には、福田は関係する国務大臣全員を首相官邸に招集し、関係閣僚会議を開催した。各閣僚から被害と復旧の状況が報告され、福田からは行方不明者救出と、電気や水道など生活物資補給路の復旧を進めるよう指示がなされた[76]消防を所管する総務大臣増田寛也が現地に派遣され[77]消防庁長官荒木慶司も同行した。

6月18日には内閣総理大臣福田康夫が被災地を視察し、被害を受けた道路やダムを確認するとともに復旧支援活動に取り組むスタッフや被災者を激励した[78]。さらに「水や電気を心配している人がたくさんいた。市と県を国が全力で支える」[79]、「道路の復旧。河川を元通りにする。全力を挙げたい」[80]と述べ、ライフラインや道路など生活基盤の復旧に国として全力を挙げる意向を示した[81]

情報発信の面においては、官邸をはじめとする各省庁を凌駕する迅速さで内閣府が防災情報のページにおいて政府の対応状況について情報発信を行ったことが今回の特徴といえる。また、同ページにおいては、内閣府特命担当大臣(防災担当)泉信也が国会にて読み上げる原稿をも公開[82]、するなど透明性を徹底して追求するなど従来の政府の対応とは一線を画するものとして賞賛の声がある。さらに、内閣府においては中央省庁初の試みとして、ブログによる災害時における情報発信[83]の準備がなされるなど革新的な動きが見られる。

7月9日、福田康夫内閣は政令を公布し、一関市、奥州市、栗原市に対し激甚災害指定を行った[84]