はあ、また放置してしまった……しかも、不妊とか重めの話題のあとに(苦笑)。
気を取り直して、前にここで宣言しましたとおり、7月の帰省の折に新地ラリーを更新してまいりましたので、そのご報告をば。
あまり時間がなかったため1カ所のみですが、次回もう1カ所行けば、とりあえず人生の中で大阪五大新地は踏破ということになります。
訪れたのは、生野区にある今里新地。
事前にあまり情報収集もせずに、「鶴橋の隣くらいやろ」という適当さで行ったら、炎天下のなか、空腹を抱えて1時間近く歩く羽目になってしまいました……。巡礼は計画的に。
まあ、鶴橋も駅周辺の韓国料理屋くらいしか行ったことがなかったので、あの辺の雰囲気を知るという意味では、まったく無駄足というわけではありませんが、今里方面を目指すにあたっては、ディープめの韓国タウンではないエリアを歩くことになり、ひたすら住宅街が続いたのが失敗でした。
せめて、『パギやんの大阪環状線案内』くらいは東京の家から持ってくるべきでした。この本は、大阪出身の在日韓国人のシンガーが書いているのですが、わたしが知りたい大阪、つまり東京の劣化版としての大都市ではない、"土着大阪”ともいうべきエッセンスがぎゅっと詰まっています。

さて、今里新地には公式HPというものがあります。
そこに書いてある、●●×丁目付近という記述を鵜呑みにして目指してみたんですが、それってあくまでもヒントだったのよね! おかげで、×丁目を20分くらいは、おかしいな~見つかんないな~とさ迷い歩いてしまいました。本当は▲丁目なのよね。確かに、×丁目“付近”っちゅーのは間違ってない!
ネットで調べると、「今里新地」というド派手なゲートが目印になっているのですが、それはすでに撤去された模様。これも目印だと思っていたから、余計に混乱する羽目になりました。
今里新地の最大の特徴は、コリアンタウンと共存しているということです。×丁目の方はほとんど韓国系の店はなかったのですが、▲丁目に入ると途端に様相が変わって、いきなり鶴橋駅周辺のビカビカした色合いに。鶴橋とは正反対の静けさだったのは、たまたまアイドルタイムだったのか、それとも完全に夜の街で昼間は眠っているのか……。
韓国料理屋とカラオケとスナックが混在する区画の中を、件の“料亭”ストリートは主に4本、走っています。飛田のようにずらりとそれオンリーではなく、普通の料亭も隣り合わせになっていて、一見しただけでは区別がつかないことも……。まあもちろん、「18歳未満お断り」の札が小さく貼られているので、見分けはつきますが。それにしたって、なかなかの溶け込み感です。飛田や松島みたいに明らかに異質な感じではなく、“料亭”のおばさんたちが、道路に水撒きなどしているのも、それと知らなければスルーしてしまう風景でしょう。夜は、軒先に赤やピンクの明りが灯って、途端に異空間と化すのでしょうか……。
ただ、今里は飛田などと違っておねえさんたちの顔見世がないようなので、案外、夜も普通の料亭然としているのかも……いや、そんなことはないか。

わかりますでしょうか、下の3枚の写真の、どこに件の店があるのか……。

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昼間とは云え、うっすらと妖気に当てられたようで、帰りの電車でしばらくの間、新地の光景を脳内でリフレインしておりました。
次回に備えて、地元から信太山へのアクセスでも調べるか、大阪でも南の方だから、結構遠いんだよなあ……などと心の中で呟きながらスマホにかじりついていましたら、わたしの検索はいつしか、和歌山の天王新地なる場所へとたどり着いていました。
その写真と見知らぬ人のレポートを見て、わたしの胸は異様な高まりを覚えました。
このマイナーな終末感、都築響一的世界からさらに三段階くらいディープなロードサイド感……!!
飛田や松島など、ここに比べたらずいぶんと華やかでメジャーな場所に思えてきます。今里はおろか、滝井でさえもここよりは明るさがあるのではないでしょうか?
これまで新地に感じていた淫靡さや妖しさとはまったく別種の、離島の秘密の儀式にでも迷い込んだような胸のざわつきを抑えられず、取り憑かれたようにこの手のマイナーな色街を検索しまくりました。
さらなるアンダーグラウンドへと誘われた先には、徳島の秋田町にある、何の看板も出さず料亭どころか住宅に擬態して営業している数軒のちょんの間、山口の防府にあるたった2軒のガラス張りのスナックなど、47都道府県の風俗を制覇しようという猛者でもなければ一生知ることもなさそうな場所が。
それらを知ってどうしようというのか? 女のわたしがそこで買うわけでも、まして売るわけでもない。例えばアイスランドに行きたいというのと同じノリで、好奇心だけに任せて全国を飛び回るつもりもない。
それでも、いつか行きたい秘境リストと同じく、ある種の聖域として刻まれ、恐れながらも夢見る風景として、わたしの心に留まり続ける。いや、むしろ、日本に残されている本当の秘境とは、案外こういう場所だったりするのだろうか。
絶滅してしまった色街の、名残の建物も決して悪くはありませんが、あまりにもひっそりと存在し、摘発されれば一気に絶滅が危惧される、風前の灯火のような現役の“新地”や“ちょんの間”の方に、より心を惹かれてしまいます。この思いは、好奇心であることは間違いないけれど、もっとなにか、郷愁とかブルース的なものと云った方がしっくりくるかもしれない。

そんな流れで、カストリ出版という謎のレーベルが、長年、幻の本とされていた『全国女性街ガイド』の復刻版を出していたので、それを5,400円も出して入手。ついでに、竹久夢二調のレトロな表紙がかわいい『全国遊郭案内』も購入しました。まあ、文字だけの本ですし、結局はこれらの内容も、絶滅した色街を偲ぶよすがにしかなりませんが……。
さらに、興味は海を渡って韓国へ……『[定本]韓国全土色街巡礼』という本へと至りました。わたしは、韓国を旅するイメージというのがあまり明確でなかったのですが、この国独自の赤線街の風景は美しく、大いに旅情をそそられました。
夜を妖しく照らす赤い光を見ていると、不思議と心が安らかになるのは何故なんでしょうか。本当にどうしようもない人間です。


P7285038 「青春を返して」という、ちょっとお茶目な店名のカラオケ。この改行すらキュンと来る(笑)。

藪から棒になんやねんというタイトルですが、文字通り、不妊で悩んでおります。
いやあんた、結婚もしてないし、悩む順番間違ってない?と云われそうですけど、基礎体温はもう4年くらい計り続けていて、なるべくそれを目安に子を作る行為もしていたりして、まあ妊娠できたら結婚しようという話で、ここ数年推移してきたわけなんです。
しかし、一向にできないもんですから、高度不妊治療なるものをいよいよ考えねばとなった時に、未婚でいるとそれらが受けられないので(人工授精までは大丈夫みたいですが)、今さらながら結婚も同時進行で考えているんですけどね。

 

不妊のことを考えると、もう笑ってしまうほど簡単に絶望的な気分になれるもので、この週末も、高温期が続いてうっすら期待したと思ったら高温のままリセットという流れになって、もうアホみたいに落ち込んでしまい、貴重な土日を悶々と無駄に過ごしてさらに落ち込むというデフレスパイラルに陥っておりました。生理のせいなのか、だらだら寝ていたせいか、体は重いし、頭痛は治らないし、食欲はないし、吐き気はするしで、これで数時間後は月曜日で仕事かよと思うとさらに頭痛がひどくなってくる始末です。体調が悪いと、心も簡単にマイナス方向へ引きずられますね。今後は、週末はジムにでも通って、もう少し健康的に、建設的に過ごそう…。
転職する数ヶ月前――2年前の初冬です――、やっぱり婦人科にちゃんとかかろうと思って2ヶ月くらい通っていたこともあります。それで、検査を進めるうち卵管造影検査で引っかかりました。卵管が1つ閉塞していて、このままでは自然妊娠はほぼ難しいですねえと云われて、卵管を通すFT手術もやりました。生まれて初めて全身麻酔したんですが、あの感覚ってすごいですよね。ほんと、スイッチを切ったみたいに意識が完全になくなって、ああ、死ぬときってこんな感じなんかなあ…と思いました。
その手術で卵管は通ったんですが、その後、転職が決まったこともあり、病院には行かなくなって、今に至ります。検査もしていませんから、再び卵管が閉塞している可能性も十分あります。手術は保険で半額以上のお金が出たし、彼氏には精液検査までしてもらったというのに…(苦笑)。
転職自体を後悔しているわけではないけれど、あのまま前の会社に在職していれば、もうちょっと真面目に不妊治療を続けられたのかなと思うと、計画性がなさ過ぎる自分のふがいなさを呪わないでもありません。しかしまあ、そんなもしも話をしてもしょうがない。

 

世の中には、もっと努力してお金もかけて真剣勝負で治療に通っている人もいるわけなので、こんな、妊活とも云えないようなレベルで落ち込むのはちゃんちゃらおかしいですよね。葉酸サプリやらルイボスティーやらも適当にしか飲んでないし、腹巻もしてないし、何より規則正しいストレスフリーな生活とは無縁!でも、一方で、そこまでしなくてもできる人にはできるわけで、だから不妊は悩みが深いんだと思います。だって、できるとできないとでは、かなり人生設計も変わってくるのに、ほとんど博打みたいなもんじゃないですか。わたしだって、今はっきりと、妊娠の可能性がゼロだと分かれば、さっさと荷物をまとめて再び旅暮らしに移行したいですよ(笑)。ゼロではないとか思っちゃうから、そこの悩みから抜け出せない。
ま、こんな年になるまで放っておくほうが悪いとか云われたら、何も反論できませんが、世間並みに相手が見つかって、結婚できて、子どもができて…というステップを、どういうわけか、なかなか踏めない人間だっているんですよね…。
不妊で悩む人の大多数が陥る行動だと思いますが、生理直前になると異常なほどの検索魔になって、「高温期 ●日 妊娠」「生理前 妊娠 違い」果ては「生理が来たのに妊娠」とかわらをも掴むような(笑)検索ワードまで入れて、少しでも希望を見つけようと躍起になるのが、我ながら滑稽です。中国製の安い妊娠検査薬も、無駄と分かっていながら試してしまいます。


そんなことで悩むより先に結婚だろう!と、世の中的にはそうなるでしょうし、何より高度不妊治療を受けられませんので(受けられる病院もあるにはあるようですが、ほとんどはダメみたい)、ようやく今は、先に結婚してからにしようと思うようになりました。まあ、妊娠してから準備すると何かとたいへんそうですしね。
それでも、結婚してやっぱりわたしが子どもの産めない体だと分かったら、申し訳ないという気持ちを引きずらずに結婚を続けることができるのだろうか…と不安はあります。
もし未婚でも既婚者と同様に高度不妊治療ができるのなら、本当はそうしたいと、今でも思います。その壁があるから、「やっぱり1秒でも早く体外受精しないとダメかも!」という思いこみモードに突如入ってしまっていきなり結婚を迫るという、実に悪質な行動を取ったのも、一度や二度ではありません(苦笑)。


ただでさえ更新の少ないこともあり、この手の生々しい話は長らく避けていたのですが、今夜は何だかあまりにも頭が痛くて気分が優れないので、ついここで発散してしまいました。
次回(いつだ?!)は、何事もなかったように新地めぐりの話でもしたいと思います。

つい先日、またまた実家に帰っておりました。
ここ数回は、戻りの夜行バスで涙を流すほどの激しいホームシックはさすがになくなりましたが(自宅から近いバス乗り場に変えたのがよかったみたい)、その代わり、確実に流れている人生の時間をいちいち痛感することが多くなりました。
最も、自分の感覚的には、長い旅から戻った後はほとんど時が止まっていまして、まあそれというのも己の成長とかイベントごとがほとんど無いせいもあるんですが、2015年の半年の間にも、わたしが上京時に1ヶ月だけ居候していた親戚宅の末っ子は成人式を迎え、姪は小学生になり、かと思えば近しい親戚が老人ホームに入り、高校時代の友人は結婚して大阪を出…と、周りの人生は目に見えて変わっているのでした。
そうした周りの状況を、わたしはまるで『ポーの一族』のバンパネラのように半ば取り残されたような、傍観者の心持ちで眺めているのですが、バンパネラと違って肉体は確実に年を取っているのですから切ないですね。まあ、本当に心も体も年を取らなくなったら、それもつらいとは思いますが……。


それでも、昔読みふけった本が並ぶ実家の本棚を見ていると、成長ないとか云っても、いちおう自分の人生もいくつかのステージ(段階)を経て変遷してきていることが分かって、なんだか遠くまで来ちゃったなあという気にはなりますね。おそらくもう人生で読み返す時間もなさそうな本を眺めてみると、軽く死に支度に入ったようでもあり、もう長くないのかも…などと、あらぬ想像を始めてしまっていけません。
GWと先日の帰省では、実家の台所を大掃除しまして、わたくし同様捨てられない体質の父親が、溜めに溜めこんだレジ袋、割り箸、謎の書類、謎の薬、その他ガラクタ類を一気に処分しました。自分の部屋は片づけられないのに、他人の(っても実家だけど)空間は容赦なく片づけられたので我ながら驚きました。
実家に降り積もった物たちは、そのまま時間の堆積でもあって、ブルドーザーのように片づけているとまるで父親の人生を削り取っているような感覚がなきにしもあらずで、小さく胸は痛んだのですけどね。まあ、レジ袋が父親の人生を形成しているわけではないだろうから、いっか!
物も事も、どれほど積み重ねてもやがては無に帰するということに、日に日にリアリティが増していくのは、確実に死に向かっている証拠なんでしょうか。そして、実家は今でもわたしにとって「帰ってくる場所」ではありますが、それとて長い目で見れば仮の宿でしかなく、決して永遠ではないことを思うと、もう人生で何を信じたらいいのか分からなくなってきますね(笑)。


ところで今回の帰省には、いちおう目的がありまして、叔母から「じいちゃんがだいぶ弱っています」というメールを受け取ったため、本当は一人でハワイでも行くかな~とぼんやり計画していたのを止めて、祖父の顔を見に行くことにしたのでした(ちなみに母方です)。
ここ数年で別人のように弱った祖父とは、あまり会話らしい会話が成立しなくなっており、正月に帰った時も、完全にボケてはいないのですが常に半分寝ているような、もったりと重なったヴェールの向こうにいるような感じでした。それに反比例するように祖母は本当によく喋り、ちょこちょこと祖父をディスっては、たまに祖父がしゃきっと蘇った時に怒られたりしていました。
そしてこのたび帰省してみると、母屋の従妹が「今回はもうほんまにあかんかと思った」と云っていたのもうなづけるほどの弱り具合。わたしと父のことはかろうじて認識できているようですが、話しかけてもまともな答えは返ってきません。正月まではずっとかけていた眼鏡を外したのも、弱った印象を増長する一因で、「なんで眼鏡かけてへんの?」と叔父に訊いたら、「もう眼鏡かけてまで見るもんもないんやわ」という答えが…。
それでも、わたしと父が帰省すると聞いて少し魂が戻ってきたのか、数日前は起き上がることもできなかったのが、起きてソファに座れるくらいには回復したようで、なんなら家の中を歩くこともできていました。それを見て、みんなが「おお、歩いた!」と歓声を上げるのがまるで幼児に対する反応のようで、"人は赤ちゃんに還るのだ”という言葉を目の当たりにした感じでした。しかし、それを是と取れるほど、わたしはこのような状況に慣れておらず、どうしても"人生って残酷だな”という気持ちのほうが先行してしまうのでした。こんな豆腐の如きメンタルでは、仮に父親の介護などするようになったら、まともにやっていけるのか甚だ心配です。


ここ最近ですが、祖父母の家に来たら必ずやることがあります。それは、昔の写真アルバムを、そこに居合わせているみんなで見ることです。
データの時代になって、なかなかプリントや整理をしなくなってしまいましたが、このアナログアルバムの威力はなかなかにすごいものがあり、何と云ってもいちばん盛り上がるのは家族写真です。逆に、撮っている時はやたらと気合いの入る旅行先の写真(特に風景)は今いち盛り上がりません。
わたしは戦前の写真が見たくて、特に祖父母の結婚式の写真が残っていたらいいなあと思ったのですが、あいにく叔母が持ち出しているとかで、見ることは未だ叶っていません。その代り、祖父の尋常小学校時代の集合写真が出てきまして、さすがにこれくらい古い写真になると、発見しただけで感嘆の声が洩れます。ティーンの頃の祖父の顔なんて分かるはずもないと思いましたが、意外とこれが判別できたりして。
「じいちゃん、男前や~ん!」などと盛り上がるわれわれの傍らで、すうすうと寝息を立てている祖父、その寝顔を眺めながら、当たり前だけど祖父にも子ども時代があって、青年に、壮年になって今に至っているのだなあ…と、祖父の長い長い人生を想像したら無性に感極まってくるのでした。
祖父はあとどのくらい生きられるのでしょう。祖母は元気そうだけど、もう90を過ぎているし、それを云ったら父親だって、まだまだ死にそうにはないものの、いずれは現在の祖父のように、会話もままならなくなるのかもしれません。「みんな、長く生き過ぎたなあ…」と、ふと漏らす父の表情には、確実に老いと死の陰が見えるようで、なんとも云えぬ苦しい気持ちになりました。


祖父は、仕事を辞めた後、1年くらいかけて膨大な写真を整理したそうです。そのおかげで、我が家にさえ無いらしい、父母の結婚写真が出てきたのでもらい受けてきました。
まるで他人のように若い父母の姿を見て、家族だからと云って何でも知っているわけじゃないんだな、むしろ、家族のことなんて何も知らないのかもな…と思いました。むしろ、豊臣秀吉とか小室さんの人生のほうが、遙かに熟知している気がします(苦笑)。
かく云うわたしだって、ネット上の不特定多数には公開しても家族にはまったく告げずに3年半近くも放浪していたのですから、家族についての情報をよく知らないのは珍しくないのかもしれませんが…。
わたしは、死んだ母のことも今ひとつよく知らないままです(仮に生々しい日記とか出てきても読むのを躊躇いますけど…)。そして、以前は「いつか帰ってきそうだな」という曖昧な感覚だったのが、今ではもう、他人のように遠く感じています。アルバムの中にいるいろんな年齢の母を、まるで歴史上の有名人のように認識してしまい、わたしには本当に母親がいたのだろうか…という感覚にさえ襲われます。前に誰かに、「お母さんが夢に出てきたり、ふっと気配を感じたりはしないの?」と聞かれたことがありましたが、そういうのも全くありません。我ながら、人として何か大切な感情が抜け落ちているのではあるまいかと不安になります。
わたしが母を思い出す時、なぜか真っ先に浮かんでくるのが、死の1年前くらいに一人で『オーメン』のシリーズを観ていた後姿です。わざわざレンタルしていたわけではなく、たまたまテレビでやっていたのでしたが、仕事から帰ってきてその姿を見たわたしは、「お母さん、ホラー映画なんか観るんや…」と、なんとも不思議な気持ちになったのを覚えています。その残像ばかりが浮かぶのは、母について実はあまり知らないことへのある種の後悔がそこに象徴されているのかもしれません。この世で最も血が濃いはずの母ですらこれほど他人のように感じられるのに、"血は水よりも濃い”なんて、果たして本当なんでしょうかね? 単にわたしが薄情すぎるだけでしょうか?
そんなこともあって、父親とはなるべく話すようにしているけれど(しかし旅の話題には触れないw)、それでもやっぱり、知らないことがほとんどのまま、別れの日が来るのでしょう。いや、家族どころか、自分のことも結局はよく分からないままで、人生は終わっていくのだろうと思います…って、あきらめたらそこで試合終了ですか。


というわけで、今回は、いつにもまして暗いエントリーですが、特にいま人生が不幸で満ちているわけではありませんので、ご心配は無用です(笑)。

部屋と人生は必ずしも一致しないとは思いつつも、このままだと人生が破綻してしまいそうな恐れすら抱かせる現在の部屋は、やはりどうにかしないといけないと、毎日のように考えています。
今さら云うまでもないですけど、とにかくモノが多い。大地震が来なくても、物理的に倒れてこなくても、今の状態ではモノに押し潰され、下手したらモノに殺されかねません。
モノが増えていくのは、ある段階までは幸せだったと思うんです。好きなブランドの好きな服、読みたい本、美しい雑貨…わたしは、好きなモノに囲まれて生きたかった。そしてそれは、ある程度、達成されました。
ところが、モノはあればあるほどいいかと云ったら、そうでもないらしいということに、やっとのことで気づき始めております。
ひとつひとつのモノは素晴らしいのに、わたしの小さな頭が把握しきれないために、モノの価値はどんどん暴落し、こないだ買ったアレよりも、お店でキラキラしているあの娘が欲しくなる。そして、かわいいあの娘をカオスな我が家に連れて帰って来た途端、お店での煌めきが魔法のように消え失せ…まではしないものの、半減してしまうのです。

 

そもそもは、引っ越ししたい→モノを減らさないと無理、というきっかけではありましたが、今は、引っ越しする/しないに係わらず、1日も早い身辺整理の必要性を感じています。近い将来に死期が迫っているのでしょうか…。
それで、春先くらいからボチボチ手をつけてはいたのですが、本は文字通りの二束三文にしかならず、あっという間にやる気が沈下。比較的単価の安い本でさえこんな気持ちになるなら、服なんて売ったら心がズタズタになるんじゃなかろうか。前に旅行資金に困って売ったときだって、「もう、お気に入りの服を売るような悲しい真似はすまい」なんて決意したくらいなのです。
そんなことを考え始めたら、当然ながらモノの処理は遅々として進まず、今に至っていたわけですが、最近、『ぼくたちに、もうモノは必要ない』という本を読んで、再びやる気が湧いてきました。
このテの本はもう読み飽きた、読んだ結果がこの部屋というザマだしな…と、懐疑的になっていたのですが、なぜかやる気になれたのは、この作者さんと、自分の背景がよく似ていたからです。
モノを買うのが大好きで、部屋はモノで溢れ返っていて、床と壁は本で埋め尽くされ、使う時間がないのにアンティークカメラをせっせとオークションで落とし、カメラの暗室まで作ったものの、現像した写真は整理しきれずにしまいこまれて、プリントとプリントがくっついてしまっている…。
「読んだ本は自分の一部だから、捨てたくない。興味のある映画や音楽を、他人にも示したい。いつか時間ができたえあ、とりかかりたい趣味がたくさんある」
ああ、わたしもまさにこんな感じだ。モノ=自分だと思っていて、だからモノを増やしまくっている。
そんな状態を彼は「マキシマリストだった」と表現しています。わたしも、モノの力で自分自身を増大させようとしている、まごうかたなきマキシマリストです。
昔の部屋と現在の部屋の写真が載っていますが、今はミニマリストを名乗るだけあって、居間には布団と木箱しかないところまで行きついています。ここまで変わると、そりゃ人生も人間性も変わりますよね。


本来なら荷物が少ないはずの旅人時代から人の5倍はモノが多かったわたしは、文字通りのミニマリストになるのは、たぶん、相当難しいと思います。
それに、禅寺みたいな部屋に住みたいわけでもないし(それはそれで憧れますが)、いくらモノがないったって、刑務所みたいな部屋は気分が滅入りそうです。
ただ、せめて、せっかくわたしの元に来てくれたモノたちを大切にできる部屋にしたい。わたしが好きになって、選んで持って帰って来たモノは、きれいに、大事に扱ってあげたい。「ああもう、ぐちゃぐちゃ!」とか云って無下にしたくない。モノを憎みたくない。
モノは、そこに居るだけで何も云わないけれど、何だかんだ手はかかるんですよね。特に服。白いシャツは、ちょっとメンテナンスを怠っただけで、すぐに襟の汚れが沈着する。いつ洗濯したのか記憶が定かでないから、えいっとクリーニングに出しては、それなりに金がかかる。車の維持費ほどじゃないけど、原理は同じです。
新しくモノを買うときもそう。あの機種とこの機種、どちらがいいか、どの本が面白いか、どの色柄がかわいいか…それを血眼になって検索しているとあっという間に時間は失われます。
つい先日もこんなことがありました。セールになっていたキティちゃんのワンピースを部屋着および近所出歩き用に購入、さっそく家で着てみた…まではよかった。その格好で、白いかばんについた赤カビらしきものを落とそうとしてカビキラーを吹きかけたところ、汁が服にこぼれてあちこちに色剥げがあああ!! わたしは思いました、「嗚呼、モノを減らすと云いながら、ついモノを買ってしまったからだ…」と。そして、その色剥げを隠すための方法を思案したあげく、キティちゃんのアップリケを貼り付けたらどうだろう!と思いついて、適切なアップリケをAmazonで30分近くもかけて探し、計2,500円分ものアップリケを買う…という結果になったのでした。
我ながら、“モノの奴隷"の見本のような人間だな、と呆れる以上に滑稽でした。
「ものは、自分のものにしたくなったとたんに、あらゆる面倒が、ふりかかってくるものさ。運んだり、番をしたり……」と、旅人の理想像にしてミニマリストの神(?)、スナフキンも云っております。

 

そうは云っても、ここまで増えてしまったモノたちを一気になかったことにするのは、物理的にも精神的にも困難を極めます。
なんでもかんでも捨てて、「あースッキリした!」ではモノに申しわけなく、せめて、「ちゃんと使ったからもういいや」とか、「欲しい人の手に渡ったからいいや」とか思いたい。それが整理の歩みをのろくするんだけど、それでも、ね…。
モノの数を絞れば、埋もれて輝きを失っていたモノたちは、それはそれはありがたく蘇ることでしょう。だって、買ったときは、そのくらいありがたいと思って、これしかないと思って買ったのです。最初のときめきを再現しないまでも、せめて生き返らせてあげたいです。
モノが多くても、モノがイキイキと暮らしている空間というのはちゃんとあります。部屋しかり、デスクしかり。モノは多いし、ごちゃごちゃしてるけど、楽しげなオーラを放っているんですよね。せめて、そこに到達したいものですが…。

 

結局、何かを抱えていることは、心の不安と停滞につながるんだと思います。
それはモノだけじゃなくて、直近の仕事、煩わしい雑事、絶えず入ってくる有象無象の情報、複雑に絡み合う人間関係、将来に対する悲観……etc。
それらが一切なくなったら、人生はそりゃ味気ないものになりそうだけど、いまは抱えすぎてパンクしそう。いや、ふつうの能力の人ならこのくらいではパンクしないんだろうけど、低能かつ怠け者なので、キャパシティがたいそう低いんです(苦笑)。
一方で、衣食住も足りているのに、決して不幸なわけじゃないのに、常にどこかに欠損感があって、飲んでも飲んでも喉が渇く砂漠にいるような感覚に囚われます。
モノから解放されたいという自由への希求と、モノを手に入れたいという欲望と…この折り合いをつけるには、まだしばらく時間がかかりそうです。
でも、とりあえず、蔵書はもうすぐ段ボール4箱目を売ろうというところで、友達にもBL本を譲ったりして(笑)、少しずつ前進してはいます。部屋の見た目は未だ絶望的に変わっていませんが。。。

 

余談ですが、この手の「モノを捨てること・持たないこと」を推奨する本が、ことごとく電子書籍化されていないことに、いつも納得がいきません。超ベストセラーになった『断捨離』『人生がときめく片づけの魔法』あたりはkindle化されていますが、このジャンルではカリスマ的存在のドミニック・ロー●ーさんの電子書籍なんて、1冊もないですからね!
あれだけモノを減らすようにと迫ってくるのに、このような本棚のスペースを占領するモノを売るんですか、と、若干意地悪な気持ちになるんですよね。読んだら売るか捨てるかしてくださいって解釈すればいいの? それとも、ほかのどんなモノを捨ててもこの本だけは置いておく価値があるって云いたいの? …って、出版社の苦しい懐事情も分からないではないのですが。
まあでも、この本は面白かったから、特例でいいとしようか…1000円だし…。電子書籍で買えたら、文句なしにAmazonでいうところの5つ星評価だったのですけど(苦笑)。

大阪にあって、東京にないものは?
というお題があったとして、わたしが真っ先に思いつくのは、「新地」と呼ばれる地域です。

日本最大の遊郭地帯・飛田新地はご存知の方も多かろうと思いますが、大阪には他にもいくつか、新地と呼ばれる色街があり、今も稼働しています。
飛田のほかには、松島、今里、信太山、滝井、そして兵庫と云いつつもほぼ大阪文化圏である尼崎のかんなみ、という新地があります(北新地ってのもありますが、ここは大阪の銀座みたいなもので、ちょっと別ジャンルですね)。
わたしが新地の存在を知ったのは、高校を卒業したばかりの頃だったでしょうか。友人(女)がどこからかそんな話を仕入れてきて、好奇心を抑えきれなくなったわれわれは、わざわざ男に変装して(と云っても、すっぴん、野球帽に眼鏡程度)、車で出かけて行きました。
車中から覗いての、時間にしたらおそらく15分くらいの探索だったので記憶の映像はかなりおぼろげですが、「松島料理組合」というアーケードの表示、古い割烹のような風情の日本家屋がずらりと並ぶレトロな景観、さらにはその玄関先がことごとく赤やピンクの照明に彩られ、その中には人形のように鎮座している女の子がいて…明らかに異界に足を踏み入れている、という印象は強烈でした。
ちょっと頑張って車の窓を開けると、家の玄関にいるおばちゃんにいきなり「にいちゃん!」と声をかけられてビビりました(苦笑)。男装はそれなりに功を奏していたようです。

その後、今に至るまで松島を再訪したことはなく、次に訪れたのは飛田でした。
最初はおそらく、通天閣周辺の観光の延長でした。あのあたりは、片方しか売っていない靴や、異様に安いドヤ(宿)に食堂、青空カラオケにスマートボール、やけに高く作られている西成警察署の門…など、外国に来たかのようなカルチャーショックを受けられるエリアで、よく"大人の社会見学”と称しては散策に出かけたものでした。その流れでしぜんに(?)飛田にも足を踏み入れたものと思われます。
飛田も松島と同様に「料理組合」の看板を掲げています。松島よりも大規模に古い日本家屋が通りを埋め尽くすさまは壮観で、いかがわしいはずのピンクの照明も風情を醸し出しまくっており、何も知らない外国人なら京都観光のノリで何枚でも写真を撮ってしまいそうです。日本人であるわれわれは、さすがに恐ろしくてカメラなど取り出すことすら憚られますが…。
何しろ、道ばたで覚醒剤が売られているという都市伝説さえある場所です。最もこれは伝説ではなかったようで、何度目かの散策で同行した友人は目撃したと云っておりました(注意力散漫なわたしはスルーしてしまいましたが…)。
そんなわけで、散策にはあくまでもただの通行人としての平静さ・無関心さが求められますが、新地の端っこには昔の遊郭の建物を改装した普通の料亭「鯛よし 百番」があって、ここで食事をするだけなら女性でも怪しまれず新地の空気をほのかに嗅ぐことができます。

この「料理組合」と「玄関先のおばちゃん」と「赤・ピンクの照明」は、新地の様式美とでもいうべき特徴です。
最も謎めいている「料理組合」については、新地は「あくまでも料理屋で、たまたま知り合った男女が恋愛の末コトに及んだだけ」という理屈で成り立っているのだそうです。ゆえに、表向きは「料理屋街」なのですね。
そう云えば、中国の阿里という街でも、似たような風俗街がありましたっけ。昼間は床屋なんですが、夜になると玄関先がピンク色に染まるという…。同じ理屈なのでしょうかね。

それからかなりの時が経って、数年前、アニマル柄の洋服を探しに千林商店街に行った際、一瞬だけ滝井新地に足を踏み入れました。
大阪の新地の中で最もマニアックと思われる滝井は、現在は数軒しかないようで、実家の周辺とさして変わらぬ住宅地のなかに紛れ込むように存在しています。ある程度、検索で当たりをつけて行ったとは思いますが、飛田や松島のように「ここなんか雰囲気違う…」的な分かりやすさは皆無で、角を曲がっていきなり出くわした!という印象でした。例の料亭様式に、玄関から覗く赤い照明。このセットで、分かる人には分かるけど…という感じ。

DSC_0081 1枚だけ写真が残っていました。

そして先日のGW、久しぶりに新地スタンプラリーを更新しました。尼崎のかんなみ新地です。
思えば、尼崎という街とは、これまでまったく無縁に生きてきました。梅田から急行で約10分という近さではありますが、わざわざ遊びに行く場所でもなく、数年前に起きた尼崎事件の際、事件マニアの友達に「尼崎ってどんな街なの?」と尋ねられて、そういえば関西育ちなのに行ったことが無いな…と、軽く驚いたのでした。
尼崎は、わたしがまだ学生の頃、まことしやかに噂されていた「関西三大危険都市」の筆頭格で、もう1つは山科、そして不名誉にも、最後の1つはわが地元だったりしたのですが(苦笑)、最近その話を地元の友人にすると「いや、どう考えても隣のK市のほうがやばい」という答えが返ってきました。噂の真偽はともかく、尼崎にはそのようなイメージがあり、事件の報道を聞いた時は「やっぱ尼崎って危ない街なんやな…」と思ったものでした。しかし、それと同時に、尼崎の街の雰囲気って、実際どんなもんなんだろう…?と、興味がむくむくと沸き起こったのも事実でして、今回の帰省にてその思いを遂げるべく、街を歩いてみることにしたのです。どちらかというと、事件の起きた杭瀬をメインに歩いたのですが、今回はその話は割愛します。
というところで、前置きが長くなりましたが、かんなみ新地は、阪神尼崎駅前から続く大きな商店街を抜けたところにあります。
普通の住宅街に忽然と現れるので、心の準備ができておらず、軽く動揺してしまいました。ちょっと滝井新地を思い出しますが、滝井がもっと、住宅街の片隅にひっそりと在るのに対して、かんなみは、ザ・生活通路といった感じの人通りの多い場所に、昔の文化住宅を思わせるような2階建ての長屋が、ある一角にひしめき合っているのです。建物の大きさに対して室外機がやたらと多いのが、異彩を放っていました。部屋の数だけ室外機があるのでしょうが、だとすると、どんだけ狭い部屋なのか…。
目と鼻の先には小学校があり、まあ吉原だってホテル街のど真ん中に公園があるくらいですから別に驚くことでもないのですが、なんというか、下町の日常に普通に存在している感じがどうにも見慣れない光景で、軽く混乱をきたします。
飛田などと比べると、建物が狭小のため、女の子がけっこう間近に見えます。横目で見るに、化粧濃いめのギャルっぽい娘が多いですが、かわいさはなかなかハイレベルです。新地名物(?)玄関先のおばちゃんもちゃんといらっしゃいます。

 P5064758 決死の覚悟で(?)撮った遠景。

わりといつも、帰省しても梅田や心斎橋で漫然と買い物していることが多いのですが、次回は、残りの新地(今里・信太山)を制覇しようかな…とまた、あまり人から共感されなさそうな野望を抱いております。
そんなに新地が気になるなら、いっぺん働いて来いや!と叱責されそうですが、別に新地に限ったことではなく、行きにくい場所、異世界ほど気になるという旅人的法則(?)が働いているまでのことです。単純に、しらない街に行ってみたい気持ちの延長であり、ただし小心者ゆえ、ちら見だけで終わりたいわけです。化け物のような野次馬根性ですみません。。。
男の人は、お金を払えば入れるからぶっちゃけちょっと羨ましいです。女の人だと、働く以外は完全に部外者ですからね…でも、働くにはなかなかハードルが高いよね…。
余談ですが、ネット検索してたどり着いたどなたかのレポートに「新地の近くには必ず「スーパー玉出」がある」と書いてあって、確かに!と思いました。松島に関しては記憶の彼方だけど、他はみんなそうだったかも?

DSC_0080 今回は写真が少ないので、玉出さんにもご登場いただきました。

わたしは、地元ということでの贔屓以外の気持ちで大阪を特別視することはあまりなく、周囲からの強固な“大阪のイメージ"に戸惑うこともしばしばです(いちばん困るのは、大阪人はみんな面白い・明るいというイメージです!)。
しかし、今回の帰省でふと思ったのは、大阪って、独特のいかがわしさがあるなあ…ということでした。新地があるから、という単純な理由だけでなく、もっと街全体が持っている何かに対してそう思う。決して、けなしているわけではありませんから!(笑)
なんとなく、闇の濃さを感じさせるっていうんでしょうか。地元の方はそうでもないのですが、大阪市内なんかは、ふらふら歩いていると、ふと異界に迷い込みそうな感覚に囚われますし、街なかの雑居ビルを見ると、妖の小宇宙が広がっているんじゃないのかと思って胸がざわざわします。
高村薫の『李歐』や東野圭吾の『白夜行』で描かれる30~40年くらい前の大阪には特に、ある種の隠微さ・或いは淫靡さが漂っていて、当時の風景が残っているような雰囲気の場所に出くわすと、萌えに近いような興奮を覚えます。その妖しさの根拠をいったいどこに求めたらいいのか分からないのですけど、昔から部落や在日の問題を抱えているという背景がそうさせるのか、外から来た人には日本というよりアジアっぽいと感じられるらしい雰囲気のせいなのか、大都市のわりに奇妙に土着臭が色濃いのか…など、推測は尽きません。
まあこれも勝手な“大阪のイメージ"ですけどね…。色気を愛するわたくしとしては、このへん、もう少し探ってみたいところです。また大阪に帰ったら、異界を求めて街をさまよい歩きたいと思います。

TM NETWORKの30thが、先日(3/21、22)のファイナル公演にて幕を閉じました。
ファイナルのオープニングが、わたくしが死ぬほどヘビロテしている「Just Like Paradise」だったのには度肝を抜かれました(しかも新録! ただし、宇都宮さんの生歌はなかったんだけど…くうう)。そこからの葛城哲哉&阿部薫サポートによる「RHYTHM RED BEAT BLACK」、そして「Children of the New Century」という流れには鳥肌立ちっぱなし。ふおお、何このファイナルでの全とっかえ! 「RHYTHM RED BEAT BLACK」のサビで「RED!!」「BLACK!!」と会場一体となって手を振り上げるところで、早くもライブのクライマックスが来たような心持になりました。
その後はだんだんと2月の流れ(CAROL組曲中心)に戻り、若干のブツ切れ感も否めず、最初の盛り上がりをなかなか更新できませんでしたが、「Be Together」では天井からキラキラテープも降ってきて、再び絶頂を迎えました。この流れで「Dive Into Your Body」または「Self Contorol」だったら個人的に神展開でしたが、さすがに体力的に、そんなメドレーはないか…。まあ、ツアーのファイナルだと思えば、12月、1月と同じ流れになるのも別に何もおかしくはないんですけど、TMにはつい過剰な期待をかけてしまうんですよ(苦笑)。


とか云いつつも、レーザーと映像が多用されたステージは、実にTMらしい派手さと華やかさにあふれていて素敵でした。やっぱTMはキラキラしてナンボです☆
宇都宮さんは、病気もあってまた年を取った印象は否めないけれど、体の線や身のこなしにはやっぱり色気が宿っていてドキっとさせられるし、木根さんは安定のルックスと歌声と存在感、服と髪型もナチュラルにおしゃれで、なんかいい年の取り方だなあと感じました。
そして、いつもライブで涙が出そうになるのは、キーボード&シンセの要塞の中に立つ小室さん。御年56歳になった今でも、眩しく熱い光を浴び、宇宙的な機械群をアグレッシブに操るその姿は、ファンの目には、まごうかたなき“神”として映ります(笑)。年をいくつ取ろうとも、金色の夢を紡ぎ出し続ける蚕のような小室さんを見ていると、小室さんの無限にも見えるエネルギーに遠くからでも触れられると、いつも口を開けば自動的に「ニートになりたい…」という言葉が出てくるわたしも、もう少し頑張ろうかな…と思えてくるのです(ただしライブ時の一瞬)。あんなエネルギー、ほんと、どこから湧いてくるんだろう?? 情熱か、野心か、それとも才能がそうさせるのか…? あまり狂人というイメージはないけれど、常人ではない、とは思う。ファイナルの「Get Wild」前のTKソロは、ちょっと長すぎでは、 とか思っちゃいましたが、こんなパフォーマンスを延々1人舞台でやってのけるところに、小室さんの“常人でなさ”をひしひしと感じて、うれしくなってしまうのでした。
ともあれ、30thは12月、2月、3月と、1回ずつライブに行けまして、TMの3人の姿を拝み、音を体感することができて、ほんとうに幸せでした。さらに云うなら、2012年の武道館以来、3年にわたって楽しませていただきました。武道館のオープニングの「Fool on the Planet」は、今でも思い出すだけで体が震えてきますが、横浜アリーナのファイナルはこの曲で締められ、改めてこの、3年間の物語をしみじみと思い返させるのでした。
思えば、武道館の頃は誰もファン仲間がいなかったけれど、今では、チケットを取ってくれてライブに一緒に行ける友達もできました。これもTMがコンスタントに活動してくれたおかげですね。
デビューの4月21日に、サプライズライブとかあったりして!? なんてファン友達と勝手に盛り上がっていましたが、今のところそれはなさそうで、あとは、『PATi-PATi』『GB』のバックナンバーを収録した11,490円もする豪華本が届くのを待つばかりです。


先月、BSで放送された『名盤ドキュメント』の『CAROL』特集についても言及したいと思います。
同アルバムのマスターテープをメンバーと、作詞家の小室みつ子さん、ミキサーの伊東俊郎さんが解説するという内容で、わたしの家ではBSが観られないので、友達に録画してもらって、1カ月遅れの視聴になりましたが、これが実にいい番組でした。
わたしは何だかんだで『CAROL』がいちばん好きなアルバムなんです。その理由は例えば、コンセプトとメディア展開の面白さ、天才的な感性と職人的な技が同じ高いレベルで拮抗していること、宇都宮さんの声が若さと落ち着きと男っぽさの絶妙なバランスを保っていること、バラードでない木根曲が2曲も入っていてしかも秀逸なこと、エレプロ以来?の小室&木根合作という最強の組み合わせによるバラード(「Still Love Her」ですね)、小室みつ子さんのワーディングの巧みさ、それにも負けていない小室さんの詞……とまあ、いろいろあるのですが、番組を見て改めて、好きな理由が分かった気がしました。
『CAROL』は、いつ聴いても「あれ? こんな音も入ってたんだ!」という発見があります。インストだけ全部聴きたいくらい。それもそのはずで、ボーカルやコーラスも含め機械のように正確なピッチの生音が、32トラックもの数、丁寧に丁寧に重ねられているのですね。木根さんが何度か「(音が)あったかいよねえ」としみじみ呟いていましたが、ほんとうにおっしゃる通りで、緻密だけど温かみあふれる音。まるで秘伝の出汁のような深みであり、重ねれば重ねるほど透明感が増していく極上のファンデーション(って、あるのかしら?)のようです。なんか、当たり前かもしれないけれど、全力でちゃんと作られたものというのは、いつまででも人の心に感動を呼び起こさせられるもんなんだな、それが傑作たる所以なんだなと、たいへん凡庸な感想を抱いた次第です。
アルバムの曲順と、作られた順が同じという話も新鮮でした。オープニング曲「A Day In The Girl's Life」は、いつ聞いても鳥肌とともに高揚感が湧き起こってくる、希望をはらんだ夜明けのような、まさにこれぞオープニング! という音色なんですが、オープニングの和音がひらめいた瞬間がまさにアルバムのスタートであったということ。そして、ラストの「Still Love Her」は、ロンドンレコーディングの終わりに作られた最後の曲と知って、とても腑に落ちるものがありました。アルバムの最後という意味だけでない寂しさを感じさせるのは、そのときの“終わり”の空気がぎゅっと詰め込まれているからなんですね。当時、ロンドンに住んでいた小室さんは、「電気料金を払ってからスタジオに行ってた」なんてエピソードを披露しており(当時住んでいた家の映像付き!)、そのリアルな感じにキュン死しそうになります。また、小室みつ子さんもロンドンに呼ばれ、現地で作詞したという話はよく知られているけれど、みんなで同じ場所と時間を共有して作られた作品だというのがいいですよね。そういうところがまた、何度聴いても飽きない奥行き感を醸成しているのかもしれません。


「時代を超え ここに戻ってきて くれてありがとう」
CAROL組曲のラストに、こんな言葉が流れた(2月も流れていましたが)とき、なんとも温かい感情が湧き起ってきて、ああ、昔からのFANKSの方々は、どんな気持ちでこのメッセージを受け取るのだろう……と想像して胸が熱くなりました。わたしも、最初からTMのファンでいたかったな、という悔しさにも似た思いとともに……。
しかし、わたしもある意味では、時代を超えてTMにたどり着いた謎のファン(笑。未だにTMファンだというと、TMRのことだと思われたりして…)なわけで、時代を超える音を小室さんはずっと作ってきて、今になってわたしもようやく受け止めることができた。それはそれで感慨深いものがあります。
しかしなあ、今回もライブの直前までは仕事に忙殺されていたせいもあって、ほとんど彼らのことは忘れていたのに、ライブ一発であっという間に陥落してしまいました。また本棚の奥からずるずると過去のファンブックなぞ引きずり出して執拗に再読しております。人間って、ひとつの対象に何度でも恋に落ちられるものなんですねえ(笑)。最も、男闘呼組愛はその後、まだ復活の兆しがありませんけど……。


過去にばかり目を向けるのもアレなので、最近は、ツイッターの「てっち衣装部」さんが出している『月刊TECCI』に注目しております。テレビや雑誌、ライブで露出する小室さんの衣装を、スナイパーのように特定するという趣旨のファンジンですが、服好き・TM好きには堪らない内容! 商売柄とはいえ、小室さんおしゃれだもんね! 最近、幅広レンズの眼鏡が欲しいのでどうせなら、小室さんと一緒の型にしたいなあと思ったらDior HOMMEだそうで、気軽に買えないわあ……。でも、この眼鏡をかけたら、いろいろと勇気が湧いてきそうな気がするの!
こちらでは、いまの衣装をレポートしてくださっていますが、個人的には、80年代への興味も相まって、昔の衣装も知りたい!(結局、過去が気になるのね……) いや、知ってどうなるものでもないんですけど、超初期のファンブック『EARTH』のアンケートで、小室さんが「HIS MISS」のコートを着ていると回答していまして、え、HIS MISSってレディースのブランドじゃなかったっけ? 確かに当時の写真とかレディースっぽい服を着てるように見えるけど他にどんなブランドを着てたんだろう? とか、そういうどーでもいいことが眠れないほど気になるのも楽しいよね! 「Dive Into Your Body」のときの小室さんの王子様シャツが欲しいです。

引っ越しをしたいのですが、部屋の荷物のことを考えると絶望的な気持ちになり、しかしこのまま物に埋もれて死ぬわけにもいかないのでなんとかせねばなあとちまちま片付けてはいるものの、賽の河原の子どものように途方に暮れて日々が過ぎています。
とっくの昔に期間が終わった電化製品の保証書や説明書などがあることにもウンザリしますが、そんなものは古紙の日に捨てればいい話です。経年劣化によって黄ばんだポーチやいつ買ったのか思い出せない化粧品なんかもまあ、捨ててもよいでしょう。
問題は、本、そして服です。
わたしの部屋の大部分は本と服(服飾品)で占められており、まるで倉庫の中に住んでいるような有様です。近年は開き直って「物にすぐ手が届くコックピット的便利さ」と解釈していましたが、いざ引っ越しを考えているいまは、とてもそう前向きには考えられません。
わたしはこれまで、自分にとって大切な本と服を売ることは、魂を売ること…とまでは云いませんが、かなりハードルの高い行為だと思い込んでいました(それでも服は一度、旅行資金に困って売り、本は二度、一箱古本市に出たときに売っているのですがね)。その心の枷を取り除くのもひと苦労ですが、いざ踏み出そうとすると、売るための選別、梱包、引き取りの予約を入れる…といったステップが途方もなく面倒に思われ、そして買い叩かれたときの精神的疲労は如何ばかりか、などと考えているうちに、「今日はもう寝よう」という結論に達してしまうのでした。
本についてはkindleのおかげで、増殖のスピードは緩やかになったものの、また、服についても職場が原宿から離れたことで少しはマシになったような気はするものの(こっちは気のせいかも…)、“増えている”という事実は変わりません。ということは、売るか捨てるかしない限り、減ることはまずないわけです。こんなの、幼児でもわかる算数です。
『封印されたアダルトビデオ』の隣に『気楽なさとり方 般若心経の巻』が並んでいる様を見ただけでも、己の頭の中の混乱ぶりがうかがえます。さらに、最近は仕事上、凄まじい勢いで増殖している第3のジャンルもあり、もはや止まらない列車に乗っているかのようです。

 

最近、遅まきながらソローの『森の生活』を読みまして、いわゆる“片付け本”よりも片付けのモチベーションを刺激されました(最も、下巻は森の描写が大半を占めており、哲学的なことは上巻に集中していますが)。
物にときめき、欲しくなる気持ちはなかなか抑えがたい一方で、常々この、増殖するだけして収拾がつかなくなる物との付き合い方、どうせ永遠には持てない物を後生大事にすることの虚しさ、物の管理とメンテナンスによって人生の大部分を支配されていること…などに疑問を感じてはおり、それは絶えず、心の片隅でアラートとして鳴り続けてはいるのです。そのために貯金ができていないことよりも、いまは、物に縛られ支配されていること自体が問題だと思い始めています。
単に引っ越しの足かせになるというだけでなく、物を持ちすぎていることは人生の自由を少なからず奪っており、物の多さはそのまま人生を無駄に複雑にこんがらがらせている要因でもある。
ただ、いまある物は、それなりの理由があってわたしの手元にあるものですから、ブルドーザーのような馬力で捨て去るのはあまりに忍びない。それらを使い果たすまで何も買わないという方法がほんとうはいちばんいいのです。ただ、これまでのところ物欲のスピードが消化のピードをはるかに上回っているため、無間地獄のように物が増え続けているというわけさ。
物を減らしたいということもそうですが、物だけでなく、あらゆることをもっと選別し、単純化したいというのが切なる願いであり、いまの自分にとって最も必要なことのように思います。体のダイエットの経験がほとんどないため、その苦しみをほんとうには理解できていませんが、きっと、生活や精神のダイエットも、かなりの忍耐と刻苦を伴うことでしょう。悪習慣に苦しめられていても、それを断ち切る苦しみを乗り越える方がたぶん苦しいのです。それでも、克服できれば人生に新しい光が射すはず。
インプットしたい物や情報はいろいろあるけれど、どこかでセーブしないと、腹がはち切れてもまだ食べなければいけない罰ゲームのような苦しみから逃れられません。そして、このままでは、人生が消費と労働と雑事に食い荒らされかねません。消費と労働と雑事以外にやるべきことがあるかどうかはともかく、それを考えるためだけでも、立ち止まりたい。
例えばぜんぜん更新できないブログや、いつまでたっても完結しない旅行記を書くということは、世の中的には何の役にも立たないし生活の糧になるわけでもないけれど、それができていないことが、わたしの心に少なからず暗い影を落としていて、他のことをやめて、そこに集中できればもっと気分が楽になるのに…と思います。“他のこと”には労働もしっかり含まれていて、むしろ、労働が人生の邪魔をしているのではないかと、わりと本末転倒?なことをよく思います。いま、ドラマ『デート』で高等遊民を名乗るニートが主人公になっていますが、わたしの理想もつまるところは高等遊民…というかニートなのかもしれません。労働も遊びも両方フル回転!なんていうのは、わたしのような低スペックの人間には所詮無理。だったら、もうどちらかに絞った方がいいのではないか、そうするとどう考えても遊びの方を選ぶよね…って、そりゃ危険思想ですか(苦笑)。いや、労働をそこまで憎んでいるわけじゃないんですけどね。労働が週4日くらいになったらたぶん、もうちょっと積極的に愛せる気がします。それに、例えば遊びやイベントに誘われたり、頼みごとをされたり、電話がかかってきたりしたとき、労働が暮らしの大半を占めているとそういうのを一瞬「めんどくさいな…」って思ってしまう自分がいるわけです。そんなふうに、ほんとうは思いたくない。心情的には、労働よりそっちの方が大事なのに、極端なときは「もう誰もわたしに構わないでくれたらいいのに…」とまで思い詰める。そんな人生って、何なの?それこそ本末転倒ですよね。まあ、すべての付き合いに全力投球する必要もないんだけどさ…。
「生活を単純化するにつれて、宇宙の法則は以前ほど複雑には思われなくなり、孤独は孤独でなく、貧乏は貧乏でなく、弱点は弱点でなくなるだろう」(ソロー)
わたしが欲しいものは結局、ひと言で集約すると「自由」であり、自由とは、単純さによって生み出されるものなのではないかと、今さらながら思う次第です。なんだかいつにもまして支離滅裂な内容ですが、久々に書いたブログということでお許しを…。

何だかんだ環境に振り回された1年が終わり、年の瀬は凪のように静かに過ぎていきました。
実家や田舎の祖父母宅にいると、ただ食べて、寝て、会話して、読書して、テレビを見て、気が向いたら外出して、友達と会って…というニートのような生活サイクルになり、ふつふつとニート生活への郷愁が湧き起ってきます。やはりわたしは、ニート、そうでなければせめて種田山頭火ばりの旅暮らしが向いております…。
「ああ、働きたくない…」「もっと休みたい…」という言葉が心の泉から無数に湧き出、実家ライフから出ていくことは、冬の極寒の朝に布団から出る瞬間の100倍以上つらく感じますが、時は決して止まることなく(特に幸せな時は!)、相変わらず眠れない夜行バスで東京に戻り、仮眠を取って出勤。また変わらぬ日常が始まりました。

 

怠惰な暮らしのなかで今年の目標を立てる暇も気もないまま新年が始まってしまいましたが、ひとつだけ決めたことがあります。それは、目標というか基本姿勢として、“機嫌のいい人になろう”ということです。
ネガティブの権化のようなわたくしが云っても説得力ゼロですけれども、無理矢理ポジティブになろうということではなくて、また本当にいい人になろうというのでもなくて(なれよ…)、単に「機嫌がよさそう」であればいいのです。
不機嫌な状態の人と接した時に受けるダメージやストレスは、意外に大きいものです。電話の応対ひとつとっても、そういう人に当たると何だか今日1日不幸が起こりそうな予感がしてくるし(大げさ…)、話しかけるのも憚られるようなオーラを感じると、わたしは何か悪いことでもしたのだろうか、生きていていいのだろうか…と余計なことでしばらく悩んでしまいます。まさに、♪さ~わるものみな 傷つけた~♪ です。
翻って、自分が不機嫌な時は、たいがい自己嫌悪のち自滅というパターンが多い。そりゃまあそうですね、不機嫌な状態の人には近寄りたくないですもの。例え困っていたとしても皆遠巻きにするか、無視するかですから、手助けが真剣に欲しい時は損します。
まあわたしとていつも疲れて不機嫌なわけではないのですが、昔からウォーズマン似と云われるだけあって表情に乏しく(病気なのかも…)、放っておくと不機嫌どころか怒っているふうに見られがちなので、今年は気をつけたいですね…。しかも、しょっちゅう疲れただの強風にイライラするだのといったツイートを灯篭流しの如く流しているので、バーチャルの世界ですらも「なんかあんまり話しかけたくないな…」と思われていることでしょう。
根暗で、礼儀知らずで、愛想も可愛げもない、そして確かにいつも疲れている(笑)わたしが、なんとか到達できそうな理想の姿、それが“機嫌のいい人”なのです。そこまでは確立できずとも、せめて敷居の低い人、とか、気を遣わなくていい人、怖くない人、くらいにはなりたいと思います。
そう云えば、昔、一緒に旅をしたSおねえさん(ちょいちょい登場しますね)は、見るからにご機嫌な人でした。「インドにいると、ご機嫌が止まらなくなるんですよ~」と、ニコニコ話していましたっけね。
その時わたしは、心の中で「わたしだったら、不機嫌が止まらないだろう…」といじましくつぶやいたものでしたが、今思えば、あの人が最強に見えたのは、聖人だからとかいい人だからとかではなく、いつもご機嫌だったからなのかもなあ。

 

年末はいろいろ本を読んだんですけど、このところ本を選ぶ指針にしている「考えるための書評集」というサイトで強力プッシュしていた『楽天主義セラピー』という本がとてもよかったです。
曰く、“思考は選択できる”。思考は所詮は思考でしかなく、妄想と紙一重とも云えるくらいの頼りないもので、放っておけば勝手に流れていく。つまり、根拠のない不安や役に立たない怒りに苛まれた時は、「あ、また来たな」くらいのスタンスで、ムーディー勝山のように受け流すことが幸せに生きる秘訣だということでした。例え不幸な状況そのものは避けられなかったとしても、その時どんな思考を選択するかという主導権は自分にある。それなら、気分がよくなるも悪くなるも、ある程度は選べるということです。ポジティブ・シンキングと何が違うのか? と一瞬疑ってしまいますが、ポジティブになるのではなく、ネガティブから遠ざかる・固執しないという点が違うのでしょう。わざわざ自分から不幸に陥る必要はないということですね。
だから、嫌なことがあっても機嫌よさそうにしていた方がたぶんトクで、それが、自分も他人も不幸にしないひとつの方法なのかな、と思ったりします。時には怒ったり泣いたりすることも必要ですけど、それはここぞという時の懐刀にしておき、普段は「あの人、何も考えて無さそうだね」と思われるくらいでちょうどいいのかもしれません。

あまり働きたくないという思いから清貧を志しながらも、日々挫折しているわたしに、またしても買い物の口実を与える番組が放送されてしまいました。
NHKの『地球イチバン』で特集された、コンゴの“サプール”。SNS界隈でも盛り上がっていたので、ご覧になった方も多いのではないでしょうか?
サプール(sapeur)とは、ざっくり説明すると、コンゴ共和国およびコンゴ民主主義共和国のファッショニスタ(男子)のこと(番組ではコンゴ共和国のサプールを取材していました)。正確には、フランス語で「おしゃれで優雅な紳士たち」という言葉の略ということになります。
コンゴといえば、わたしが一方的に敬愛を捧げている藤永茂先生が、世界の仕組みを知るうえで最も重要視している地域。世界最貧国のひとつといわれ、政情は常に不安定で、旅人にとっては非常にアクセスしづらい場所でもあります。
そんなコンゴのイメージを払拭する“おしゃれ男子”というキーワード。コンゴのみならず、アフリカとファッションというものが、民族衣装以外ではどうにも結びつきませんでしたが…。

かのポール・スミスがサプールからインスピレーションを受け、コレクションのモチーフにしたというだけあって、モチーフどころかそのままショーに出てもおかしくないほどの卓越した着こなし方には、一度見たら忘れられない強烈なインパクトがあります。
月給の平均が3万円という国で生活しながらブランド物を買い、給料の半分を服に費やす彼ら。センスのよさは到底及ばねど、金の使い方に関してはとても親近感が湧きます(笑)。
前半で密着していたサプール兄さんの、簡素な住まいに足の踏み場もないほど服が収納された4畳半、給料の8年分=300万円を費やしたという大量の服、買い物袋に詰め込まれた大量のネクタイ、「ネクタイは、250本くらいかな…いや、もっとあるな」というコメント……嗚呼、いちいち既視感ありまくりです。わたしもソックスとタイツを合わせたら250足くらいあるかもしれないです! ベルトやらマフラーはノベルティでもらえるペラペラの布の袋にぎゅうぎゅう押し込んでますよ! 長屋のような家に住んでいるところも同じですし!
せっかく早く起きても、何を着ていこうか悩み始めて遅刻寸前、みたいなことが数えきれないほどあったり、誰も見ちゃーいないのにアクセサリーが足りないとか靴下がしっくりこないとか、それでもタイムリミットになったら昼休みに買い出しに出てしまうとか、服に振り回されている自分は超馬鹿みたいだけど、サプールたちの美しくもワクワクするような楽しい着こなしを見ていると、たかが靴下の色にとことんこだわって、悩んでもいいんだな~と思えてきます。
明るく派手な色を使いながらもガチャガチャして見えないのは、“コーディネートに使える色は3色まで”という鉄則があるから。とにかく、配色が絶妙に巧くてシビレます。こんなふうに色を使えたら気持ちいいだろうなあ…。 しかも、黒人は頭は小さいし、手足は長いし、体格はいいしで、服がサマになるうえ、黒い肌に鮮やかな色がマッチして、実に見栄えがいい。
テレビに出ていたサプールの着こなしはどれも、とっても素敵だったのですが、なかでもわたしの目に焼き付いているのは、キルトスカートの着こなし! タータンチェックをこんなふうに優雅でポップに着こなせるなんて、センスよすぎです。ハイソックスも小さなボンボリが着いていたり、幾何学模様だったりして、「マルコモンド」か「キワンダ」あたりで出していそう。サプールのセレクトショップとか出してくれないかな、ハアハア…。


彼らは、娯楽の少ないコンゴでは、一種のスターのような存在なのだそうです。
モデルやストリートスナップのカリスマ、或いはパフォーマーのようでもあるし、土日限定というスタイルは休日に原宿駅前にいるロリータやレイヤーの方々にも通じるものがありますが、舗装もされていない道を、シワひとつないスーツとピカピカの靴で闊歩する姿、蚊が飛びまくっている屋外のカフェ&バーでおしゃれを競い合う姿には、他の何かとは比べられない迫力とオリジナリティがあります。
環境的に恵まれているわけでもない、ファッション業界にいるプロでもない(一人、スタイリストのサプールもいましたが)彼らが、‟たかが服”に己の生き方を託している。日々を生きることさえたいへんそうな国において、生存という意味では衣食住において最もどうでもいいはずの‟衣”に。そういう、一見無駄とも思えるものに生き方や人格を投影させるからこそ、美学が生まれるのかもしれません。

着飾るとは、自分に誇りを持つこと。着飾るとは、良心的になること。着飾るとは、自由であること。
登場したサプールたちの言葉を集約すると、そういうことになるでしょうか。
あるサプールが「おしゃれをすると幸福感があって、良心的になれる」と云っていましたが、自分ができているかはともかく、その心の流れはよくわかる。きれいな服、かわいい服を着ていると幸せだから、その気分を台無しにするような振る舞いはしたくないなと思うもんね。フリフリの服に鬼の形相ってのはやっぱり見苦しいし…。
「いい服はいい習慣を生み、それで人はまた成長できるんだ」と、また別のサプールは云っていました。うう、いい言葉だな~。わたしは、服の量だけはサプールも顔負けなくらい所有しているけれど、習慣や人格に昇華しているとはとても云いがたく、それどころか、家計を常に圧迫している服飾というもの全般に対して、若干、逆恨みのような気分になることもあるくらいで、何だか、家にある服たちがとても気の毒になってきました…。
今後は、服がくれる幸福をもっと噛みしめて、サプールのように本当のおしゃれ人になれたらいいなと思います。

PC233958 直近の買い物、くまのぬいぐるみネックレス。会社に着けて行ったことはまだありません。。。

もはや告知というよりは備忘録的に。
半年に一度のライブの季節がやって参りました。何だかんだで続いてますね、バンド活動。最も、ライブが終わった瞬間キーボードを仕舞ってしまうため、腕前は一向に上達していませんが…。
今回は、いつものバンド・坊主丸坊主から分派しまして、昨年X-JAPANのコピーをやったちーにーJAPANというバンドで、QUEENのコピーをやります。

毎度、バンド内で一人だけ楽器の練習以上に情熱を注いでいる衣装は、あれこれ悩んだあげく、手持ちのMarbleの服に小物の買い足しで、仮面舞踏会風ゴスロリを予定しております。王道のロリータ&ゴスロリ系は久々かも? 珍しく出費少なめですが、直前でやっぱり物足りなくなって、金髪のウィッグなどを買ってしまいそうな悪寒もしています。ドラッグと同じく(って、やったことはないけど)、コスプレ衣装もだんだん物足りなくなって過激な方向に走りたくなるから怖いですね…。
そういえば、これを書きながらテレビをつけていましたら、御年64歳のいがらしゆみこ先生が、超ブリブリの衣装に金髪で登場されていました。「一生乙女でいたい(はぁと)」とにこやかに宣言する、ハリセンボン春奈にそっくりのお姿に、大いに勇気をいただいた次第です。

ということで、いがらし先生ほどではないですが、30代後半のゴスロリ妖怪を見たいという方はぜひ遊びにきてください♪

日時:12月6日(土)
場所:秋葉原・リボレ2
http://www.studio-revole.com/access/index.php

料金:1,500円(飲み放題、おみやげ付き)
出演バンド:u-san band、徳ちゃんを囲む会、坊主丸坊主、日本代表、ちーにーJAPAN

16:10 オープン
16:30 スタート
16:30~17:00 u-san band
17:10~17:40 ちーにーJAPAN  ←今回の参加バンド
17:50~18:20 徳ちゃんを囲む会
18:30~19:00 坊主丸坊主
19:10~19:40 日本代表