会津〜米沢〜白石の旅★六 | 土方歳三資料館日記 (Hijikata Toshizo Museum Blog)

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土方歳三の生家跡に設けられた資料館にて運営に携わる子孫の綴る日記。

さて、いよいよ米沢をあとにして会津へと車を走らせます。

本当は歳三さんは8月23日に会津を出立して米沢へと向かってきたのですが、
途中車が入れない旧道を米沢方面へ戻る様に歩いたりもしましたが、
その米沢街道を歳三さんの進行方向とは反対に辿ります。

実は、今回は台風24号が近づいていた為天候の影響を考え、
直前に宿なども全て手配しなおし、
当初のプラントは全く逆に史跡を訪ねたのでした。
(白石、米沢、会津と微妙に天候の崩れる日程が違っていたので…)

ダウン黄色の→が歳三さんの道筋です。
$土方歳三資料館日記-0

「旧道は桧原湖から車で少し行った所から、未舗装の道になり、
やがて車の入れない山道になるようだ」
とここ迄しか事前には調べられませんでした。
その山道がどこ迄歩けるかなど、
基本情報を得る為に桧原歴史館へ向かいました。

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途中の山々、色づき始めていて何とも言えない微妙な色彩です。
何度も車を停めては撮影会あせる
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檜原湖が見えてきましたキラキラ
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大鳥さんは会津から米沢に向かう途中で見た景色を、
「前を望めば万山千峰愁色を帯び弾薬なく食糧なく、漸く夕方檜原に着せしに」
と記しています。
これって紅葉のことでしょうか?

歳三さん、大鳥さんとちょうど同じ時期に訪ねた桧原の山々。
今年は紅葉も遅いですし、更に江戸時代は今よりも数度平均気温が低かったと考えると、
山々はもっと秋色に色づいていたでしょうね。

檜原湖のほとりに桧原歴史館があります。
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歴史館の前には「一里塚」の碑が建っています。

実は、桧原湖は磐梯山の明治大噴火によって出来た湖。
死者が多数出た大災害でしたが、その噴火により、
米沢街道の一部と桧原宿がすっぽり湖の底へと沈んでしまったのでした。
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桧原湖。
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歴史館に入口に早速「会津米沢街道を歩いた歴史上の人物」。
きっと皆さんよくご存知の方ばかりではないでしょうか?
(クリックで拡大)
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歳三さんの名も。
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歴史館の内部は、他にも米沢街道に関する展示がされており、
またいろりのコーナーでは、名物の塩ラーメンがいただけるようになっています。
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会津には塩川、大塩、など塩のつく地名が多いのですが、
これはこの辺りが塩の名産地だからだそうです。

「この山奥で塩?」

と思いますよね。
実は、太古の昔の海水の成分が温泉水にとけこんでいて、
そこから精製されるものだそうです。

私は一日10食限定という、「赤塩ラーメン」にチャレンジラーメン

塩ラーメンに、特製のピリ辛の味噌玉がのっていて、
「そのまま塩ラーメンとして味わって、
その後は味噌を溶かして味噌ラーメンとして召し上がれ。」
との説明でした。

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美味しかったですよ~音譜塩スープはあっさりきりっとした味わいだし、
チャーシューもほろっほろでうまみたっぷりビックリマークヘルシーな感じでした。
味噌玉も手加減無くぴりっとしていて美味しいんです。
桧原湖へ立ち寄る際には是非試してみて下さいねニコニコ

さて、ランチのあとは、赤丸の「桧原歴史館」を出発。
ここからは少し逆戻りして、歳三さんの黄色のルート通りに、
米沢街道を米沢方面へ向かい、会津藩と米沢藩の「藩境峠」を目指す事にします。
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これがこの旅で私が一番楽しみにしていた場所でした星

途中にある鷹ノ巣一里塚を訪ねつつ…。
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途中から未舗装の林道になります。
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さて、来ました「藩境塚入口」。
ここからは、徒歩で藩境へと向かいます。
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山道は最初はこんな歩きやすい道です。
もちろん、鈴やホイッスルなど熊対策もしつつ進みます。
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お天気もよく…晴れ
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沢伝いに旧道があるので、所々でこんな橋を渡ります。
この日は前日に雨が降ったので、木もヌルヌル、つるつるあせる
すっごく滑って沢に落ちるんじゃないかとスリル満点の橋渡りでした叫びあせる
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10分程行くと、峠を登り始めるので勾配がきつくなってきます。
でも、下は落ち葉のフカフカロードだったので、何のそので歩きます。
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30分くらいで藩境塚に到着~DASH!
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藩境塚の案内板。
ここを越えると米沢藩です。

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両側ともに、こんもりとした塚と塚の中央には大木が遺されていて、
当時の様子そのままと行った風情です。
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この両側の塚の間に柵が設置され関門になっていたのでしょう。
ここを歳三さんも、大鳥さんも通り抜けて行きました。

歳三さんははやる気持ちを押さえつつ
米沢へと抜けていったのでしょうね。

大鳥さんはここで止められてしまい、一悶着したあげくに、
「他の人と話をするからとにかく綱木宿まで行かせてくれ」と綱木迄峠を降りるものの、
綱木宿には、会津から落ちてきた人などで泊る場所も食料も確保するのが難しく、
果てには「今から藩峠にひきかえしたら?」と言われてしまいます。
当然歩兵なども不満を爆発させ「ここで一戦交えようか!?」との雰囲気さえ漂った、
でもそれでは会津藩のためにならないのでやめておいた…との下りが、
大鳥さんの日記「南柯紀行」に綴られています。

そこで、藩境を超えて少し下ってみることにしました。
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大峠まで下りましたが、時間切れでここから引き返しました。
当時は藩境峠から綱木宿の短い距離の間に4カ所も関門が置かれ、
通行人を厳重にチェックしていたようです。
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米沢側の峠の方が勾配がきつくて、
登り返しは結構きついのです汗

結局綱木で宿泊して、翌日峠を登り返したときの大鳥さんの気持ちが
痛いほど伝わってくる帰り道でした。

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無事に車を停めた場所まで戻ってきましたキラキラ
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当時を偲びつつ、旧道を歩くことができました。

このあとは、一路会津へ向かいます。

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