【観劇記録】『Blue Sky Red Earth』 | 手上のコイン Blog

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Atuwo Ohuchi presents
Syory Dance Performance Blue the 3rd.
『Blue Sky Red Earth~空は青く 地は赤く~』

2011年1月6日(木)~9日(日)
中野ザ・ポケット

脚本・演出・振付 大内厚雄

■Cast

大内厚雄  …瑠(るい)
岡内美喜子 …璃(れい)
畑中智行  …明(あきら)
原田樹里  …茜(あかね)

■Story

I might have wanted you to scold devotion to the death.
and
I might have wanted you to permit devotion to the life.

僕は、叱ってほしかったのかもしれない、死への執着を。
僕は、許してほしかったのかもしれない、生への執着を。



演劇集団キャラメルボックスの役者である大内厚雄さんのプロデュース公演。
ダンスと、パフォーマンス。芝居を融合した今回の形は、前回の公演『Blue is near water~水辺に佇む青~』から引き継がれた形。
(最初の稽古場公演のBlueでは芝居部分は無く、ストーリーのあるダンスパフォーマンスの公演であった)

セットは黒バックで天井からは長さの違う数本の鎖が垂れ下がっていた。
ステージ上には一人で抱えられる程度の大きさの白い木箱が四つ置かれてあり、椅子や様々な小道具として使われる。

役者の衣装はほぼ黒で統一。その胸元や腕には呪縛や執着の象徴のようにチェーンが巻き付いている。
白衣で『先生』と呼ばれる女性以外はコートまでもが黒。

照明に関しては相変わらず凄かった、相変わらずというか…、稽古場やスペースと違い、今回は会場が中野・ザ・ポケットというれっきとした劇場であったせいか、更にたくさんのきっかけと様々な照明効果が。
ただ、照明の効果を得るために必要ではあるのだけれど、回によってはスモーク焚きすぎな回があって、舞台上が見えにくかったりしたのは少々残念。


人間が生きている上で、…有限の命の世界に生まれてきた限りは、『死』は決して分かつことの出来ない、身近なものではあるけれど、人は常に死の不条理さや恐怖ばかりを思い日常を生きる訳にはいかない。何らかの形で迫ってこないかぎりは大抵の場合それはどこかに、棚上げされている。そうでなくては生きていかれない、そういう側面もある。

その『死』にも様々なものがあって。寿命や病気、天災などは『運命』というものの括りに入れることが可能かもしれないが、
『それ』は違う。
自死というのは、人の死の中でも何かが特殊なのだ。
特殊、なのだと思う。
少なくとも私にとっては、そうだった。
「しょうがない」「仕方がなかった」という言葉では済ませられない。そんな風には許容されない。

だから、その重さは多分『運命』よりもある意味、重い。


テーマ的には今回の方が前回よりもわかりやすい。
完全に自分の身に引き寄せては考えられなくとも、主に観念的部分に依っていた前回よりもずっと、語られる事象が具体的であるからだ。

まあ。個人的な趣味からすると、前回のような内省的な、心の中へ中へと向かってゆく要素の強い作品も凄く好きなんですが。特に『Blue』 という作品は、普通の芝居よりもそういうものとの親和性が強いように感じるので。
言葉。台詞というものが形作る世界と、ダンス・パフォーマンス。サイレントで表現される世界。
人の思考は確かに言葉で形成されるけれど。人の意識は感情、情動という言語だけでは説明不可能な要素にも左右される。そのどちらもの要素を無理なく織り込むことが出来るし。

って、別にそんな話を語りたい訳ではないのだよ(笑)
そんなことばっかり書いてると話が前に進まないぞ、自分(笑)



父親の自死。
その不条理と混乱。許容しがたい現実。
その時に生まれたひとつのひび割れ…。
それは彼の心の深い部分に潜んでいた。
主人公の瑠(るい)は、自分が父親の亡くなった年齢に近づくにつれ、自分もまた父と同じように自殺するのだと感じるようになる。

彼が『先生』に語る過去。
子供の頃、幸福であった記憶。そして、
突然…何の前触れも見せることなく、日常から非日常へと変わった現実。

父の死という重りを一緒に負っていた母親の、早すぎる死………。

物語の前半は瑠の想いが強く打ち出される。
それが後半になると、その瑠を見守る璃(れい)の想いに移り変わってゆく。

父と同じように妻を遺して自殺するのではという想いに浸食されてゆく瑠の精神。その脅迫観念から、妻の存在そのものを意識から追い出して見えなくしてしまうほどに強い恐れ。
そんな彼を『先生』として、逃げることなく側で支え続ける。
彼を取り戻す為に。
…その想いに。恐れに。決意に。
共感すると共に救われるような気がした。



起こってしまってからでは、取り戻せないものがある。
取り戻せないものを、それでも求める気持ちも、受け入れたくない気持ちも。
それはもろんある。

けれど
全てがあるところから、少しずつ失っていくのが、生きていくということではない。
何かを得ることも、失うことも。
どちらかだけということはないのだと。

…それを忘れているつもりは無いけれど。
自分のことで忘れることは、本当に無いんだけれど。

誰だって。きっとと。
この芝居を観ながら思えたことは、私にとってはやはり。
救いだったのかな。



って。わからない話ですいません。

今回の大内さんは、なんだか。カッコいいというよりは可愛かったな(ぇ
心のどこかの時間が止まってしまった。そんな瑠の本質が垣間みえ、少年のような話し方をする瞬間があったり。
でも、ラストシーンの(恐らく)数年後の瑠と璃、とその家族のシーンの時の低い声が素敵(笑)だった。
年月が経って、歳もとっているので喋り方もほんのり、ゆったりとした間。
あとは、
『幸せだった』と家族で過ごした時代を回想する時の表情。微笑み。ああいう時の優しい表情とかは本当、いいですね。
芝居を観ている時って、…いくらファンとはいえどもそんなこと滅多に思わないんですけど。
あの表情は、ずっと見ていたいような気持ちにさせられた。
ダンスは今回、オープニングは特に早くて。瞬きもできない勢いだったり。ゆったりと魅せるものもあったり。緩急もあって楽しめました。
相変わらず動きが綺麗。綺麗に踊れるって凄いな…。

畑中くん。ちょっと芝居の時は声が一人だけデカかっ………。←をぃ
でも、踊り込んだのがよくわかって、動きがキレてて思いの外カッコよかった(笑)

樹里ちゃんは、とにかくしなやかで動きが美しくパワフル。
というだけでなく。
これから、もっともっと役の幅も広がっていくんだろうな…。といういろんな可能性を感じさせる。
あつをさんの母親役でも、なんでか違和感なく成立させてしまっているのが恐ろしい…(笑)

それにしても。今回の岡内さんは好きだったなぁ。
ま、Blueの岡内さんは元から好きなんですけど。
優しい想いが踊っている姿に反映していて。それがとても美しい意味での女性らしさで。
一つ一つの台詞の温度の違い。
想いを表情にのぼらせる瞬間と、内に押し殺す瞬間。そのコントラスト。
もっと観たかったなあ。