手上のコイン Blog

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五月天の石頭がFBのノートに書いてる日記を、ちょこちょこ翻訳しております。おかしいところがあれば、ご指摘下されば幸いですm(_ _)m

石頭FBノート 道外'170527


道外 5月27日更新


この街の光は好き放題な振る舞いで、わんぱくな子供のように春の最後の微かな涼しさを挑発し、無害ですこぶる親しみを感じさせる。
もしここの緯度がこんなに赤道から離れていなかったら、端午節前の陽の光は、それでもこんなに友好的で松花江(ハルビンを流れる河の名前)の水のように冷たく心地よくは無かっただろう。

このような光を見ていると、かえってベッドの中の暗がりが恋しくなる。それは一種、時間に背き、得難いゆとりに背き、可能性に背き、予想外な出来事にも背くことだ。

カーテンを開けた。窓の外にあるのは有名な龍塔だ。
光の下ではその前方の赤いダイヤモンドの煌めきよりは見劣りがする。
龍塔の前にただ指輪を被せてあるみたいに、青天の光を反射していて、それからはどうあっても目を離すことが出来なくなってしまう。
しなやかに地表の上に支えようとしているが、その下にいる人間はそれが作り出 した虚空を通り抜けるのに慎重にならずにいられない。

僕はこのダイヤモンドに警戒しながら道を通り過ぎた。
心の中ではただ早くここを離れることを考えていた。
それは、ダイヤの底の先端に真っ直ぐ向き合っていると、ダイヤモンドが最新鋭の兵器に変わって、全てを灰塵と化す光線を発射するのではないかと心配になるからだ。

幸い僕は古い道の外れに逃げおおせた。この「道」はそもそも鉄道だったところだ。光緒①の時代には東清鉄道と呼ばれていた。
鉄道の片側は道裏(鉄道より西の地区のこと)で人でごった返し賑わっている。僕がずっといたのは道外(鉄道より東の地区)だ。道外は道内の風景には劣るようだが、一種庶民的な味わいが異国情緒に満ちた街並みと融合していた。

地上に落ちる影はだんだん短くなってきた。
古い道のはずれにはたくさんの本格的なレストランが並んでいる。
一軒の三鮮餃子(豚肉・エビ・玉子入りの餃子) を売る店に入ると、店内の、客のいるテーブルの上には地元の豚の天ぷらと餃子以外に、申し合わせたかのようにどのテーブルにも飲みかけの酒が載っていた。
東北の剛胆な笑い声は僕の腹の底まで響いた。
コップの白酒を頼み、彼らと卓を隔てて共に飲む。
けれど、彼らはやはり男らしく、酒は既に三本目であるのに顔色ひとつ変わらなかった。
僕はまだコップの底が見えていないのに既に怪しくなっている。

この白酒の暖かさはあたかも外の陽光のようだ。
もし今晩の仕事が無かったら、この酒と天気なら古い道のはずれで酔って寝転んでしまうのも一興だ。
と心の中で思いながら、また2両(1両は50gなので100gほど)の餃子を頼んだ。
酒に浸るのは、この貴重なのんびりした時間を裏切らないだろう。




①清の時代の年号。西暦1875年~1908年。日本でいうと明治8年から41年の間の年号です。

ハルビンと聞くとモスクとか派手でカラフルなライトアップされた異国情緒の街並みを想像してしまうけど、2000年に建った龍塔も有名なのね。
しかしこんな話書かれたせいで、思わずGoogle mapで鉄道跡探しましたわ。


そして突っ込みどころ満載なんだけど、突っ込む気力がありません(笑)

誰か突っ込んで(笑)
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石頭FB ノート 何記理髮店-頭髮'170523


何記理髪店ー髪 5月23日更新


劉鳳が廣生を初めて見た時、彼は泥の上で劉鳳が既に廃墟になってしまった家から救い出した石で遊んでいた。
彼女は廣生を見たが、すぐには彼から石を取り返そうとはせず、廣生が振り返って彼女が目覚めたのに気づき、こう尋ねるまでただ黙って見ていた。
「これ、おまえのか?」
劉鳳は声を出す前に廣生の手を引っ張り、彼を山の入り口まで連れて行くと、下を指さしてこう言った。
「ここにもあるよ。」
山あいの生活の悲惨さは大人たちを不安にさせたが、子供はここで拾いものをするだけで、無邪気であればよかった。


何日か後、大火で焼きつくされた、五万人が住んでいたボロ屋のあった場所から青山道のアーケードの下へと引っ越した劉家は、同じ樹の下に避難していた何家と再会した。
劉鳳の母親は廣生の母親のお腹をさすって言った。
「何日か会ってない間に、また大きくなってない?」


劉鳳の誕生日の日、廣生だけが青山道の家にいた。彼の両親はひとに紹介された深水埠のもぐりの産婆に、彼の弟の港生をとりあげてもらっていた。
それから何ヶ月も彼ら両家の父親は昼間は一緒に日雇いの仕事に出かけ、母親達は生まれたばかりの弟の世話に追われ、劉鳳と廣生はしょっちゅう山あいに遊びにでて、時にはこっそり政府が囲いを作った建築現場にもぐりこみ、彼らが最初に共に住むこととなる「包寧平房」が出来上がってゆくのを見ていた。


石硤徙廈が完成した。
劉・何両家の縁は続き、125平方フィートの空間の同じ軒下に両家は再び一緒に住んだ。子供達二人も一緒に屋上の天台学校に通い始めた。
それぞれの階の住居は風呂とトイレは共同で、H型のビルの中庭は、多くの人が団らんし、のんびりと過ごす貴重な場所であった。
ここでは多くの事物が共有され、分かちあわれていたが、もちろんいくつかの私的な青春の果実が若い男女の心の中には芽生えていて、それぞれの秘密がしまわれている場所は、彼らだけが知っていた。


劉鳳と廣生は中学を卒業し、片方は母親の腕の良さを受け継いで、工場で縫製の女工として働いた。もう片方は大廈の中にある理髪店で見習いを始めた。
こうして家計を助けて十年以上が過ぎ、両家の両親がどうやってこの奥手な子供達を結婚させようかと相談していたその晩、劉鳳は泣きながら父母に子供が出来たことを詫びて許しをこい、廣生も彼女とその子を一生守ると誓ったのだった。


一つの命が生まれ、そして一つの命が消えた。
廣生の父親はコンクリートを運ぶ際に墜落し、何家は喜ぶ間もなく悲しみに暮れることとなった。
それほど経たずに、廣生の母親は哀しみのあまり精神が壊れ、廣生を死んだ夫だと思いこみ、二十歳を少し過ぎたばかりの港生はそれから人が変わってしまい、世間に対し同情や憐憫をもつこともやめ、生まれたばかりの女の子をそれ以上に憎んだ。


劉鳳はいつも叔父の暴走を案じて、びくびくしながら彼女のたった一人の娘を育てた。
娘が15歳のその年、卒業前の何日か、学校の授業も終わり、娘は同級生と放課後旺角に出かけ晩ご飯の前にようやく家に戻った。
ある時、晩ご飯の時間が既に終わっても、同じ食卓を囲むはずの叔父と娘はどちらもまだ帰らなかった。
八時になって叔父は先に姿をあらわし、やかましく腹が減ったと言い、食事を終えるとまたふらりと出ていってしまった。
同じ食卓を囲むのは、ボケてしまった劉家の母と、気が狂ってしまった何家の母、こっそりと涙を流す劉鳳、そしてなんと言われようとも、倒れることの出来ない立場の廣生である。


娘は叔父が出ていった後、間もなく家に帰ってきた。座ってご飯を食べることもなく、鞄を置くと、ビルの中の公共の浴室でシャワーを浴びた。
劉鳳は、娘がいつまでもいつまでもシャワーを浴びていて、ずっと出てこなかったのを覚えている。


学校が始まったが、同級生は劉鳳の娘には会えなかった。ビルまで行って彼女を捜したが、彼女の両親も、二人のお婆さんも見つからず。ぼんやりと地面に横たわる港生の周囲に、化学実験用具のような物が散らばっているのを見た。
同級生たちは誰もが背筋に寒気を覚え、素早く逃げ出した。
劉鳳の娘は、彼らの未来から失われた。


劉鳳と廣生は石硤尾を離れ、荔枝角の理髪店の二階に滞在した。廣生は本来、店の中の理容師の一人でしかなかったが、その後に店で上り詰め、何記に改名した。
二十年以上が過ぎていた。二人は、お互いに寄り添って生きてきた。苦労をして、苦しんで、劉鳳が涙を流すたびに、廣生は彼女の為に新しい髪型を考え出して、時に彼女を笑顔にし、二人で一緒に街角の茶楼に行き二段の焼売を注文した。


劉鳳は革のトランクを提げ、二階に上がった。彼女も、廣生がいなくなり何記が誰の名字に変わろうとも別に構わなかった。
二階の部屋はがらんとしていた。寂しさはとめどなく押し寄せ、足下から這い上ってきて劉鳳の口や鼻を塞いで彼女を窒息させる。
彼女は革のトランクを開けて廣生のハサミを取り出した。
カシャカシャと一音ごとに、音はいつまでも部屋の中に消え残った。その長さで過去のそれぞれの思い出すらも断ち切ってしまおうとするかのように冗長に、彼女の髪を切り落とした。
日が落ちる前の、夕暮れの日の光が床の白髪交じりの髪を照らしだし、金糸のように部屋の中に反射した。劉鳳は既に懐かしむこともなくなった過去を眺めていた。
「このハサミ、相変わらずよく切れるわ!」
彼女は心の中でそうつぶやいていた。





メモ芒刺在背…背中に刺さった棘、比喩としていらいらとして落ち着かないことや、疑いから極度に不安を覚えること

メモ包寧平房…包寧は当時の工務局(日本でいえば国土交通省みたいな組織)の局長の名前です。平房は平屋のことです、といっても包寧平房は二階建てだったようですが、要するに仮説住宅ですね。

メモ頂樓的天台學校…頂樓(最上階)の学校て何ぞや?となりまして、検索したら、屋根のない屋上で机並べて勉強する子供達の写真が。要は建物の屋上を使った青空教室ですね。



さて、やっと香港場で更新された分が終わりました。
石頭ぱぱのおかげで、香港の歴史まで学んでしまった感(笑)それにしても、最後の話がいつもの倍の量あるなんて聞いてなかったぞ(笑)
(ってことで長くてすいません。分けるほどでもなかったし)

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『少年他的奇幻漂流(Life  of  Planet)』

先日発表された、
台湾のバンド五月天(Mayday)の最新アルバム『自傳(自伝)』の中の一曲『少年他的奇幻漂流』のMV。

このMV が発表される前に、この曲に抱いていたイメージは、広大な海の上の小舟…というのは、完全に映画、ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日 の影響ですが。(なぜなら、この映画の台灣での公開タイトルは、少年Pi的奇幻漂流)

でも、なんか英文タイトルだとライフ・オブ・プラネットになってるなぁ~地球
とはぼんやり思ってましたが、
流石にウルトラマンは度肝を抜かれました(笑)もちろん、円谷さんの本物のスタッフが特撮撮ってるし!

上矢印…というのは、Grass Jelly 仙草影像のHPで参加したスタッフの名前を確認出来るのでわかります。

まぁ、特撮ファンの方々がいっぱい書いてるでしょうから、特に私の書く事はありませんが。
テレビ放映されてないウルトラマンだけど、ネオス何話か見たことある(というか諸事情でビデオが2本うちにあった)ので、
あれ~。このデザインのウルトラマン知ってるけど、なんだったっけ~。びっくりおわ、ネオスじゃん!

ってなった←

うっかり気づいてない方がいるかもわかりませんが、日本語訳の字幕もついております。ので、ウルトラファンの方にも、歌詞を見ながら世界観を楽しんで貰いたいなぁ、と(*´ω`*)思いつつ。


以下、五月天のボーカル、阿信のFB より
(……あ、石頭(Stone)というのはMaydayのギタリストです。この曲の作曲してます。中国語では石頭は単に、[石]の意味です。木も木頭とかいう。)


「少年他的奇幻漂流」




在作品 9 號「自傳」中,石頭貢獻了許多動人的曲子,
蜿蜒流轉如 "轉眼",鼓動人心如 "最好的一天"。

9枚目のアルバム『自伝』に、石頭はたくさんの感動的な曲を提供してくれた。
蜿蜒(えんえん)と流れゆくような“轉眼”、人の心を駆り立てるような“最好的一天”。


而波瀾壯闊的 "少年他" 則讓我在寫詞的時候,
如同經歷了一部冒險電影。

そして、勇壮で壮大な“少年他”の歌詞を書いている時の僕は、一本の冒険映画を体験したかのようだった。


無垠宇宙,我們都身處於同一方舟,
我們誕生於此,也葬身於此,
我們都曾是小孩,卻成長成滿身的標籤與顏色。

果てのない宇宙で、僕らはみな同じ方舟に乗っている。
僕らはそこで生まれ、そこで死んでゆく。
かつて子供だった僕らはみな、成長して全身をレッテルや主義で固めるようになった。


諸神已離開,鬼在狂歡,
留下人類彼此不斷拉扯糾纏。

神々は消え、魑魅魍魎は跋扈し、
残された人類はお互いに絶えず牽制しあっている。


現實中,毀滅世界的力量不會來自大氣層外,
它們只在人心幽暗處萌芽。

現実には、世界を壊滅させる力は大気圏外からやって来たりはしない。
それらは、人の心のほの暗い場所に芽生える。


這支音樂錄影帶,導演阿木與我們以科幻與空想方式呈現,
獻給從小就喜歡有著明確美好結局的世界你我。

このミュージックビデオは、監督の阿木と僕たちがSFと空想を使って作り上げた。
小さい頃、確かで美しい結末のある世界を愛していた、君と僕へ贈ります。





この文の顏色、は、辞書で調べると色という意味ですが、あれですよね。アメリカの大統領選挙でも共和党が赤とか、民主党が青とか、政治的な主義や支持の立場を示すのにも色が使われますよね。
(面倒なので色んな例示はやめますが)

にしても。五月天の5人もウルトラマンは好きではあったようですが、何より特撮ファンだったのは、どうやら監督の陳奕仁のようですね。(笑)そりゃあいいもの出来るわ(笑)

実はさいきん石頭の文章ばかり訳してたので、(いや、楽しいけど)たまには他の人もやりたくなっただけだったりして。(笑)



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石頭FBノート 何記理髮店-大火'170523


何記理髪店ー大火 5月23日更新


次の週の金曜日が劉鳳の六歳の誕生日だった。毎年一月一日の前に、母親は自らの手で彼女の新しい服を縫うのだ。
今日、日が暮れる前の時点で襟刳りだけがまだ仕上がっていなかった。
袖の部分はどうやら父親の破れたズボンをリメイクしたものだ。前後の身ごろは隣のおばさんが戸口に捨てた古い服のもの。
劉鳳の母親の器用な手は、この誕生日プレゼントを、隣近所の人が彼女がへそくりで新しい服を劉鳳に買ったのかと疑うほどのものに仕上げていた。
けれどこの新しい服はみんなにお披露目される前に、家族の絆に嫉妬したかのような大火に呑みこまれ、もともと逃げ延びてきたため、微かで稀薄だった思い出や愛着と共に灰となった。

酒に酔った父親は、寝床に入っていて、周囲の人の叫び声も聞こえていなかった。母親は大火が彼らの集落に迫って来たのを見て、ようやく父親から殴られる恐ろしさを思い切り、彼を揺り起こした。
あるいは父親は既に酔いから醒めていたのかもしれない、それとも、母親がこのように狼狽えているのを見たことがなかったせいなのだろうか、彼は意外にも冷静に劉鳳を抱きかかえ、母親の手を引き、外へと逃げ出した。
声も発さず、彼女たちが落ち着くのを待ち、実家から持ってきたお婆さんにもらった大事な綿の上着を救い出しに火事場に取って返そうとした頃には、大火は既に彼の家の屋根にまで達していて、炎は部屋の全ての開口部から吹き出し、あらゆる者に近づくなと警告していた。

誕生日から何日か過ぎていた劉鳳は、同い年の子供よりも物事がわかっていてとても聡明だった。
大人しく母親に寄り添う彼女の眼差しは十歳の子供のように超然としていて、まるでこの火事とは無関係のようだった。
事実その通りで、劉鳳の身の回りにあるものはまだ何も彼女の持ち物では無かったし、もし彼女が手放したくないものがあったとするなら、それは彼女がいま手の中に 握りしめている三個の変わった小石だけで、かりに本当に火事場に落としてしまったとしても、劉鳳は母親がいつも星を見に連れていく行く山の入り口に、まだたくさん彼女が“地上の星”と呼んでいる石があることを知っていた。

大火は一昼夜燃え続け、泣き叫ぶ声は止まなかった。そんな人の心を引き裂くような声の合間に入り交じっていたのは、火事場泥棒を働いた者が見つかった後の、男共が揃ってその前で怒り罵る声、それに殴打と命乞いだ。
俺が救い出した財産が大火で消えてしまう、と泥棒が残念がって言うのを聞いた父親達は、なおのこと力を込めて、殴ったり蹴ったりした。
その言い方が、まるで彼らが火の海に飛び込む勇気がないと嘲笑しているようだったからだ。
それゆえ彼らは、全てのエネルギーと怒りを、一個の灯油ランプと一枚の掛け布団しか盗めなかったコソ泥の身体で発散した。

劉鳳は周囲の大人のする事には全く頓着していなかった。彼女はただ炎の輝きが夜の空を染めるのを静かに見ていた。
時に赤く、時に黄色く、彼女はこんな特別な情景を見たことがなかった。炎はある時は地面から上に向かって牙をむき、ある時は雷の閃光のように燐光を空中に舞いあげていた。
彼女は身を寄せている大樹の下で、昼になるまでずっと炎の光を眺めていた。
疲れて母親の膝の上で目を閉じた時、かすかに、誰かがここで一緒に避難しても構わないかと尋ねるのが聞こえた。
母親は彼らにどこから来たの?なんていうの?と尋ねた。別の女性が涙を帯びた声で言った。
「姓は何といいます、広州から来ました。」



さて、香港の分の日記(?)は次で最後です……が、いつもの倍ある……汗
まぁ、続きなんで頑張ります。あはは。←
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石頭FBノート 何記理髮店-母親'170521


何記理髪店ー母親 5月21日更新


廣生は一晩帰らなかった。劉鳳はベッドの脇の籐椅子の上で待ちながら眠ってしまい、顔には椅子の背の格子の痕がついていた。心にもまた昨日の余韻が残っていた。
もう道行く人になど特に気にかけられない年齢にはなったが、すぐに出て廣生の代わりに街角の茶楼で彼がいちばん好きな痩肉粥と焼売を買いに行くのを、やはり恥ずかしく思った。が、昨夜ミシンをかけていたワンピースを仕上げ、口紅を差しただけで家を出ざるをえなかった。

廣生は既に店の掃除を終えていた。劉鳳が理髪店に入ってきた時には、ちょうど最後のバーバーチェアを回転し、鏡に向かって戻したところだった。
劉鳳が粥と焼売を鏡の前に置き、口を開こうとした時、廣生は先に口を開いた。
「店を閉めようと思うんだ。」
ちょうど、他の二名の理容師も入り口でそれを聞いていて、あわてて、彼自身と劉鳳の為と彼を宥めた。
しかし、劉鳳はこの二人 が開店した時から今までずっと、自分たちのことしか考えていないことを知っていた。
本当に廣生と劉鳳を想ってくれていたそれ以前の日々は既に葬り去られ、そして廣生のこの言葉ではじめてこのように困っているのだ。

劉鳳は何も余計なことは言わなかった。結婚してから今まで、全ての事は廣生が決めてきたのだ。
劉鳳が決めたのは、自分たちの娘が首を吊って自殺した後に、石硤尾の徙置大廈から引っ越すことを強行した時だけだ。

劉鳳の子供時代も青春も、結婚も出産もみな石硤尾だった。
彼女は五歳の冬の大火事の後に自分たちがようやく粗末な木造の部屋から現在の徙置大廈に住むようになった事をはっきりと覚えていた。

1949年、劉鳳がちょうど一歳になったばかり。産着の中の彼女は奔流に浮かぶ浮き草のように石硤尾に流れ着いた。
その時の彼女の家は木造で一部屋しかなく、客間にもダイニングにも家族の寝室にもなっていて、劉鳳の遊び場は玄関だった。

山の斜面に住む人は全員が知り合いで、みなこの愛らしい女の子を可愛がっていた。
とりわけ隣の羅湖からきたおばさんは、いつも劉鳳を抱き上げ娘と呼んでいた。
いくつもの夜、劉鳳は眠る前に、壁際の叔父と叔母の、時には高く低くどういった種類の感情かわからぬ声をはっきりと聞いた。
当時彼女は、へんなの、としか思わなかった。どうして母親が、彼らが楽しそうに笑っている時に劉鳳を連れて山の入り口で星や月を眺めるのか、そして彼らが喧嘩をしているのに彼女を床に追いやり、早く寝なさいと催促するのか。
劉鳳は憂いなく育っていったが、彼女の父親の眉間の皺はどんどん深くなっていった。それは、まだ劉鳳が会ったことのない母方の祖母が、彼女の父親を認めなかったからだ。
昼間に日雇いの仕事をしていた父親は、夜になって家に帰る前には既に酔っぱらっていた。
母親はいつも当時の父親に口答えすることを恐れていた。そうい った時の父親は野獣のようで、残忍に彼女たちを飲み込もうとしたからだ。
母親は彼女を胸に抱いて彼から守った。けれど、母親はいつも声は出さなかった。ただ鮮血のような温度の涙で彼女の髪を濡らすのだった。




メモ痩肉は赤身の肉、痩肉粥は肉入りの粥です。

メモ衣車 … ってなに?と思ったら、ミシンのことらしいです。

メモ徙置大廈 … は、そもそも石硤尾というのは1940年代末の第二次国共内戦で追われた難民が、自分達で木造の建て家を建てて住み着いた土地だそうで。
その建て屋が1953年12月25日に発生した大火事で焼けて、5万人が焼け出され、その被災者に住居を提供するために香港政府が建てた団地が、徙置大廈といいます。…て中文のウィキに。
…あ、国共内戦については、わからない方は検索してくださいm(__)m

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石頭FB ノート 何記理髮店-剪刀'170520



何記理髪店ーハサミ  5月20日更新


劉鳳は、彼女の全ての嫁入り道具が詰められていた四十年物の古い革のトランクに、廣生のお気に入りのハサミと牛骨の櫛を納めた。
こんなに長い月日が経過しても、このトランクは劉鳳が嫁に来た時の姿のままで、使われた形跡がない。
彼女と廣生が石硤尾の家からこの理髪店の二階に越してきた時、その日降りしきっていた大雨がトランクに残した水の染みがあるのみだ。

廣生の開いたこの店は、茘技角で一番の腕前の理髪店で、廣生以外の店にいる全ての理容師はみな生粋の上海人だった。廣生は上海の出ではないが、彼の技術には他の三人の理容師も一目置いていた。
この理髪店は彼ら四人の共同経営だったが、大きな事も小さな事もみな廣生が決めていた。店の名前でさえ、廣生の名字から取られたものだ。

15年ほど前、廣生はこの理髪店を閉めようと思った。その頃、SARSが香港全域で猛威を振るい、街頭には誰もいなくなり、まるまる一ヶ月店が開けず、営業を再開した頃には客足は半分に減っていた。

三人の理容師の一人がSARSに罹り、三週間の闘病の間廣生とその他の二名の理容師は、彼に面会することも叶わなかった。最後に一度だけ見舞えた時でさえ、ガラス越しに垣間見られたのみで、その後、荼毘に付された。

廣生は彼が遺したハサミとその他の理容道具を彼の前妻と息子の住所に送った。
数えてみると、息子も既に二十歳を過ぎている。毎年廣生も、彼が一年分の蓄えをイギリスに息子の学費として送るのに協力していた。
だが十何年来、彼の前妻と息子から返信がきたのは一度も見たことがなかった。
廣生が荷物を送ったその三ヶ月後、彼の許にはイギリスから一通の手紙と、封を切った後に包み直されたハサミが送り返されてきた。

手紙の内容を、廣生は誰にも話さなかった。劉鳳にも言い出すことは無かった。
手紙には、だいたいこのような内容が書かれていた。
「何さんへ、私と彼の縁は既に切れております。息子はこのような父親がいたことを知りません…何年か前に、彼には言いました。償いのために私たちにこのようなお金を送る必要は無いのだと…私たちはこういった物は必要としていないのです。彼が亡くなったのはとても残念です。けれど、悲しくもないのです。」

手紙を受け取ったその日の夜、店の理容師はすでに皆帰宅していて、廣生だけが店にいた。
彼女が階下に降りると 、理髪店の鉄のドアが締まるのが見えた。中にはまだ灯りが点いている。

深夜の茘技角の路上には車も人もおらず、それゆえ劉鳳の耳に届いた悲痛な声は鮮烈で胸を張り裂かんばかりであった。  





店名、普通には発音わからなくて読めないと読みにくいし、英名表記にでもしようかなぁ…などと思ったけれど、文中で名前云々のところがわからなくなるし、やめました。
広東語(粵語)発音だと何はホー、記はゲイ、英文だと表記は たぶん ho kee でしょうね。
お店の屋号で名前+記ってよく見ますよね。記にはしるし、とか符号の意味もあるのでナントカ印の~みたいなもんなのかな?

石硤尾、茘技角、は地名です。香港の鉄道網とか見ると見つかりますよ。

SARS(重症急性呼吸器症候群)……が流行したのは2002年末から2003年ぐらいですよね。ってもう十年以上経ってると知らないって人が出てくるんだよな、こういうの。(なので念のため)感染力が強く、重症化して死亡する危険性も高かった為、当時大騒ぎでした。
中国大陸から始まって、香港や台湾、シンガポール、カナダなどで死亡者が多く出ました。
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(一)の訳はこちらです右矢印商人(一)


石頭FBノート 商人(二)'170518


商人(二) 5月18日更新


もう何度目になるかわからない。
彼は横になったベッドの上でひっきりなしに寝返りを打ち、机の上のあの蝋燭がまだ燃えているかを確かめた。
まるでいつも息苦しさから呼吸ができなくなることで、自分がまだ生きているのかどうかを確認しているように。
その永遠に燃え尽きない蝋燭は、さながら彼の生命と同じくらい大事なものになっていた。蝋燭の火を見つめることで、彼がまだこの世界に存在しているのを確かめるのだ。

めんどりの歌声は、日の光が部屋に差し込んだとたんに止んだ。商人は体の中にぽっかりと穴が空いたような孤独を感じた。彼は傷ついていたが、涙は既に枯れていた。
彼はこの生涯で取引しかしてこなかったことに気づいたのだ。物の取引、サービスの取引、金銭と物の取引、金銭と全ての取引、そしていま彼が持っているのは、取引の能力を失った身躯と誰にも必要とされていない三つの厄介な品物だ。

悲しみは怒りに変わり、彼は部屋の中で大声で怒鳴り続けた。内蔵を吐き出さんばかりの力で吼え、地獄から聞こえる声のようだと人を怯えさせた。彼の声が完全に嗄れてしまうまで、それを止める勇気のあるものは誰もいなかった。
たとえ声が出なくなっても、彼は口を大きく開き、吼え続けた。
こういった馬鹿げたことを止めさせたのは、その窓からそっと滑り込んできた、遠い街中で鳴った鈴の音だった。
この音はそもそも彼の意識の深くにしかなく、彼はまだ見つけたことも掘り下げてみたことも無かった。
ただ彼がこんなふうに弱って全くの無防備になっているときにだけ、この音は彼の耳に止まるのだ。

彼は前にもこの音を聞いたことがあった。なぜなら、この鈴の音は彼が行ったどの街でも現れたからだ。
彼が自分が手に入れられる全ての物を集める事と、誰かが欲しがる物の事を考えている時、このか弱い鈴の音は人混みの売り声よりも彼を惹きつけることは出来なかった。

彼は窓を開けた。しかし鈴の音は既にどこの路地に移ったものかもわからなかった。彼は部屋を出た。刺すような太陽光がいっとき彼に方向を見分けさせた。
街頭は混雑し喧噪に包まれていた。彼は怒りがまだ消えなかった。口を大きく開いてみたが、みんな自分達の騒ぎを続けるだけで誰も彼のことになど気づかず、しまいにはカボチャをいっぱいに載せた車を押していた粗忽物がぶつかってきて、転ばされ地面に倒れた。
転んだ痛みもついた泥も省みず、彼はあの鈴の音を見つけることだけを考えていた。この鈴の音には彼の秘密が隠されている気がするのだ。彼は他の者にそれを発見されたくなかった。彼自身だけが、この秘密を暴くことを許されるのだ。
一陣の風が吹いてきて、鈴の音と、清涼感のある香りを運んできた。これは森林か、あるいは原野か、どんな種類の植物なのかはわからなかった。
彼はこの香りが通った跡を探して、鈴の音がさらに近づいていることに気づいた。
彼が手を伸ばし、その鈴の音を止めた時、彼の手はインディゴブルーのブラウスの下のブレスレットを掴んでいた。
ブラウスからのぞく手は、去年彼が冬に家を出た時の雪のように白かった。ブラウスに包まれた両腕以外の一切も、ただ布と同じ色の両目だけを残して。
彼は確信した。彼の未来はこのインディゴブルーの瞳の中に秘められていると。







………………щ(゜▽゜щ)早く、続きカモーーーン。←こら

もはや石ぱぱ、完全に作家のようですが。わたし、商人の話が好き過ぎて、普通に読者です(笑)読んでてニヤニヤしてしまう。
ちょっと三崎亜記さんの小説を思い出しました。

気がつくと、既に訳した日記が20件超えている……^_^;

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石頭FBノート 似永恆'170517


永遠のように 5月17日更新


外のゴロゴロという音で、夢の中から目覚めた。いま聞いた音がいずこかから聞こえたものなのか、それとも夢の中で聞いたものなのか僕には判別がつかず、昨夜盛り上がった後のほろ酔いのような疲労が、無意識の暗闇へと引き戻した。
再び目覚めた時もまださっきのこもった音を覚えていて、それがどんな音で、どこから聞こえたのかをよくよく思い返し、隣の部屋から上下の部屋の可能性までをひとつひとつ排除し終えた頃には、全身の筋肉も元気を取り戻していた。
カーテンを開けると、どんよりとした空から落ちてきた雨粒は、閉め切っている窓からもその滴が砕ける音を聞き取ることができた。
鬱々とした、素焼きの鍋の中で沸騰する水のような、たて続けのパチパチという音が、さっきの大きな音がすでに消滅した稲光のものではないかと答えている。


僕はこういう感じの香港が詩情に満ちていて好きだ。
遠くの山の雲が島の高層ビルを包み込み、まるで白髪の老人が剛胆な末裔たちを懐に抱き、彼が時の果てはどんな世界なのか、また我々の未来はどこにあるのかといったような物語を語り聞かせるのに、静かに耳を傾けているようだ。


僕もそういった時空を越えた物語に引きつけられ、この十数年来変わることのない外の香港の景色を眺めた。
称賛すべきは、こういった一種のコミュニティー意識がこの島に顕しているこのような永遠にも似た光景だ。
たとえ僕が人類の永劫などほとんど信じていないのだとしても、目の前の美しい景色は実在し、幻想を抱かざるをえないのだ。


雨は止まず、外のビクトリア港はこの大量の水を飲み込んでも吐きしてもいる様子がなく、この島はまもなく沈んでしまいそうだった。
雨に気を取られるうちに、出かける時間が過ぎていて、友人は既にレストランの入り口で待っていた。
何本目の煙草なのかはわからない。僕は急いで手を伸ばし、堅い握手と数言の挨拶を交わし、遅れた気まずさを誤魔化した。


成長した鉢植えのようなティラミスがテーブルに届いた頃、彼は彼がもうすぐ上海に開く店の話をしていた。
取り扱うのは歴史のある伝統的な小物や品物だ。
彼の話だと人類の辿ってきた軌跡は、こういった見て触れることが出来るものによって伝えられているのだ。
僕も自分が持っている幾つかの物に想いを馳せていた。集めることが目的なのではなく、これらの素晴らしい時間によって、自分も足跡を残さなくてはならないと、言い聞かせる為だ。


レストランへと出かける雨の中のアドベンチャーゲームは長くは続かず、26路バスから紅白のツートンカラーのタクシーに乗り換えるまでにすぎなかった。
次に彼と再会するのは、あるいは上海の彼のお店になるのではないだろうか?
タクシーで通り過ぎた街道前の、以前歩いた時にあった多くの商店は、すでに違うブランドに入れ替わっていた。
なるほど、香港は骨董品のテレビのように外側や機能は変わることなく、中身は常に新しくなっているのだ。
ずっと役者の変わらない出し物は探し出すのにも工夫がいる。


雨は夕方になってようやく止んだ。けれど、時は既に黄昏で、もう一度太陽を拝むのは不可能だ。
部屋のテレビのニュースは、mp3が間もなく過去の物になると報じている。
僕は科学技術の淘汰と入れ替わりの速度に、窓の外の垂れ込めた暗雲のような気持ちになる。
それは直前に、依然友人が収蔵しているLPレコードを閲覧していたせいだ。この瞬間さえ一つの現代技術によって葬り去られてしまう。とても悲しいことに、歌詞の中にあった生活や経験が、一つ、また一つと失われていく。
何が時間を超越することが出来るのだろう、永遠に似た何かだろうか?





出来上がってたけど、上げるのを忘れていたという……←下書きのままだった。

ちょっと前にふと、前の石頭の本(末日備忘録)の文章量どれくらいだったろう?と本をめくってみてたんですけど、一個一個の日記の長さ、けっこうまちまち。小説とかも無かったし(笑)
今回は本当にコンスタントに書いてるんですね。たぶん、自分でこれくらいって決めてるんだろうなぁ。



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取扱説明書 5月15日更新


その時、舞台上は一時的に誰もいくなっていた。まるでオートメーション化された工場が生産効率を落とすことなく、次の納品も期限どおりに出荷できる保証をするためのように、僕は舞台の下で再び舞台にあがるため待機していた。
まもなく、繰り返すことも戻ることも出来ないものへと変わる、ステージが始まる。
常に驚きが舞台上からも客席からもおこり、五感が開かれてゆき、油断すると見逃してしまうようなアクシデントも常に発生する。次の日の後味のじわじわとした苦さが、そんな全てを当たり前の事と決めつけてしまう者達を嘲笑している。

僕は舞台右側の階段の手すりを左手で掴み、右足を階段の一段目にかけていた。弾を込め、いつでも発射出来るよう準備しているみたいに。
会場外のタクシーに乗った乗客の喜怒哀楽ですら感じ取れそうに五感は鋭敏になっていて、自然と背後を通り過ぎる三人の家族を感じ取っていた。
さっき赤鱲角から降り立った、疲れきった旅の果てに嗅いだ我が家の匂い。
振り返ると、妻は見慣れた微笑みを浮かべ、わんぱくな二人の息子がさかんに手を振っていて、凪いでいた心が大きく揺れた。
少しの間舞台にあがることを失念していた。同僚が僕の肩を叩いて教えてくれて、ようやく僕は笑い声が満ちる暖かい景色の中へと戻っていった。

深夜近く、鳴りやまぬ拍手の中舞台を降りる。
久しぶりの抱擁に涙が出そうになる。一日会っていない?三日会ってない?計算してみると、すでに一週間を越えている。
メッセージには恋しい想いを詰め込むことができない。テレビ電話でもその場に行けるわけじゃない。この再会だけが本物で、比ぶべくもない貴重なものだ。

一日隔てた休日を利用して、一日中“わが家”の時空に浸る。疲れた大人の心に暖かな思い出が満ちる。そして何年か前の子供たちを思い返し、時間が彼らの上に残した痕跡を、何が変わり何が変わらないのかをじっと見比べていた。

彼らの母親が髪を梳いて顔を洗う寝る前の自由時間に、二人はそれぞれ家から持ってきた本を読んでいた。
弟の方はあまり文字が読めないので、科学マンガが彼のお気に入りだ。
お兄ちゃんの方は最近物語が好きで、語彙も比較的多く、今の年齢の、複雑になってきた思考にも合っている。
最初彼が持ってきたのは枕元にある星の王子さまだと思いこんでいた。近寄ってみると、本のタイトルの最後の文字は説明書とある。この子は製品の取説を物語として読んでるのかと思い、もっと近づいてみると、この本のタイトルは「かあちゃん取扱説明書」だった。

彼と一緒に少し読んでみると、子供が母親に叱られないため、宿題を催促されないため、そして彼の思うやさしい笑顔の母親にするための取扱説明書という内容だった。書いたのは母親を「使う」ため、でも最後は母親を研究することで、母親にとっていいことと悪いこと、何を求めているのかを知っていって、そうすることで子供自身も変わり、家の中の空気も悪くならなくなり、母親の催促する声もやさしい気遣いに変わる。

人がお互い気遣い、話を聞くのは本来の人との付き合い方だ。けれど、不用意にいちばん近しい人に近づこうとすると、そのドアも窓も閉じられてしまう。

僕は今日で休みの終わる息子にこの本を借りて参照し、自分のための説明書を作ってみようと思った。
最後に僕はお兄ちゃんに尋ねた。おまえ帰ったら「ママの取扱説明書」を書くのか?
すると彼は、ママは完璧だからいらないと言った。でも、すぐに帰って「おとうとの取扱説明書」を書かなくちゃと。
そう言ったのと同時に、彼の弟が掛け布団で全身を包み、団子のようにベッドの上を転がり、もう少しで枕元のコップをひっくり返すところだった。
どうやら僕は先に「わんぱく坊主取扱説明書」を書かなくちゃいけないみたいだ。





「かあちゃん取扱説明書」は、訳したタイトルではなく、原書のタイトルです。ええ、これ、日本の児童書を訳したものです(笑)

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石頭FBノート 海洋之旅 '170514

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海洋の旅 5月14日更新


誰しもが名前をもっている。普通は自分でつけることは出来ないので、産声をあげた頃に両親か年長者が頭を悩ませなければならない事の一つだ。
何故なら彼らはこの三文字の組み合わせが、この生命の運勢を決めるだけでなく、多くの人の記憶に残る具体的な印象に影響すると考えるからだ。

名前は生まれた家に関係がある。生まれた季節、気候、場所や、両親の期待とリンクしている。あるいは、八字五行で算出された命盤が導き出した文字で、その運命づけられた名を組み合わせる。

僕は父母に自分の名前の由来を尋ねたことはない。きっと父親が長いこと海の上で仕事をしていたことに関係しているのだろう。彼らが名前をつける時に八字の命盤を組んでいて、占った僕の運命が水と関連があったんだとしたら、その占い師が、僕の戸籍に記された名前を考えたんだろう。

僕は水が好きで、それ以上に海が好きだ。ずっと帆を揚げて航海に出てみたいという願望がある。そういった生活を体験してみたいわけでも、冒険に出たいというわけでもない。ただ、水が好きで堪らない。
水には形はないけれど、力があって、それに従うしかない。力を振り絞ってみても、最後にはやはりそこに停滞させられてしまう。そう感じていたのは、力を使わないと泳げなかった水泳技術のせいだということに、最近プロに指導してもらってからようやく気づくいた。

水の中で、僕はいつも無心だ。水の流れが僕の身体の上を通っていくのをはっきりと感じ取れる。羽毛のようになめらかに皮膚を撫でてゆき、しだいに僕の人型の身体を引き剥がしてゆく。
水中を前進し続けていると、人の形をした魚になったようだ、と僕はいつも想像する。
常に水中を悠然と泳いでいる魚のように自分の筋肉を水中の生き物とシンクロさせて浮いたり沈んだり潜ることに集中する。

昨日海洋公園の巨大な水槽の前にたたずんで、水槽内の生き物を長いことじっと眺めていた。
まるで自分が水の中で泳いでいるようで、水の外の状況は自分には全く関係がなく、館外の強い日差しは館内の影を消し去って、水の中の白銀の線がせわしなくきらめいて水面の波が水底に点々と光る星を作り出している。

公園内の設備は行き届いていて、末っ子の楽しみも、魚になったような気分になりたい僕の需要も満たしてくれた。
園内の海洋生物の演出は簡素で、過度にトレーニングされている様子はない。他の同じような施設の方が華やかで生き生きとして見えるが、それぞれの展示室が最終的に海洋の尊重と保全のための要求、教育とエンターテイメントとのバランスを満たしていて、僕はこの四十年の歴史をほこる公園に対し心から敬意を覚えた。

陸上の海洋の旅を終え、二人の息子もこのか弱い生命に対する憐憫を覚えたようだ。この休暇もようやく手にしたものだが、無駄にはならなかった。
僕の両親が僕の名前を大海に関係のある名前にしてくれた事に感謝してる。それは僕の人生に影響を及ぼし、ゆとりが生まれるのを感じられた。
恋せずにいられないこの無重力の世界。
もし本当にこの世界で生きることができたなら、僕は貪欲になることも欲望に飲み込まれることもないようにと願うだろう。






占いに興味が無いもので、なんのことやら?って感じだったんですが、八字も五行も占いの一種?命盤っていうのは占星術でいうホロスコープみたいなもんなのかな?教えて!詳しい人!(←他力本願かい)
…いや、八字が生年月日でそこから占うくらいはわかったんですけど。五行はあれですよね、五行説のやつですよね。陰陽師が使ってたやつよね。


ってことで。一応書いておくと、石頭の本名は石錦航です。航の字は船の意味がありますね。



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