四の米沢城の続きです。
米沢城の二の丸跡にもうけられた上杉記念館(上杉伯爵邸)へ。
元々は上杉茂憲公の米沢本宅として明治20年代に建築されました。
その後大正時代に大火により焼失、再建されています。
現在は建物内で米沢の郷土料理がいただけるようです。
建物は式台などもある豪奢な作り。
お庭も広々、趣があります。
そして、なんとここでも鯉にえさやりが行われていました。
でも、こちらはお庭整備の専門のかたが、これまた鯉専用のえさを投げていて、
優雅に泳ぐ鯉たちも「がつがつ」ではなく
「しずしず、ぱくり」と上品にえさを口に運んでいたのが印象的でした。
紅葉が色づき始めていました。
お庭で見つけた秋。とんぼ。
実はこちらを訪ねたのは、お庭の奥にあるこの碑を訪ねたかったからなんです。
「色部長門追念碑」
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さて、次に林泉寺へ。
ここは直江兼続夫妻のお墓で有名です。
案内板(クリックで拡大)
大河ドラマ天地人の頃は大変な人出だったことでしょうね。
境内には上杉家代々当主の奥方の墓所もあります。
夫婦で別々の墓所に入るのは何だか寂しいような気がしました
そして、目的の墓所へ。
「北越戦争忠士之墓」をお参りしました。
北越戦争で亡くなった方々が祀られています。
新潟の港は、奥羽越列藩同盟諸藩にとって、
武器や物資調達のために守り抜かねばならない要所であり、
会津藩や米沢藩はここを守りぬこうと北越戦争を戦いました。
米沢市内では最後に、常安寺にある雲井龍雄のお墓をお参りしました。
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整然と整備された墓所。
雲井龍雄は永倉新八の窮地を救った人物。
自身の信念を曲げずに、新政府軍を批判しつづけた雲井龍雄は、
明治3年に捉えられ斬首となり、小塚原(こづかっぱら・現荒川区)に晒されたそうです。
雲井さんが亡くなった時の永倉さんの悲しみ様はとても深かったそうです。
米沢では、雲井さんゆかりの場所をくまなく訪ねましたので、
最後にきちんとお墓参りが出来て良かったです。
米沢市内での史跡巡りを終え、今度は米沢街道を会津側から巡ります。
歳三さんが峠越えでみた山々の景色のことを綴ります。
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