[東日本大震災]東京都液状化マップfinal①…築地移転問題に纏わる虚偽 | honey-spider presents 『胎児が密猟する時』

[東日本大震災]東京都液状化マップfinal①…築地移転問題に纏わる虚偽

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※参考(必見)


東京の液状化予測図
http://doboku.metro.tokyo.jp/start/03-jyouhou/ekijyouka/index.htm

神奈川県ハザードマップ
http://www.あんしん宅地.jp/kanagawa/Ph1_map/hazardmap.html
横浜市液状化マップ
http://www.city.yokohama.jp/me/shobo/kikikanri/ekijouka_map/
千葉県液状化マップ
http://www.bousai.pref.chiba.lg.jp/portal/05_sonae/58_hazard/jsn/map_jsn.html



こちら特報部 築地移転先、地震で弱点露呈 豊洲が液状化

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2011031702000038.html

(東京新聞 2011年3月17日)






築地市場の移転が予定されている東京都江東区の豊洲地区が、大地震の影響で液状化に見舞われている。市場移転経費を含む都の新年度関連予算案は先日、都議会で成立した。だが、土壌や地下水が有害物質で高濃度に汚染された旧東京ガス跡地に「都民の台所」を造ることに反対の声は根強い。四月の都知事選の争点にも再浮上する中、液状化現象は移転計画も流動化させるのか。 (出田阿生、小国智宏)


築地市場(中央区)から約二キロ先にある豊洲地区。東京ガスが一九七六年まで石炭を原料に都市ガスを製造していた工場跡地で、今は更地だ。その仲を東京臨海新交通「ゆりかもめ」が走る。東日本大震災で東京は震度5.地震後、乗り降りの客がいない「市場前」駅周辺の市場移転予定地を訪ねた。三街区の広さは計四十ヘクタールと、築地の倍近い。まず晴海運河に面した「6街区」へ。草ぼうぼうの空き地は埋め立て地だ。あちこちに水たまりがあり、油が流れた虹色の皮膜が見える。月面のクレーターのように、なだらかに盛り上がっている砂山も点在する。大きさはさまざまで、表面には水が流れたような筋もついている。色は真っ黒。水を含んで泥のようだが、乾くとさらさらと砂鉄のように細かい。埋め立てに用いたのは、海から浚渫(しゅんせつ)した土砂で、地中から表に噴き出していた。「5街区」も同じ状況だ。


運河沿いの舗装道路はへこんだり、亀裂が走っていたり。アスファルト舗装が二十センチほど浮き上がっている場所も。液状化とは地下水位が高く、水分を含んだ砂質土が地震の振動により液体状で動く現象で、湾岸地域の埋め立て地や三角州などで起きやすい。その結果、地表に砂質土が泥状に噴き出たり、舗装が壊れたり、比重の軽い地中のマンホールが浮き上がったりする。水道管が破裂し、建物が傾く被害もある。土壌汚染が専門の畑明郎大阪市立大特認教授は「ボーリング調査で掘削してみないと分からないが、おそらく液状化現象。実際に見ていないが、クレーター状の泥は地中から噴き上がったものだろう。舗装道路の陥没や亀裂は、液状化で地盤が落下したときに生じることが多い」と話す。ガス工場跡地の汚染は以前から指摘され、都が二〇〇七年十月に発表した追加調査でも、土壌から環境基準の千六百倍のベンゼン、三十三倍のシアンなどの有害物質が検出された。いずれもガスの製造で触媒として使われたヒ素の副産物だ。


同じ江東区では、ほかに十三カ所で液状化が確認され、特に埋め立て地の新木場地区で大量の土砂が道路に噴き出した。東京湾岸の千葉県浦安市の被害は大きく、市内の四分の三を占める埋め立て地のほぼ全域で発生。水道は断水したままで、給水車と仮設トイレでしのぐ生活が続く。豊洲への市場移転を進める石原慎太郎都知事が「古い、狭い、危ないなあ」と言った築地市場はどうだったのか。場内のマグロ専門仲卸業者野末誠さんは「びくともしなかった。うちの店だって発泡スチロールひとつ落ちてねえよ」と話す。「今の市場は関東大震災にも耐えた。豊洲は土壌汚染に続き、地盤が弱いのも分かった。そんなところへ移転するのは怖い。築地は補強工事をすれば持つ。もっと時間をかけて検討してほしい」


豊洲での液状化は広範囲に発生した可能性が高い。都は悲惨防止のため青いシートで覆い、土のうを置いて保護する。都中央卸売市場の環境対策担当者は「確かに、砂が噴き上がる噴砂という現象は発生した。まだ調査中で、何カ所で発生しているかは分からない。規模の大きなものではなく、液状化とまでいえるかどうか」と話す。さらに、地盤が水平に動く側方流動という現象もあるが「既に護岸工事が施され、今回の地震でも側方流動は確認されていない」と言い切る。都は市場移転を進めるに当たり、土壌汚染対策を行う予定だ。深さ二メートルの土をきれいな土と入れ替え、その上に厚さ二.五メートルの土を盛り、アスファルト舗装をするというものだ。費用は五百八十六億円もかける。液状化対策も行うが、主に二つの広報を採用する。一つは、圧力をかけた砂の柱を打ち込んで固める「砂杭締め固め工法」。もうひとつは、固化剤で地盤を格子状に固める「固化工法」だ。地表から五~十メートルの深さにある有楽町層と呼ばれる不透水層まで施す方針。都の担当者は「砂や水が不透水層の下から突き抜けて、盛り土の上まで出てくることはあり得ない」と説明する。


しかし、豊洲の危険性を追求してきた一級建築士の水谷(みずのや)和子さんは「いずれの工法も、液状化対策としては不十分」と指摘する。「砂杭工法は、砂が固まっている最初のうちは効果があるが、時間がたつにつれて砂は緩んでくる。固化工法は液状化を想定する不透水の下まで施さないと効果がない。現場の土は油分を含んでいて、セメントで固める固化け工法には適していない」 元通産省地質調査所主任研究官で「日本環境学会」元副会長の坂巻幸雄氏も「築地は地盤が弱く、震度5程度でも液状化は起きるとみていた。首都直下型の地震が起きれば、こんなものではないだろう」と続ける。「都の液状化対策は、頭の中で考えただけの教科書的な手法。具体的な詳しい工法は、明らかにされておらず、実際に地震が起きたら通用するかどうかはまったく分からない」


不透水層までしか液状化対策をしないことについて、坂巻氏は「都は不透水層の下の深い地点の汚染を十分の調査していない。阪神大震災では液状化で二十メートル以上の深さから地下水が噴き上がった例が報告。十メートル程度の深さしか対策を施していないのでは、安心できない」と懸念する。水谷さんも「不透水層の下には砂の層があり、汚染物質の溶けた地下水が流れている。この砂が噴き上げてくる可能性が否定できない」。都が委託したコンサルタント会社がまとめた地盤解析報告書では、不透水層の有楽町層でも液状化の可能性がある地点があることを指摘する。水谷さんは「この報告書は二〇〇六年にまとめられていたのに、公表されたのは〇九年。土壌汚染対策をまとめた都の技術会議でも報告書の内容が議論された形跡はない」と、都の隠ぺい体質を批判する。坂巻氏は福島第一原発の事故を引き合いに強調した。「原発の惨事は技術を過信して突き進み、起きた。あまりに自然の恐ろしさを軽視している。都は、液状化の実態を公表して、その上で豊洲の安全性についてオープンに議論をすべきだ」




管理人より。


…明日に迫った東京都知事選投票日を前に、ギリギリまで争点である豊洲液状化問題について、時間が許す限り情報を集めて考えてみた。


今後4年間の管理人自らの生活基盤に関わる問題なのは当然なのだが、新銀行東京やオリンピック誘致での失策も含め、現在の都知事が交代するのが最良の選択なのかどうなのか、自分の貴重なる一票が東京都民を地獄に追いやる結果になるのかそうでないのか…これらが最重要課題であることを前提としたつもりだ。




以下、「築地移転反対派」が得意とする論拠を箇条書きし、これに対して反論するQA形式とする。




● 石原都知事、ならびに東京都は築地移転に対し、もっと慎重な論議を重ねることに時間を費やすべきだ!


…いつまでこんな進展もさせなければ、ハナから移転などする気もない業突張りな仲売人とこれに加担する共産党勢力のために、貴重な時間と税金を浪費させなくてはならないのか?そもそも反対派が目の敵にする石原慎太郎が、オリンピック誘致の為に築地を潰そうとしているなどというセオリーは成り立ちませんよ。



…さてここから先は、中村直人サンという方がご自身のHPでまとめた「築地移転計画の歴史」を、あまりに膨大なので、ワタクシこと管理人がよりわかりやすくしたいためダイジェスト化した内容である。


初めに言っておくが、築地移転は石原慎太郎が言い出したことでも無ければ、一部の「"築地移転反対派"に反対」している勢力の言う小渕元首相や青島幸男・元都知事時代からの話ですら無い。もっと前である。


このある意味不毛な歴史は、何と1961年(昭和36年)、池田勇人内閣総理大臣・東龍太郎都知事の時代から始まるのです。



1961年(昭和36年)12月



東京都により首都圏整備10か年計画の一環としての卸売市場10カ年計画がブチあげられました。


「10カ年計画中に造成埋立地に60万m2の用地買収を予定。可能な限り集中させる」と謳われていたのは、築地がひとえに関東大震災後に、日本橋の魚河岸の一時的に移転するためのいち埋立地に過ぎず、いずれは正式な移転が前提、だったのです。


関東大震災直後に実は芝浦に仮設市場が設けられたのですが、この年(1923年/大正12年)12月には交通の便が悪く狭い等々の理由から、東京市が海軍省から築地の用地の一部を借り、中央卸売市場開設までの暫定市場として建設された市設魚市場として芝浦から移転された…これが現在の築地市場の始まりです。



1966年(昭和41年)


大井埠頭の市場予定地の位置と面積がほぼ決定しました。



1967年(昭和42年)


この年の4月23日より、都知事は東龍太郎から美濃部亮吉に交代しています。


7月


中央卸売市場審議会「東京および大阪並びにこれら周辺地域における今後の中央卸売市場の施設の整備および運営のあり方について」答申。その内容とは以下の通り。



新市場について国と都は協力して、


①青果物中心の市場

②水産物中心の市場

③青果物および水産物を中心とする総合市場


以上三様の場合を想定し早急に総合的な調査の実施と計画の立案を行うこと。
なお築地、神田市場等の存続、今後のあり方については慎重に検討を進める必要がある。




1969年(昭和44年)


3月


農林省「大井市場対策協議会」を設置。昭和42年7月の中央卸売市場審議会の答申を受けて協議会が農林省内に設置された。協議会では、


①大井市場の性格と首都圏流通における位置づけ

②市場配置のあり方と市場関連公共施設の整備計画
③場内および場外関連施設の配置のあり方

④都市計画道路等の整備とこれに伴う搬出入条件

⑤商業機能の調整と業者収容の基本方針


…などを検討事項とした。


8月


東京都「大井市場プロジェクト・チーム」を編成する。


①大井市場専門部会の設置

②中央市場の意義

③生鮮食品流通に占める中央市場の地位

④中央市場再配置の基本構想、施設設置を検討。




1971年(昭和46年)


大井埠頭の埋め立てが完了。


しかし何としたことか…美濃部都政の卸売市場に対する無関心から埋立地は放置されたまま、大井埠頭はいつのまにか野鳥の楽園と化してしまいました。これが現在の「東京港野鳥公園」の始まりなんです。


3月


当時の横尾築地市場長が、都議会予算特別委員会において大井市場建設スケジュールを発表。計画内容は以下の通り。


47年度・基本計画および諸問題の解決、
49年度・基本設計、業者収容方針の策定、
50年度・実施設計、
51~55年度・建設工事



東京都「大井市場基本計画案」作成。


総合卸売市場として①水産物1800㌧②青果2200㌧③果実2000㌧(1日当たり)の扱い量を想定。



1972年(昭和47)年


内閣総理大臣はかの田中角栄です。「東京港野鳥公園」創始者(笑)・美濃部亮吉は都知事として既に2期目に入っています。



1月


農水省、第一次中央卸売市場整備計画(昭和46年度~55年度)の公表。

築地市場‥‥大井地区の整備を前提として必要な整備を行う。
神田市場‥‥大井地区の整備を前提とし最小限の整備を行う。
大井市場‥‥既設市場の過密に対応し都市機能の向上を目的に整備を行う。


7月25日


「小池しぜんの子」が発足する。「小池しぜんの子」は大田区上池台地区の子供らのための自然観察会を行なう目的で主婦の白木幸子がつくった。後に、「日本野鳥の会」とともに、大井市場問題に大きな影響をあたえる中心的存在となる。白木幸子は後の芥川賞作家・加藤幸子の本名。



1973年(昭和48)年



「大井埋立自然観察会」(堀越保二・増田直也・長谷川克弘)美濃部都知事に「野鳥保護に関する陳情」。


埋立地内の窪地にできた「バンの池」に巣食っていたバンを守るために残土工事中止を要請。


…「バン」なんて水鳥の為に、こうして貴重な築地の移転先が潰される胚芽が芽生えた訳です。まだまだ世間はサヨクムードの方が正義で、都民より野生動物なんて余裕が許された時代でした。。




1975年(昭和50年)



首相は三木武夫。「都民よりバンの味方」であった美濃部亮吉は既に都知事第3期目であります。


9月16日


大井埠頭に発生した渡り鳥の飛来地を、東京都の海上公園計画のなかで自然観察園として残してほしいという「大田区地先渡り鳥飛来地に関する請願」(請願者・「小池しぜんの子」世話人・加藤幸子)が、都議会住宅港湾委員会にて意見付きで採択。



管理人には半ば、ギャグの域に思えてなりません。そこは本来市場だぞオイ…



11月20日


「大田区地先渡り鳥飛来地に関する請願」大田区議会定例会で承認。




1976年(昭和51)年


首相は福田赳夫です。


3月


農水省、第二次中央卸売市場整備計画(昭和51年度~60年度)を公表。


①大井埋立地区の現状は当初予定されていた開発整備状況と比べて道路交通網という最も基本的な立地条件に大幅な遅れがあり、大型市場建設に必要な条件が整わない。


②このため当面は既設の築地、神田市場の過密緩和を図るための中央市場を設置する。


③スケジュール――用地買収・設計・建設・開場は計画後期(56~60年度)。築地・神田・在原市場は、大井地区の整備を前提とし、必要な整備を行う。


大井市場は既設市場、特に神田市場および築地市場の過密化状態に対応し、かつ都市機能の向上を図ることを目的として整備を行う。




1978年(昭和53年)


4月1日


大井の埋立地のなかの広さ三㌶が「野鳥公園」として開園する。埋立地全体からみるとごく狭い面積だが、市場用地に義務付けられている緑地部分を東京都が野鳥公園とした。


美濃部都政の無能さ・ここに極まれり、です。




1979年(昭和54年)


首相に大平正芳が就任、今日に至る禍根を残した美濃部亮吉は、この年の4月22日をもって都知事の座を降りることとなります。


2月


大井埠頭その一、その二についての帰属問題が十年越しに決着する。大井市場予定地と、大井埠頭その二を大田区に、大井埠頭その一の北側区域を品川区に分割。

しかしこのことにより、大田区の野鳥公園拡張要望の動きが強まりました。


4月8日


のちに4期16年に渡り東京都知事を務める鈴木俊一が都知事に当選しました。


鈴木都知事は前知事が置き去りにした「移転問題」を抱えた築地市場を、早速視察しました。





※ 字数制限に対応するため、記事を分割するとともに、しばし休憩します。




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